文學トサブカルト云フ事

bosatonozyougi.hatenablog.com

そもそも、趣味を聞いておいて、言う趣味が社会的にタブーがあるという風潮もどうかと思いますが、今回はそれは置いておきます。

「村上春樹読んでます」っていうより、「ワンピース」を読んでますって言った方が何故かウケがよく馬鹿にされるどころか賞賛される世の中です。昔はコミックを読んでいる大人を馬鹿にする風潮がありましたが、今はまるで逆の現象がおきてますね。

「村上春樹が好きと言いにくい」増田に対して書かれた記事。
なんかしっくりこなかった。

タブーと書いていますが、これはタブー(口にしてはいけない禁忌)ではなくて、断絶なんですよ。
A「村上春樹だって?!そんなことを言うなんて!!口にするのもおこがましいぞ!」なんてリアクションではないのでね。

「バカにする」は相対的。
だから上下があるけど、断絶には上下がない。
バカにしようにも読んでなければ比較のしようがない。だからそれは理解を断絶するしかない。
興味がない。
「知ってる」と「(ニュースで)名前は知ってるけど、(中身は)知らない」の溝は、深い。

で、あと言及記事主の増田は、以下

僕「ハルキストほどじゃないですけど自分は春樹好きです」
村上春樹が好きだと言いづらい

増田の記事主は「ハルキスト」だとレッテルを貼られたわけではなくて、それ以前にハルキストという言葉すら通じたかどうか怪しい状況にであったわけですよ。

ももクロは好きだけどモノノフとは違う。しかも「モノノフ」という呼び方が通じる相手ならまだしも、それ以外の人らからすれば十把一絡げで「ドルオタ」「キモオタ」
偏見ですが、そんな輩に今さら何を言ってもねえ……。

他人からすればどれも同じかもしれませんが、本人からすればずいぶん違う。
でも、それを解釈してくれる相手かどうかは関係性と相手の理解度によるとしか。



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読書は、娯楽

その意識があるので、読書をする奴は頭いいアピールなんじゃないかって実際なってしまうわけです。読書はダサいって意識はそこから植えつけられている気がします。

残念ながら読書で頭いいアピールできたことがなくってどちらかというと小さい頃から「本を読んでないで勉強しなさい!」と言われた口でして、読書が高尚だったことがないんですよ。
読書なんて、娯楽ですからね。
娯楽だから「趣味は何ですか?」「読書です」が成立する。

「専攻は何ですか?」「読書です」
「特技は何ですか?」「読書です」
「自慢は何ですか?」「読書です」

読書が、娯楽だからこれらが成立しない。
趣味ですよ、趣味。金のかからない趣味。
専攻するものでも特技でも仕事でも自慢でもない。

読書してる=賢いアピールなんて、今や誰もがネットを使い、一日中文字を見続けるネット民だらけの時代に「文字で構成された一群の物語を、読解する趣味」にどれほどの価値があるのかもわからない。
文字を、一日に何千、何万読むひとも、それほど珍しくない。
本じゃなくても、文字なんてあふれかえってるのが、今の世の中。

自分にしろ、本をどれだけ読んでもアホ扱いですよ。このブログを見ればわかるでしょう、本なんていくら読んでも賢くならない。
読むひと次第なんですから。

元記事の増田の逸話は、読書という趣味自体の問題ではなく、
「村上春樹を含むサブカルとブンガクの壁」
が立ちふさがってるんですよ。

文學ト云フ事

文学の読み方 (星海社新書)

しかめつらしくも芸術的な記号をまとった文学があるころを境に、ポップカルチャーへと遷移した。さらにサブカルチャーへと。

「芸術としての文学」から「ポップカルチャーとしての文学」への転換を象徴するのが、1975、76年の芥川賞だろう。

1975(昭和50)年下期の受賞作家・中上健次は、文学が芸術とみなされていた時代の最後の大物といった雰囲気がある。

一方、1976(昭和51)年上期の受賞作家・村上龍は、その後のポップカルチャー化した文学を代表する作家といえる。

ただし、ポップカルチャー的な文学は村上龍以前にも多く書かれていたはずだし、文学の芸術からポップカルチャーへの変質は、石原慎太郎の「太陽の季節」から村上龍の「限りなく透明に近いブルー」まで、長い時間をかけて徐々に進行していった現象といえるだろう(ポップカルチャー的な文学の起源はもっと古くに求められるだろうけれど)。
文学のポップカルチャー化について - ミルクたっぷりの酒

引用したが、こちらの考察が面白い。

文学という言葉の含意の変異とも取れるし、かつての娯楽だったものが権威化し、高尚な芸術に祭り上げられるのもよく見かける。
文学というのは本来、娯楽であったろうし、しかし他の、もっと直接表現的な娯楽……ラジオやテレビなど、文字より情報の多い娯楽によって、娯楽より権威に推移した。

そして当然のごとく、ポップカルチャーと化したカタカナで書かれることもある「ブンガク」は、サブカル的な要素をはらむ。
昨日、書いた舞城王太郎や、本谷有希子などがわかりやすい。

ほんたにちゃん

彼氏彼女の事情 VOL.1 [DVD]


「劇団、本谷有希子」を旗揚げした本谷有希子は、庵野「彼氏彼女の事情』で声優として出演。
オールナイトニッポンでパーソナリティを務め、映画化もされた「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で三島由紀夫賞の候補になったこともある。
そして2016年「異類婚姻譚」で第154回芥川賞を受賞。

ところで、京都の寺町商店街ではヴィレッジバンガードとアニメイトが軒を連ねている。
ここを通りがかった人のうち、ビレバンに入る人を「サブカル」、アニメイトに入る人を「オタク」と分類したい。
内向的な趣味を持つ人々のうち、怪しげな輸入雑貨やお香の煙で部屋が満ちている人を「サブカル」とし、フィギュアやポスター、マンガやDVDで部屋が埋め尽くされている人を「オタク」のアーキタイプだとしよう。えらい学者さんがどう分類しているかは分からないけれど、とりあえずこの記事ではそういうことにする。一言でいえば、サブカルとは大槻ケンヂのことである
あなたは本当にオタクですか?/オタクとサブカル、ヤンキーと体育会系 - デマこい!

Rootport大先生のサブカル分類でいっても、演劇科で松尾スズキのクラスに入り、大槻ケンヂと同じオールナイトニッポンのレギュラー経験を持ち、詩人・作詞家の御徒町凧と結婚、ヴィレッジバンガードと下北沢の香りあふれるほんたにちゃんが、サブカルとブンガクからできているのは間違いない(偏見)。
しかも舞城と違って、芥川賞受賞したのに、知名度も……ぬーん。

こうしてサブカル属性のひとが文学の権威を得て、文学のサブカル化が進行する。両者の境は曖昧になり、文学はビレッジバンガードの棚を埋める。

閑話休題(お馴染み)。

つまり元増田が感じた「村上春樹と言ったら、とたんに白けた」のは

A 「村上春樹なんて読んだことないわー」
B 「ないすねー」
C 「ないすねー」
増田「好きです」
ABC「へぇ……」(会話を続ける知識ねぇわ……)

であり、さらに言うなら仮にひとりが知っていたとしても、それを言って会話を続ける意味がない。
村上春樹の話題は、もともと広げるために口にされたわけではない。
あくまで「今日は天気がいいねー」ていどの扱い。
もしそこで「好き」を一方的に語っても最終的な回答は

A「あぁ、じゃあ今度読んでみるわ」

ツイートにいいね!のハートを付けて、リプを止めるような社交辞令というテンプレートの答えだけ。
永遠に来ない「今度」を期待してオススメを考えておくほど無駄なことはない。
ほんと、実際の会話でもあのハートが欲しい。
嗚呼、一方的な「会話終了」で平穏に終わらせることができれば、どれだけこの地上から無駄な争いが減るだろうか。

ましてや村上春樹なんて、まだ古式ゆかしき時代、ポップカルチャーひっかけた程度の「文学」に位置してる権威。ジャズに造詣が深く、ハードボイルドの翻訳でも知られる超有名作家の何が恥ずかしいと。
言ったとしても通じないことはない。

舞城とか、さらに本谷ちゃんなんて、あなた、通じる以前にまず「誰?」からスタートですよ。
仮に説明しても「そうなんだ…」って、相手の心は、生徒会直行されたらこっちの自意識は、もう場外乱闘でアックスボンバー食らって失神した猪木みたいになってる(意味不

その辺がサブカルのサブカルたる所以であって、あくまでもメインカルチャーに対するサブカルチャーですから。
王道の古典文学がメインカルチャーだとすれば、現代のポップカルチャーよりの文学はやはりサブカルチャー。
だから下北やパルコでは通じても、他では通じない。
大槻ケンヂ、岡崎京子、黒田硫黄、小田扉、浅野いにお、舞城王太郎、本谷有希子……。

「村上春樹読んでます」っていうより、「ワンピース」を読んでますって言った方が何故かウケがよく馬鹿にされるどころか賞賛される世の中です

ワンピースは、場で共有しやすい。
みんな読んでいる、知識が共有できる。
マンガは敷居が低く読みやすい、アニメにも映画にもなってる。
同じクラスの人間同士でなら、学校の先生のモノマネで盛り上がれるのと大差ない。
ウケが、いいのはそのためですよね。

あと賞賛と盛り上がるのも、違う。
「えぇっ?!ワンピース読んでるの!すごいね!!」が賞賛ですけど、さすがにそんなリアクションはないでしょう。
バカにするとかしないとか、そういう尺度はそこにはない。

そこの前提というか、思い込みからまずフラットにしないと、見解にバイアスがかかってしまうと思うんですがね。

ほんたにちゃん

ここまで読んで、それでも本谷を読もうかと思った奇特な紳士淑女、あるいはここまで言われるなら逆に興味がわいたという自虐趣味の紳士淑女。
そんなみなさまに、「腑抜け」の舞台を観たときから著作を読破している私めが、いくつかオススメを(そんな記事だったかどうかはさておき)。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

やはり映画化もされた「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」でしょうか。
特に舞台版(2004年)では、吉本菜穂子さんの醸し出すあの独特の空気感がよかったんですが、「誰にも才能はある、それが望むものであろうとなかろうと」最後のオチがシニカルにあの伏線に繋がるブラックコメディは必見。★★★★★

乱暴と待機

乱暴と待機 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

乱暴と待機 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

azanaerunawano5to4.hatenablog.com
2009年に書いた記事を転載したのがあった。
こちらも映画化され、出演は浅野忠信と美波、小池栄子、山田孝之とかなり豪華で実力派揃いのうえによくできてるのにあまり観たという話も聞かない(悲)。
読んでるかどうかなんて、言わずもがな。★★★★★

ぜつぼう

ぜつぼう

ぜつぼう

さらに「ぜつぼう」
盛りを過ぎ、忘れられたお笑い芸人が田舎へ逃避する。
ひたすら絶望したいウジウジじめじめとした人の話。
この頃までの、こじらせた、めんどくさい本谷が好きだったなぁ……(遠い目)。★★★★

異類婚姻譚

異類婚姻譚

異類婚姻譚

azanaerunawano5to4.hatenablog.com
こちらも記事にしていた、芥川賞を受賞した「異類婚姻譚」
結婚の影響か、かなり丸くなったというか、毒っ気が薄れたのは、初期の本谷にあった薄らとした狂気が好きだったファンからすると残念な感じ。
自意識こじらせてる方が面白かったなぁ、と素直に。
この短編だけ読むと印象がかなり違う。


あ、最後になりましたが、rootport先生の新作に関しての記事は、週末頑張ります。

女騎士、経理になる。 (4) (バーズコミックス)

女騎士、経理になる。 (4) (バーズコミックス)