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ライターの読モ化とブロガーのカリスマ店員化

bylines.news.yahoo.co.jp

「ライター」を名乗り、それを生業にしている筆者は、ライターを取り巻く現状について考えることが多い。といっても、現在では「ライター」の定義自体が揺らいでいて、同業者と話していても共通認識が得られず、議論が空転することもしばしばだ。しかしそこに、「ネットやSNSの出現によって、ライターの仕事が『読モ』みたいなものに近づいている」という補助線を引くと、現状がクリアになる気がする。

話題になっている「ライターの読モ化」記事。

この記事は、対象が漠然と書かれているうえに、複数の対象が含まれ、読み方次第で様々に受け取れる。
人は見たいように見て、読みたいように読む。

書いた当人は問題提起だと思っているらしいが、核心を書かない問題提起には中身がない。
事実を伴わず、概念だけを弄ぶのなら、ライターではなく陰謀論を書くフィクション作家を目指すべきだろう。
プロを名乗るライターがこれでは読モ化云々の話も薄っぺらなバズワードで終わるのは目に見えている。

ここでは、このフワフワした記事をわかりやすく読むための補助線を引いてみようと思う。



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冒頭引用したように、記事は
「ライターという言葉の含意が広がってしまい、同じ"ライター"という言葉を使っても伝わらないことがある」
これに端を発している。
そしてその原因が「ライターの読モ化である」のだという。

「読モ」としてのライターには、なによりもタレント性が求められる。顔出しはもちろんのこと、プライベートな情報も重要な「商品」になる。

さらに、「読モ」としてのライターにとっては、交友関係も「商品」になる。それらは主にSNSによって可視化され、お互いがお互いに言及し合うことによって、自分たちの価値を高める。

ここでいう「読モライター」とは、

・タレント性がウリ
・プライバシー、交友関係もコンテンツ

顔出し、タレント性という辺りでヨッピーを連想する人も多いようだが、ヨッピーが交友関係を売りにしている印象はあまりない。
交友関係やタレント性が売りのライターもどき……。


情報商材

なかには「情報商材」のようにビジネススキルを売る者も出てくるが、その場合も重要なのは「知」ではなく「共感」である。なぜなら、彼らが読者に売っているのは、「自分自身」だからだ。彼らのターゲット層は、「自分のようになりたい人」であり、読者は彼らのようになりたくて、コンテンツを享受する。彼らの考えに共感することによって、彼らに近づけると読者は期待する。

この辺りは、高知方面を連想させる。
情報商材、ビジネススキル、共感、彼らのようになりたい(儲けたい)という気持ちを煽る

続くセンテンスでさらに絞り込まれる。

そして、実際に優秀な読者は、彼らによってフックアップされることもある。彼らの「商品」の一つである交友関係に組み込まれ、また新たな「彼ら」を再生産するシステムの一員に格上げされる。まさに、「読者モデル」である。この書き手と読者の近接、共犯関係を「ライターの“読モ”化」と表現すると、現状におけるモヤモヤが晴れ、少しは見通しが良くなる気がする。

高知で消耗しているお方とキャンピングカーの関係性がぴったり当てはまる。
高知の交友関係、ブログ塾、その中に組み込まれ看板になり共犯関係を築く。
マネタイズがあるからこその共犯。
構成員が増えれば増えるほど上が儲かるのはネズミ講を思わせる信者商売の基本。

優秀な読者だったキャンピングカーがフックアップされ、新しい客寄せパンダとして登用。
情報商材のピラミッドを構成する一員になる。


関係性を売るのはサロン商売、知ではなく共感というところもその通り。
炎上商法とは扇情的に書くことで広く読ませ、数少ない「共感」する人間にまで届け、引きつける手管。
多くから批判される炎上の最中、逆張りで共感する人間は容易に信者になる。

ここまでひねくれなくても、もっと容易にネット有名人を当てはめてみてもいい。
ネットにうごめく有象無象なら誰でもそこそこ当てはまるし、後出しジャンケンで正解をどうとでも言える。
とはいえ正解に興味はない。
正解があるのかどうかも知らないし知りたくもない。

カリスマ店員

記事はどこもかしこも漠然としているために、セミプロの自称ライターを全方位的に言及しているように見えてしまう。
そこで必然的に連想されてしまうのがブロガー/ライターだろう。

ブロガーは自称ライターであれ取材などをほとんど行わない。
そこら辺の情報、体験を集め、あるいは単なる何かの感想を記事にする。
そこにほとんど「知」はない。

感覚や感想、日々の日記。
ファンはあくまでも記事に書かれたキャラクターに対してコメントする、支持する、共有する。
プロ未満のセミプロファンジンの書き手とファンの集い。

マネタイズ丸出し、日記レベルの記事を挙げてはSNSを駆使して作った人脈にシェアしてもらい「いいですね!」「すごい!」なんてコメントを受けつつ日銭を稼いでは「僕がひと月に◯◯万円ブログで稼いだ方法20」記事を書いてまた「いいね!」と言われる循環。

共感が主体だからこそ、新興宗教を思わせる一様な賛辞コメントばかりにならざるを得ない。
無関係な人間からすれば、そんな様子はただただきもちわるい。

そんなブロガー/ライターは、読モというよりカリスマ店員に近い。
自らが何かを生み出すのではなく、知も無く、既存の、他人様の商品を並べ太い客のツテで売りさばくマネタイズ。
プロではないがアマチュアでもなく、マネタイズを叫んだり叫ばなかったり。
ファンのため、ブログを趣味でとアマチュアのフリをしながら儲けたお金の自慢も織り込み、方法論もコンテンツにして売りさばいてみせる。

この記事でそれらのカリスマ店員ブロガーを連想しやすくても、読モとは厳密には異なるだろう。

読む力


記事をざっくり見渡してみると、
前半は数人のライターを連想させ、中盤は情報商材関連のきなくさい連中、そしてさらに枠を広げセミプロと化したライター全般に言及し、総括をしている風を装っている。

ネットの広まり、利用者の増加と共に書かれる記事も増加の一途を遂げ、バイラルメディアの台頭もあってライターの質は一気に低下した。
一億層ライター化とも言えるが、そんな中ライティングだけで飯が食えるライターは一部に過ぎない。

それに伴い、既存のプロライターのライティング品質もピンキリであることが露呈。
素人に毛が生えたようなライターが多いことも明らかになった。
プロの下部ライターは素人ライターの上位としのぎを削る事になるのも必然。

ところで最近「この記事の文書力が」「あの人の文章力は」などと褒めているのをよく見かけるが、個人的に気に入っただけの記事を褒めるため、安易に文章力というワードを使う感覚は安っぽい。
ネット上に「書評」と呼べるだけの記事が少ないように「文章力」を持つ書き手もまたとても少ない。
文章力以前に読み手の技量も千差万別。
読み手が未熟であればあるほど容易に「文章力」と言いたがり、そんな読み手相手だからハンパなカリスマ店員や読モが通用するとも言える。

未熟な書き手と未熟な読み手。
文章力が何かもわからない輩が文章力を口にして評価し、文章力のないライターが文章力の必要性を謳うミスキャストだらけの三文芝居。


ライターが読モ化したかどうかなんざ知らない、知ったこっちゃない。

読モなんて実にキャッチーでバズりやすい、誤解を生みやすく使いやすいイマドキのバズワード。
一つ言えるのは読モ化と言いつつそれが正しく伝わらず、さらなる言葉の混乱を生む記事を書くライターが果たしてプロのライターと呼べるのか?

補助線を引きたいのか、それとも混乱させたいのか。
長谷川豊と同じ、議論を起こせれば何を書いてもいいのか?
ライターとして読み手に対して誠実さがあるか?
疑問しかない。

みなさんの読み手としての技量がより一層向上し、すべての不誠実なライターが一掃されますように。

最後に「書く力」から引用したい。

文章の執筆には、「書く力」だけではなくて、「読む力」もとても重要になってくる。プロであっても、アマチュアであっても、文章を書く人というのは、自分の文章を書きながら、同時に、自分の文章を読んでいるわけですからね。そのときに、「読む力」があれば
、より精密な推敲ができるようになる。
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