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ひとにはそれぞれ事情があるが、事情があるなら許されるのか

動機 (文春文庫)

sakenominimal.hatenablog.com

彼女は本当に理解できないと言うような表情をしていたけれど、大嫌いな会社で2年働いていた私には少し、サラリーマンの気持ちがわかるような気がしました。
しょっちゅう憤っていた、かつての会社の人たちが脳裏によぎりました。

駅員を怒鳴るようなサラリーマンを理解できないというお母さんの話。
いろんな事情を抱えて生きているからそうやって駅員を怒鳴ってしまったりするのにお母さんは、それを理解しない。
で、まぁ、つらい会社の毎日がそういう会社員を作り出すのだとして、だからって

一方、生まれてこの方愛知から一歩も出たことがなかった母、50歳。

若い頃は地元優良企業に非正規雇用の事務員として入社、うまいこと正社員の父をつかまえて結婚。

マイホーム・子育てとあの世代にありがちな形式的な夢を叶えて気づいたら年を取っていた。

こんな人生を送っていればしかたがないと言えばそうなのだけれども、呆れるほどに世間を知らないのです。

そしてそれは母だけではないし、 きっとそういう主婦は多いのです。

「みんながみんな、パパみたいに良い会社に恵まれてるわけじゃないんだよ。」

私は先のことを説明した上でそう締めくくったけれど、彼女はやはりキョトンとした顔をしていたし、きっと一生理解できないのでしょう。

そして社会はこうした主婦たちの悩みを「恵まれているくせに」と一蹴し、主婦たちは怒鳴るサラリーマンを「ただのひどい人」とみなして一蹴するのでしょう。

なんで、こういう風になるのか。
親子関係がどんなんだか知りませんけど「これこれこうだから理解しないんだ」と決めつけるのもそれはそれでなんかモヤる。

どれだけ親しい親子だって別の人間でしかない。
この話は2つに分けられる。
1つは「駅員を怒鳴るサラリーマンにも事情がある」
もう1つは「そんな事情を理解もせず頭ごなしに批判する母親」
この2つ。



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誰しも事情がある

まずは駅員を怒鳴りつけるサラリーマンの方から処理しますが。

全てが状況・仮想の話なので雲をつかむようですが、そんな理由だとしてもそれはそれこれはこれ。
別に正論でもなんでもなく。

ではこれが仮に暴力ならどーですかね?

「だって会社で怒鳴られて疲れていたから殴ったんだ」

これで同情できるのか、理解してあげられるのか。
理由があるから仕方ないと思えるのか。

では、これが殺人ならどうか。

「だって会社で怒鳴られて疲れていたから殺したんだ」

これで同情できるのか、理解してあげられるのか。
理由があるから仕方ないと思えるのか。

では怒鳴るのなら許されて暴力や殺人なら許されないとすればそれは何か。
怒鳴ることだって他人に対して害意があり傷つけてしまう行為。
誰だって何かしらの事情はある。
でもそれを飲み込んで生きてる。
理由があれば何かをやって、それで理解できるってことになるのか。

「あぁ、あんな状況だからあの人はあぁやって駅員に暴言はいて仕方ないよねーあの人もにんげんだもの」

同じ理由でも乗り切れる人もいればダメな人もいる。

そりゃあそうだが、だからと言って「これこれこうだから怒鳴ることだってあるさ」という理由を言われても、それが主婦だから理解できないんだっていうのもよくわからない。
 
 

歩きベビーカースマフォ

え?暴力とか殺すとかそういうのではない?
ではこんな感じではどうでしょうね。


ついさっき、歩道を歩いてたらベビーカーを左手で押しながら右手でスマフォを操作している……いわゆる歩きスマフォの母親がいた。
歩道は家路を急ぐサラリーマンやOLで溢れかえってる。
なのに、その母親は操作を止めようともせず、前も見ないで歩いている。
周囲の歩行者は、母親に気づき路をゆずり、避けたりしている。
単なる歩きスマフォだけでも危ないのに、ベビーカーを押しながらだなんて……。

きっと、彼女は厳しい夫との生活に疲れているんでしょう。
だからあるきながらスマフォを打ち友人とのLINEをやらなければやっていられない。
歩きスマフォをしながらベビーカーを押すその陰で、家に帰れば山のような家事が待ち構え、「主婦なんていい気なもんだよな」と、何も理解しない夫にに言われているのではないかなと思います。
社会には理不尽が多いのです。
耐えるという形で片付けるには、あまりにも多すぎるのです。



駅員に怒鳴り散らすサラリーマンを理解できるならこれも是ということでいいですかね?
だって事情があるんだからそういう理解もしなければならないわけですよね。
その行為が是か否かではなく。

事情vs事情

あと気になるのが元記事にはどこにも怒鳴られた駅員の視点がないところなんですよね。
だって怒鳴られた駅員だって、慣れない仕事に苦戦しながら、酔っ払いに絡まれ、ヤンキーに小突かれ蹴られ、最近父親が痴呆気味で田舎の母からは「帰ってきてくれ」と言われている、そんな最中サラリーマンに怒鳴られたのかもしれない。
そんな事情は考えないんですかね。

あるいは怒鳴っているサラリーマンは親のコネで入社しまったり過ごしていたのに新しい部長が厳しい性格で仕事の手抜きをイチイチ指摘してきてイライラして駅員に怒鳴ったのかもしれない。
これでも「あの人にも事情があるから」になるのかな。

駅員の事情vsサラリーマンの事情。
どっちもあくまで想像でしか無くどれもこれも想像でしかない。
「事情を想像もせずに」ってのは、元記事で駅員の事情を考えていないことにもいえるのではないかなー、と。


で、お母さんのことは知りませんけど、どちらかというと

最近は駅員さんに怒鳴りつける人なんているのね。しかも結構多くて、びっくりしちゃった。駅員さんもかわいそうに。電車が遅れたからってあんなに怒らなくもいいのに。しかも不思議とね、スーツを着たサラリーマンが多いのよ。変な人とかならまだわかるけど、きちんとお仕事されてるちゃんとした方なのに、どうしてあんな小さなことでキレるのかしら。ひどいと思う!

という発言には被害者視点の意見が見える。

怒鳴る側の事情を考えるのはわかりましたが、怒鳴られる側の事情はどうなんでしょ。
それって「仕方がない」で済ませなきゃあいけないことなんでしょうか。

加害者と被害者の関係は卵と鶏と違い加害者が先で被害者が後。
被害者が先にいる状況に加害者が発生することはない。

自分も色々バイトとかやってたんで、いろんな理不尽も味わった。
レジをやってたときは支払いで毎回金を投げつけてくる老人もいたし、延々何時間も説教してくる老人もいた。
延々と自分の事情を話して「~だからこうしろ」と無理な注文をつけてくる客もいた。


「事情を理解するべきは怒鳴ったサラリーマンか、怒鳴られた駅員か」


よくわかりませんがひとつ言えるのは

「怒鳴るにも事情がある」

それを果たして理解しなければならないのか。
その行為が明確に理不尽であっても、事情を理解せず頭ごなしに批判するのはよくないのか。

ましてや誰しも事情があるなんてことはお母さんどころか、どこの主婦でも理解しているでしょう。
(加害者視点の)理屈として理解していたとしても、それを(被害者視点の)感情としては理解しないということも成立する。
それを「主婦」なんて主語に拡大するようなことかな?と思いますが。

元記事には親子間の無理解を転嫁させてる視点を感じる。
いいとも悪いとも書いていないと言う割に母親に対しては随分と批判的に書いているように読めるんですが、気のせいですかね。


今日はデバックで疲れ果てて、脳が動かないのでこんな感じで。

人にはそれぞれ事情がある
真島昌利
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