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漁師のデニムとオッサンのブルセラ

目に見えても共有できない価値観の不一致

b.hatena.ne.jp

2万2千円の新品デニムを漁師が1年間はいたら、4万2千円の中古デニムに――。そんな驚きの取り組み「尾道デニムプロジェクト」が広島県尾道市で続いている。漁師や農家など、様々な職業の住民がはき古して色落ちさせる。味が出た1点もののデニムは、全国のファンを引きつけている。

街興しの一環として行われている「尾道デニムプロジェクト」
漁師や農家など体を動かし働く人が実際に履くことで「リアルな色落ちをしたデニム」という付加価値をつける。
加工デニムとは違う「味」が魅力なのかもしれない。

この記事の取り組みは以前から知っていたんだがこの記事に対するコメントが面白い。
ブクマのコメントを取り上げつつ「価値」について少し。
b.hatena.ne.jp



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オッサンのブルセラ

漁師が1年はいたデニム、価格2倍に… 人気の秘密は?:朝日新聞デジタル

ブルセラショップじゃん

2016/12/27 08:38

漁師が1年はいたデニム、価格2倍に… 人気の秘密は?:朝日新聞デジタル

女子高生がはいたデニムなら何倍になるやろか

2016/12/27 18:21

漁師が1年はいたデニム、価格2倍に… 人気の秘密は?:朝日新聞デジタル

ブルセラだなぁ。ところで、ブルセラって、ブルマとセーラー服の略だっけ。ということはこれは漁師のジーンズだから、リョーンズみたいなそんなだろうかねぇ

2016/12/27 15:20

とりあえずこの辺のブルセラ論から。

「女子高生が履いたデニムなら」とか「ブルセラ」と言っているコメントに「誰が履いたか」という評価軸しか見えないあたり、偏見丸出しでなかなか香ばしい。
デニム好きならまず
「女子高生の生活程度で履いたヌルい色落ちのデニムに何が期待できるの?」
と言うだろうが、そういうことは今ひとつ理解できないかもしれない。
ファッションオタなめんなよ、と。

ブルセラは「誰が履いたか?」に価値を置く感覚。
その「誰」に性的な対象としてのフェティシュな価値観がある。
だから「女子高生が履いた」→「そのあと洗濯した」で価値はほぼゼロになる。

だがデニムの場合、どう色落ちしたか、どうダメージがあるかが価値基準になるため「漁師が履いた」→「そのあと洗濯した」で価値は落ちない。

ブルセラならJKが履いた途端に価値が発生するが、漁師デニムは履いてもすぐに価値は発生しない。
「漁師が何度も履いた」「仕事で履いて汚れた、破れた」というデニムに起きるディテールとして価値が発生する。

漁師に性的価値がないのでデニムよりパンツのほうが高く売れるということもない。
さらに言うなら履いたまま飲んで寝て漏らしたなら、その価値は激落ち(仮にこれがブルセラだとするなら性的フェティッシュのために価値が上がるので真逆)。

同じモノに対するフェティシズムだが、その対象が「モノ」とディテールに限定(完結)するのかそれとも「モノの先にある所有者」を(性的に)透けて見るかに差異がある。

「女子高生が履いたデニム」は履いたことによって性的な価値が生じるが「漁師が履いたデニム」は、漁師に性的な価値がなく、履いた「事実」それ自体に実は価値はない。
漁師が履こうが、期待したほどのディテールがなければ価値が落ちる可能性は十分にある。
単に「漁師がていねいに履いて綺麗なままのデニム」には価値が生じない。

漁師が履き、船の上で日々を過ごす。
その経年変化による日常の経過時間と経験が生み出すダメージに「リアルさ」を感じそこに価値を感じる。

誰が履いたか?よリ、どう履いたか?に価値がある。

「女子高生が履いたならブルセラだ」が通用するなら、そこら辺の古着屋で売ってるデニムもブルセラってことになるが、まさかこんな偏見丸出しの短絡的意見を本気で言ってるわけないよねぇ……その割に評価されてて、なんとも。
 

自分が育てる価値

漁師が1年はいたデニム、価格2倍に… 人気の秘密は?:朝日新聞デジタル

「デニムを育てる」というのを他人任せなのが理解できず混乱する派。いや、使い込んだデニムが良いのは解る。だけど、自分と共にある相棒感が良いんであって、見てくれだけ求めてるのは野暮じゃないのという価値観

2016/12/27 17:46

いわゆる「ビンテージ並びに加工デニム全否定」コメントですかね。
この辺の価値観を否定するつもりもないんだけど、要は盆栽や骨董と同じでそのモノに付与されたエイジング(年月)の価値に対して価値を感じるか、実体験として自分の時間でなければ価値を感じないかという差かと思われる。

骨董好きは、その骨董が経てきた時代と年月に思いを馳せると言いますが、別にこういうデニムに価値を感じるひとはエージングをアウトソースしてるわけではなく、自身が体験できない時間や経験を経てきたデニムのそのディテールに価値を見出すのであって、自分がどれだけ履いても同じものは出来ないからこそなんですよね。
別にアウトソースしてるわけではない。
アウトソースってのは前提として自分がやるのが必須なことを他人にやってもらうことだが、アメリカの90年代のダメージジーンズを買うのを「経験をアウトソース」とは呼ばないんじゃないだろうか。
とっくに経験を付与されているものの「経験が生み出す味」に対して価値を見出しているわけですから。
そこには元々アウトソースするつもりもない。

この辺は価値観の相違なので平行線。
「北欧のビンテージ家具っていいよね―」と「家具はDIYで自分と一緒に時間を過ごさなきゃ価値がない」との差。
自分が芸術的な絵をかけなくても、誰かが描いた芸術的な作品を買うことが「低い」行為だとは思えない。
たとえば自分なんかは内股で擦れて育てる前にやられるんですが、自分で育てる派からすれば「いい感じのデニムは諦めろ」ってことですかね。
それはそれで違うんじゃないかなぁ……。
 
 
ところで「デニムのエージングの魅力」というやつ。
日本では、侘び寂びと言うがこの「寂び」にも同じ感覚がある。

寂(さび、寂び、然びとも)は、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」[2]を言い、動詞「さぶ」の名詞形である。
本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の「寂」が当てられ、転じて「寂れる」というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。さびの本来の意味である「内部的本質」が「外部へと滲み出てくる」ことを表す為に「然」の字を用いるべきだとする説もある。ものの本質が時間の経過とともに表に現れることをしか(然)び。音変してさ(然)びとなる。
(中略)
「さび」とは、老いて枯れたものと、豊かで華麗なものという、相反する要素が一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。そのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とされる[2]。
本来は良い概念ではなかったが、『徒然草』などには古くなった冊子を味わい深いと見る記述があり、この頃には古びた様子に美を見出す意識が生まれていたことが確認される
わび・さび - Wikipedia

経年劣化したことによるモノの哀れ、儚さ、そこに見える時間に感じる感覚。

徒然草の昔から「古びていてもそこに美がある」という感覚は存在した。
そして必ずしも「自分」が関わっていなければ「寂び」だと言うわけではない。

まぁ、自分は経年劣化したデニムを育てられないので欲しければ買うしか無いし加工デニムのような「虚構のリアル」も否定しない。
漁師の人とはサイズが合わなさそうだし、そもそも高いからなぁ。


こんな感じで以上。
お粗末。