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「運を呼び寄せる」はオカルトとは別腹らしい

日常 小ネタ

週に数度は、書店に行くことにしている。
少なくても二回、多い時で七回、数件をはしごする。

新刊書のコーナーには、毎月のように「運を引き寄せる」「運をコントロールする」といったタイトルの本が並んでいる。
こういう「運」に関するテクニックが、ほかのオカルトと別腹扱いされているのは面白い。



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因果律

ポジティブでいれば運はあちらから寄ってくる、引き寄せることができる。
強く思うことでその願いはかなう。
心づもりだけで運を操れる。

いわゆる引き寄せの法則本をちらちら読んでみると、中身はオカルトmeets自己啓発。
これなら人間宇宙論の方がまだ信じられる。
まさに人間原理。
因果律を意志のパワーで操作するとは。
 
 
「“神”を信じ前向きでいれば運はあちらからやってくるのです」

と新興宗教が唱えれば「うさんくさい」で一蹴される。
なのに、

「“自分”を信じ前向きでいれば運はあちらからやってくるのです」

に変えるだけであら不思議。
ポジティブシンキングな引き寄せの完成。
神は否定しても、自分の潜在パワーを否定しないのがこの手の要。

UFO、超能力、幽霊、神様は否定するのに、血液型占いや星座占い、スピリチュアルや運の引き寄せは別腹というひともよく見かける。
幸運のお守り、ラッキーアイテム、パワースポット。
運の操作、バイアスへの影響は「目に見えない力」の中で、かなり市民権を得てる。

オカルトの中にも線引きがある。
「ここからここまではセーフのオカルト、ここからがアウトのオカルト」。

運を天に

運否天賦ともいうが、運は天が決めること。
天にはfrom random import randomでモジュールが入ってる。
仮に運をコントロールできるなら、乱数の発生にも影響できるだろうが……誰かパソコンにランダム数を発生させる簡単なプログラムを書いてやってみてはどうだろう。
もし引き寄せがあるなら自在に数字を操作できるに違いない!

「意思で願いをかなえる」なんて因果律に手を加える、膨大なエネルギーを必要とする事象を実現できるパワーがあるなら、モニターに表示されるrandom.random()の数字をコントロールするなんて造作もない。
あのキュウべえだって運命を操るなんて「因果律そのものに対する反逆」って言ってたじゃないですか。
数字を操る程度なら反逆にもならない。

さあさあ、お試しあれ。
「願った数字を出すことが幸運である」と定義すれば成立するはず。

なにせ引き寄せは「宇宙の根幹をなす基本原理」らしいですから。
……えぇ、そこの科学クラスタ、怒らないように。
宇宙とか波動とか。
まぁ、そういうアレ。

あぁ言った「運」を謳う本がビジネス書のコーナーにあるのを見ると、「テクニックで出来る以外の精神的な何か」の需要はかなりあるんだろう。

運の操作法を、博打打ちが言うと説得力があるのに、神さまだとダメだって言う、あの線引きもなかなか香ばしい。

超能力で物体を動かすより、因果律に手を加え意図的に幸運を呼び寄せる方がよほどすさまじいことなんだが、「運を操るのはテクニック次第」と勘違いが横行してしまうのってなんなんだろう。
目の前の現実が思い通りにならないのに未来の運を引き寄せることができるとか、なかなか素晴らしい。


あ、ただ言っておきますが別に信じたいひとは勝手に信じていればいいと思うんですよ。
神も仏も超能力も幽霊も引き寄せもエル・カンターレも三因仏性も。
信心は自由ですから。
ただ「見えない力を操る方法」がオカルトではないと言ってしまうのは違うだろ、というだけの話。

上岡龍太郎がいればな。

上岡龍太郎 話芸一代

上岡龍太郎 話芸一代