ラップで描く波乱の私小説 輪入道「左回りの時計」


KOK2016決勝。
GADOROが優勝した影、決勝で敗北した輪入道。


リーゼントに剃り込み。
いわゆる「悪そうなやつはだいたい友だち」の悪そうなやつを地で行くルックス。
いかつい風貌とがなりたてるような独特のライミング。
MCというより、もはやアジテーション。

MCバトルは、いつも勢いがあって熱い戦い。
相手のケツのワードを取り、確実に踏んで力任せに押さえつけていく。

しかしMCバトルはMCバトル。
音源となると、話は別。
即興が上手くても音楽性が高いか低いかは、ひとそれぞれ。
自由競技の上手い選手が、規定競技も果たして上手いか。



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ドロップイン・ドロップアウト

NYサウスブロンクスで産まれたとされるラップには、多民族国家・白人中心のアメリカ社会へドロップインするという機能があった。

1960年代は公民権運動の時代。
ブラックパワーの流れからヒップホップは産まれ、ラップによって資本主義社会での成功がテンプレートになった。
白人社会で成功を収めた黒人ラッパーは金の鎖をつけ、セクシーな女性をはべらせメイクマネーを歌う。
外から中へドロップイン、そして資本主義社会で成功をしてみせる。
これには、パンクロックなどの音楽が社会からのドロップアウト(あるいは社会へのアンチテーゼ)として機能しているのとは違うベクトルが見える。

日本では、パンクでもロックでもロックンロールでも解体され、ポップスとして昇華されてしまうことが多い。
中流家庭に生まれた一般人は社会の中にいて、そこから飛び出るほど不自由でもなく、中にいれば中に入る必要もない。
ドロップインもドロップアウトもしないロック。
だから社会的な位置より、日常の機微やパーソナルな視点の愛や恋や、いなくなった君の影や逢えないから恋しくて貴女を想うと切々に歌い上げる。

そこに上や下や、内や外などといった社会的立ち位置はない。
モラトリアムなロックは、果たして社会的にどの位置だろうか。

左回りの時計

左回りの時計

輪入道の2ndアルバム「左回りの時計」
ここにあるのは、明確なドロップインの物語。

マスター もう一杯くれ、まだ帰れねぇ
あの野郎に刺すトドメ 覚悟の上

千葉で無茶をやった不良が、ラップに出会い、荒れた生活の中でもラップをやめられず、ラップにすがりながら生きる。
不良という生き方を選ぶことでドロップアウトし、ラップで成功しドロップインする。
叩きつけるようなフローと凶暴なリリックで怨嗟の声を吐き散らす。
半グレ、DV、薬、暴力、エゴ、性欲、ねたみ、うらみ、つらみ。
突き刺さってくる情景は、黒く、とても鋭い。

ハタチの元旦には、包丁握ってた
腹にマガジン入れて、東京で生きてた

狐火に通じるような、それでいて凶暴な負け組の人生、ストリートの現実の情景が、輪入道のギラギラと熱く、尖ったリリックで描かれていく。


そんな暗く重いトーンが、中盤の収録曲「my friend」によって突然風景が変化する。
アコギのトラックにサンプリングされた虫の声が流れる中、友だち、風景、地元へのリスペクトを切々と歌う。
そこにそれまでの尖った声はない。

そして“死”
このアルバムを一貫するのは惨めでも辛くてもひどくても生きることと、そして死ぬこと。
直接的ではないが、描かれるのは友人の葬式での風景。

笑って、無になれますように

中盤では転じて、冒頭の叩きつけるような勢いはなくなり、陰鬱な、それでいて優しげなトーンが全体を包む。

そして終盤「HOLIDAY」で、一転してオシャレでアーバンなトラックに平和な休日の情景が描かれる。続く「徳之島」では、ライブで訪れた徳之島で人の温かみに触れ、柔らかいトーンで情景が浮かぶ。
この変化は一体何か?

作中作

ここからは、あくまで個人の勝手な読み方。
こんな見立てはどうだろうか。

前半。
他人の成功をねたみ荒れ、毒を吐きがなり立てる千葉の不良の姿がそこにある。
どこまでも続く暗い闇の中でもがき、暴力と悪意が支配している。
しかしそんな生き方をしていても、どこか疑問を感じる。

でも、ラップにすがり付く。
ふるさとへの思い、友人の死、ひとの温かみ。
それらに触れ、ラッパーとしての生き方を選んだのが輪入道。

アルバム後半。
トーンが変わってからの音源は、作中作としてのアルバム。
アウトローな不良の世界から、ラップでドロップインし、社会に適合。
一般社会で成功するために一般じゃないラップという手段で生きる。
しかしそんな生き方をしていても一抹の不安はぬぐえない。

「左回りの時計」にはこうある。

汗だくのタオルを水道にさらす/固く絞って頭に巻くターバン
呼び出され、現場に向かう労働者/荷台に詰め込まれ、まるで護送車
(中略)
なぜか未来の自分と重なる

一般社会で生きることを決めても不安が拭えない。だから未来の自分と日雇い労働者が重なって思える。


このアルバムは、輪入道の私小説。
そう捉え楽曲全体の構成を眺めれば、いろいろと見えてくる。

作中人物(=輪入道)である荒れた生き方をしてきたラッパーが、友の死や、人の温かみに触れ、生き方を変化させ、社会に生きることを決め、ラッパーとしての作品を作り上げる。
「HOLIDAY」以降の楽曲を、作中作の「私小説の主人公が作ったEP(4曲)」と捉えれば、アルバム全体が非常にコンセプチュアルだという見立てになる。
全体を通じて一つのストーリーをなしている。明確なトーンの変化はこれで説明がつく。

輪入道

1stアルバムと聴き比べて、明らかに喉を絞って刺々しさを増したライミングは、過去の荒れた輪入道という作中人物を表現する手管なのかもしれない(後半、ライミングを丸くしている)。
これが狙いとして作られているのだとすれば非常に面白い試み。

一昨年、ベストとも言われたケンドリック・ラマーのように輪入道「左回りの時計」もそういう「一つのストーリーを描く」「一つの世界観を多角的に断片として描く」コンセプチュアルなアルバムだとすれば、とても面白い試みがなされている。

生きることの苦悩や葛藤を描き、それでも救われずに、日々を生きるしかない。
人生負け組、でも負けているだけじゃない。
そこに、ある種の諦観と死生観、そして情念が感じられる。
MCバトルで荒々しい面を見せる輪入道が、これほどセンシティブな作品を出してくるなんてラップは面白い。

日本語ラップに興味があるなら聞いておいて損はない、オススメできる一枚。

左回りの時計
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