読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

小林銅蟲「めしにしましょう」はグルメ漫画ではない

めしにしましょう(2) 【電子限定カラーレシピ付き】 (イブニングコミックス)

長い前置き

料理とは、死をはぎ取るための行為である。

古来より日本には庖丁式という儀式化された調理法がある。
そんな庖丁式の起源には、諸説あり調査の中
現役、庖丁師からの回答として
「物を食べ物に変えるため、宮中で始まった」
という意見があった。

・エサとは、食べても害の無い物、又、食べる事によって、空腹・栄養を補える物の事を言い、食すのは、人間・動物である。
・食べ物とは、エサをなんらかの人為的な行為により、変えられた物の事を言う。
食すのは、天皇(神)であり、人間・動物ではない。
・料理とは、行事・儀式を目的として、食べ物を組合せ、構成された物の事を言う。
食すのは、天皇(神)であり、人間・動物ではない。
http://www.ryoutei-meijiya.jp/houchou.pdf

究極に儀式化された料理は、ただのモノを食べ物へと昇華する。
庖丁式とは、死肉の穢れを剥ぎ取り神前に供えるための儀式と言えるのかもしれない。

庖丁式とまではいかなくとも、日常行われる料理は、モノから死をはぎ取る。
死をはぎ取らない料理は、グロテスクであり残酷だと感じるが、死をはぎ取られればそこに死を感じることはない。

踊り食い、生け作りなど「生きたまま食べる」行為は死をはぎ取るどころか、生殺与奪の権を食べる当人が握ることになる。
そこにグロテスクさなどの生理的嫌悪を感じる。

Cooking for Geeks 第2版 ―料理の科学と実践レシピ (Make: Japan Books)

Cooking for Geeks 第2版 ―料理の科学と実践レシピ (Make: Japan Books)

死肉を解体し再構築したフランス料理を見てもそこに屠殺を想像しない。
さらに分子ガストロノミーやCooking for Geeksに見られるのは、食材を徹底してモノとしてみる視点を感じとることができるかもしれない。



【スポンサーリンク】



メシ

negineesan.hatenablog.com
小林銅蟲のマンガ「めしにしましょう」
同氏のブログにも挙げられている料理を、マンガ家广大脳子の作業現場を舞台に、原稿の完成を阻止すべくチーフアシスタント青梅川おめがが、破壊力の強い飯テロを仕掛けるというエスピオナージュ作品だが、「豪快」と称される調理法は言ってみれば死の乖離としての機能が不十分だとも言える。

昔、鶏を絞め殺してトラウマになって以降、鶏肉が食えなくなったなどという話も聞くが、「めしにしましょう」の料理には、死が残っている。
アンコウであれば吊るし、顎をひっかけ、皮をはぎ、内臓を取り出し、あらゆる部分を食材として食える形にする。
そこには死をはぎ取るという意味の「調理」ではなく、ひたすら「おいしく食う」ための技巧と手間と努力だけがある。

f:id:paradisecircus69:20170224201955j:plain
※二巻 十三の膳 【クジラいろいろ(前編)】より クジラの解体

だから、この作品で描かれるのは「料理と食事」ではなくもっと根源的な「メシ」である。

人は、生きる限りものを食う。
誰が死のうが何が起ころうが、腹が減れば物を食いそれをクソにして出して生きている。
どれだけ美化しようがその事実は変わらない。

他の生物の死を食うのは当たり前のこと。食うことの元には殺すことがある。
それを料理として美化しなければ、そこに野性味、雑さや大胆さを感じる。
ロココ調建築に対する丸太小屋のようなものかもしれない。

不健康

1970年代、「世界の料理ショー」という料理番組があった。
料理研究家グラハム・カーが世界の料理を軽妙なおしゃべりと共に紹介する番組。

一度事情があり終わったこの番組が90年代「新・世界の料理ショー」として復活した。
司会は同じグラハム・カー。
しかし内容は時代の流れ(と個人の事情)によって健康志向に変更され、使われる食材も低コレステロールを意識したものに一掃された。
趣味、飽食の果ては健康志向、ストイックな食事。
栄養のバランスを無視し、健康から目を背けた料理はうまい。
無駄なほどの高カロリーを、人間の脳は「美味い」と感じるよう遺伝子によって設計されている。


生きるということは食うこととイコールだが、そこから生きるための食事という意味より趣味と娯楽に比重を置くと「グルメ」になる。
食べ物に対し意味、飽食、趣味性を見出した娯楽。

グルメは、食事をひたすら楽しむものだが、そこに対して根源的な生への渇望がない。
アンジャッシュ渡部は美味いものを知っていても食べる姿に渇望がない。
グルメ漫画「美味しんぼ」を読んでいて「この人たちは食わないと死ぬ」と思えるシーンはまずない。

こだわったいい食材を最強の調理人が、素晴らしい調理法で、おいしく食べる、頭と意識のための食事「グルメ」。

「めしにしましょう」に登場するのはグルメではない。
こだわった材料でもなく、締め切りが迫った漫画家の作業事務所という修羅場において現実すら歪曲する空間において、精神的現実逃避を招く飯テロに脳だけを満足させるような気取ったグルメは必要ない。
胃袋を、舌を満足させる、生き物として、身体を構成する細胞が求めるのは無駄にあふれた栄養素。
健康に気遣いは必要ない。
そこで、その場でうまければいい。
ただ単純に「うまいメシ」

だからこそ「めしにしましょう」をグルメ漫画と同列で語られることに違和感がある。

極限状態で獣と化しつつある漫画家と狡猾なアシスタントが今を生きるため、現実から一時の快楽に逃避するために、ただうまいメシを作り、ひたすら食う作品。
うまいメシが与えてくれるモラトリアムは、真っ白な原稿と編集者の来訪を忘れさせてくれる。

これは、そういう「生きざま」を描いたサバイバル漫画である。

お粗末。
↓※1話目試し読み
www.moae.jp