映画「ラ・ラ・ランド」が賛否両論なので賛否してみる

ユングのサウンドトラック 菊地成孔の映画と映画音楽の本

今日は、突然休みになったのでパク・チャヌクの「お嬢さん」か、噂の「ラ・ラ・ランド」か悩み、時間的に「ラ・ラ・ランド」を観ることに。
少しお高い席がサービスデーで安かった。
座席をリクライニングさせ、フットベッド上げ、横幅も余裕があるシート席に座って、だらだら観るのは、もはや部屋感覚。アレはクセになりそう。

お前の鑑賞状況はどうでもいいって?
では、本筋。

以下の記事は、
・「ラ・ラ・ランド」のいいところを褒める(ネタバレなし)
・「ラ・ラ・ランド」の悪いところをけなしてみる
・「ラ・ラ・ランド」を擁護する記事を考えてみる
・「ラ・ラ・ランド」をけなした菊地氏の記事を考えてみる
・最後に

の構成になっております。
観ていない方は、ネタバレなしだけどうぞ。



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冒頭、渋滞の道路(ハリウッドへ向かう道が険しいという暗喩)。
原色の衣装を着たキャストが飛び出して踊り出すシーンからスタート。
高速道路を閉鎖して撮影。
並んだ車が舞台セットと化す。
渋滞というストレスマックスの環境が、歌一つで風景を変える世界の変容。

衣装も照明も、色にこだわっている。
赤い壁に赤いドレスを着たキャストが立つときは、青いドレスを前に当てて色の違いを見せて踊ったり。
特に効果的だったのが、プールのシーン。

カメラが一度高く上がり→落ちて水中まで→浮上してプールサイドのキャストを映しながらグルグル回る。
ここで(レンズが濡れて)フォーカスが合わない状態で回ることで、色鮮やかなキャストの衣装が輪郭を失って色だけが浮かぶ。
万華鏡みたいに、これは面白かった。
原色の衣装だからこそぼやけた世界にも色だけが映える。

ともかくカメラが動く動く。
この作品のカメラワークの楽しさはもっと語られるべきで、これまでのミュージカルではできなかっただろう特殊な画角や望むカメラの動きをここまでやれるのは技術が進んだ今だからこそとも言える。
それにスローモーションのシーンではフィルム的にそれをやらずにキャストがわざわざゆっくり動いてスローを再現するこだわり。


「ミュージカルとは何か?」(なぜ突然歌って踊るのか?)という問いに対して、この映画では「観客が望むべき画」「比喩的な描写をエンターテイメントとして具象化する」側面を見せる。
フィクション内の現実に対してミュージカルシーンはメタレベルの虚構でありながら、フィクション内の現実と同軸に位置する。
ミアが女優を目指し、映画に対してこだわるのも、この映画が「ミュージカル映画というものを客観的に(メタに)見たミュージカル映画」だという自己言及的な構造にあるからだと思った。

ミュージカルをあまり観ない人にこそ観てほしいような作品。
間違いなく観て損はない。
画面の作り方や色の使い方などだけでも見ていて楽しく、サントラも上質。

Ost: La La Land
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※このサントラいいですねぇ

と褒めたので次はけなそう。
ネタバレありで。

元祖高木ブー伝説

菊地氏の評は、さすがに貶しすぎだとは思うが、ただストーリーは特筆すべきこともない。
春に君と出会い、夏に君を愛し、秋に君と分かれて、独りの冬が来たなんて筋肉少女帯が「元祖・高木ブー伝説」でとっくに歌ってる。
まるで高木ブーだ!!

色に関しても春や夏は原色、秋は中間色が増え、冬は白黒の服をエマが着てるなんてのもわかり易すぎてそれほどのこだわりは感じない。
カラーリングで連想するのは同じライアン・ゴズリングが出演してるニコラス・ウィンディング・レフンの「オンリー・ゴッド」
あの作品では、赤は血の色でありアジアの神の色で、青は西洋の文化の色の暗喩として機能してた。
この作品でも色は目立つが、暗喩まで考えられた配色は感じなかった。

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そしてジャズ。
ライアン・ゴズリング扮するセバスチャンはイマドキの新しいジャズを受け入れずに古いスタイルに拘る、という設定だが、そもそも古いジャズって言っても、マイルス・デイヴィスのエレクトリック・マイルスですら70年代。
80年代にはエレクトリックや民族音楽、90年代にはラップにも手を伸ばし死ぬまで進み続けたのがマイルス・デイヴィス。

セバスチャンは、マイルスすら否定するのかね。
そう言う漠然とした懐古趣味にこだわる感じも菊地氏が嫌いそう。
この前ロバート・グラスパーがJAZZPOLICEってツイートしてたが……。

そしてあの劇場。
あの劇場ははじめて二人が映画デートした場所で、エマが脚本を書いて自分で舞台を演じた場所。
なのになぜセバスチャンはあの劇場跡地を買い取らず、どっかの地下にジャズクラブを開く。
意図的だとすれば「成功をおさめたミア」「一応、夢は叶えたセバスチャン」という対比なのかもしれないが。
 
 

フィクションと幻想

さて、(自称)全力で菊地氏に向かっていった記事。

www.fooltoneet.com

この作品の主人公はミアです。
セブではなく、ミアです。

ということが、あの感動的なラストシーンで明らかになる構成になっています。
(中略)
ここで、「今までのダンスシーンはミアの心情を反映したものだったのでは?」という考察の切り口の示唆を与えてくれます。

ダンスシーンは、ミアの中の心理描写の映像化だった、と。


まず、この映画は「ミュージカル映画というジャンルの復古」
庵野の「シン・ゴジラ」や、アントン・フークァが「マグニフィセント・セヴン」、タランティーノが「ヘイトフルエイト」を撮ったり、いまどき怪獣映画や西部劇をわざわざ撮るように。
廃れつつあるジャンルをもう一度蘇らせようという挑戦。


ミュージカルシーンが果たしてミアの夢なのかそれともセバスチャンの夢なのか?などというフィクション内で完結させる必要はなく、ミュージカルシーンは「キャストと観客の間」にある。

それにニアのいない桟橋のシーンで、ライアン・ゴズリング一人で踊っていたけれど?
帽子をクルクルして。


La La Land (2016 Movie) Official Clip – “City Of Stars”

ダンスシーンは、ミアの夢ではない。
もしそうなら冒頭の渋滞だって、ミアがもっと踊ってていい。

最後の「やり直しの幻想」は、だから「二人のありえたかもしれない世界」
アレは幻想ではなく、もうひとつの「ありえたフィクションの中の現実」
だって映画なんだから。
映画は、幻想を現実に変えることができる。
渋滞の中で歌い踊ったり、プラネタリウムでは星の世界で踊ったり。

なのになぜ「誰の夢なのか?」と限定してしまうのか。
そもそもミアとセバスチャンという二人の恋物語を、観客は鑑賞できる「神の視点」にあるのに、ミュージカルシーンだけを「作中の登場人物の幻想である」と限定してしまう意味は、フィクションを観賞する上でまったくない。

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ウディ・アレン「カイロの紫のバラ」は、夫に飽き飽きした妻ミア・ファローの前に、映画の登場人物ジェフ・ダニエルズが飛び出してきて、二人は恋に落ち駆け落ちするというドタバタコメディ。
でもその飛び出してくる登場人物が、夢か幻か、誰の夢なのかなんて考察は必要ない。
だって映画なんだから。
そういうもの。


あれは観客の夢というより「観客が望む(映画として見たい)夢」というべきか。
クラシカルな、古典的なミュージカルならこうだったでしょう?と言ったような。

「君たちが見たいものも見せられるんだよ、そう映画ならね(by監督)」。


手作り感溢れる(印象派っぽい)ミュージカルのセット(ミシェル・ゴンドリー風の)もクラシカルな、戯画化された、昔っぽさと考えれば。
あの多幸感溢れる世界は、やはりそういう「少し前の映画の世界」をイメージしているとしか。
だからこそミアの中の幻想ではないでしょう(だったらなぜあのシーンだけがアレほど戯画的なのかと)。

仮に幻想だとするなら、それは二人共の夢だったもの、かもしれない。
どちらとも同じような夢を見ていた、としても不思議はない。
二人の二時間にもなる長い付き合いを見た上で、当事者同士も観客もみな同じような「夢」を望んだが、フィクション内の現実では叶わなかった。
あの物語を知る、すべての人の思い描いた「理想の幻想」
むりやり幻想にするならそれでもいいかもしれない。

どんでん返し

たとえシニカルなフィクション内の現実でも、映画なら夢を見せることができるんですよ、といった感じ。
どんでん返しが存在しているのに、そのどんでん返しは「面白くないと思っている人の評価を覆すもの」ではなく、
「ここまで面白いと思っていた人のためのもの」だったのです。

さらに付け加えて言うなら、
「ここまで面白いと思っていてハッピーエンドになるだろうと予想した人を裏切るため」のどんでん返しなんです。

ミステリーでもそうだが、どんでん返しが驚くのは予想に反するから。
意表を突かれ「お前が犯人だったのか?!」と思うから裏切られる。
驚くべきどんでん返しってのは、そういうものを指す。
ところがこの作品においての裏切りは、

・二人はうまくいきそう(愛してるよというセリフ)→五年後違う人生を歩んでる

これでは「えぇっ?!」なんて驚きはない。
あのセリフからしかもハンパなセバスチャンの態度から五年後うまくいくだろうなーなんて思ってなかった。
それに一組のカップルを追う以上、グッドエンドかバッドエンドしかない。

ウディ・アレン(この記事二度目)のシニカルな「世界中がアイラブユー」というミュージカルがあるが、アレだとゴールディ・ホーン、ウディ・アレンとジュリア・ロバーツの関係とドリュー・バリモアを挟んでエドワード・ノートンとティム・ロスのライバル関係とか、ウディ・アレンの娘の恋愛とか群像劇になってる。
これだとどれかが上手くいかなくてもどれかがうまくいく。
変な相手とくっついたりしても驚きがちゃんとある。
どれも上手くいかなくても家族がある。
群像劇というのは、そういう救われる構造がある。

ところがこの作品には、ミアとセバスチャンのグッドかバッドかしかない。
どう転んでも意外性はない。
五年後……じゃなくて、そこが大事だろ、と。
そこで機微が描けていたかどうかと言えば、かなり端折られていたとしか。

菊地評

realsound.jp
菊地氏は、けなし過ぎだとは思うが全部が全部的外れではない。
正直、映画のあと「あんなに批判する内容だっけ??」と思って読んだら、そこまで的外れじゃなかった。
わからなくはない。
ちょっと過剰ではあるが。

こんだけヤオイ(山なしオチなし意味なし)を連呼する文章久々に読んだが、ここでのヤオイは「映画のフィクション世界(一次元)だけでの盛り上がりで処理せず、盛り上げ場は音つきダンス付き(二次元)で盛り上げる」ことに対しての蔑称的な使い方をしてんだろうなぁ、と。
だから物語的に足りない、と。
その辺が脚本の薄さを補ってると言われても仕方ないのは、「元祖高木ブー伝説」一曲で歌う内容を二時間の映画で描いたって点。

どんでん返しと言っても、ネタのあり方が派手なだけで、物語としては、古典的というか(前述の通り、これは『シェルブールの雨傘』を見て、良いなと思った。程度にしか思えないが)「今は成功をつかみ幸せ。でも、この幸せを、本当はあの人と掴みたかった。という想い、ありませんか?」というやつで、何つうか、結局最後もヤオイなのである。

だって、主人公2人は、共に夢を実現したのだ。大ハッピーエンドじゃないの。予想だにしなかった展開で、いきなり再会したって、良いじゃないの(SNSの存在なんかこの世にないみたいな描かれ方だけれども)。なんでこんな、シリアスな悲恋モノみたいになるかね? まあ、これ見て「わかるわあ」つってうっとりする人々が世界中にいるのである。すごい速さで書いてしまうが、アホか。

ここに関しても首肯できてしまうのよなー。
なんだかんだ菊地氏って、ここの部分で「は?!」となったのが見える。
だから全体をこき下ろすというよりも、やはりこの部分(とあとジャズ)なんだろうなぁ、と。

「ラ・ラ・ランド」には仕事と恋愛の軸があって、この物語は仕事にシフトして恋愛をしくじる(作中の恋)という構造で、これは「セッション」で付き合ってた女の子を一方的にフってジャズドラムに賭けた主人公と二重写しになる。
これが菊地氏のいうチャゼルマナーなんだろうが。
だから

こうした指摘は、元ネタである『シェルブール』にもあった。ストーリーをどう咀嚼しても、あんなオペラみたいな大げさな悲恋じゃないんじゃないの? もっと軽く幸福にできたろうに。それでも、あの作品には戦争も絡んでおり、話にそれなりの重みがあった。フレンチミュージカルは、ドラマの充実とミュージカルの夢を融合しようとして、やや無理が祟ったジャンルである。『ラ・ラ・ランド』は、更に現代的で、若手で人間ドラマが苦手なチャゼルくんが、フレンチミュージカルをこじらせたようなものを、音楽への憎悪と恐怖をどぎつく描いた『セッション』からの、返す刀の勢いで作って、今の所、それしかできないとしか思えないパンチドランキング効果で大成功したのだ。暖かく、粋で、ハッピーフィールな素材でも、どぎついのは同じなのである。

このアンハッピーエンドがよほどお気に召さなかったわけですよね。
自分もハッピーエンドで気分よく、エンディングでの大ダンスシーンで魅せてくれればエンターテイメントとして観客もスカッと終わったのになんかモヤッと終わらせたいのはこの監督なんだろう。
だから、この展開を菊地氏が嫌いなのもわからなくもない。
ここまで蛇蝎のごとく批判するほどか?とは思うが。

そこ以外は多幸感溢れるミュージカルに仕上がってたので(もっと歌のシーンがあってもよかった)エンターテイメントとしては充分上等だと思ったが脚本賞は、そりゃあ獲れないでしょう。
同じようなことは思ったけれど、90点が80点とか70点になったような感覚で、菊地氏みたいに10点だとは思わない。

ラブソング

たとえば、あの「愛してるよ」のセリフのあと、ダンスシーンを入れて、

「二人は一緒に夢を追うのでした……FIN」

でも、あの映画は成立するはずで。
だから「五年後」が果たして必要だったのか否か。
あぁいうシニカルさを描きたいならもう少し物語に深みが欲しいというのも確かにそのとおりかもしれない。

とはいえ、なんだかんだ、ブルーレイは出たら買う気がする。
部屋でゆっくりノイズキャンセリング効かせて、ワイン呑みつつ観たい。


ところで昔、「ラブソング」って香港映画があって、、いわゆるすれ違い系ラブストーリー(非ミュージカル)。
こちらもすれ違った二人は、10年の年月を経ることになる。
似た構造だが「ラヴソング」の方が物語を圧倒的に上手く、切なく描いてる(ネタバレなので書けないですが)。
是非、見て欲しい。

あと「世界中がアイラブユー」はアマゾンプライムの無料枠で観れるのでミュージカルが気になる方はどうぞ。
エドワード・ノートンが歌も踊りも上手くないのが見どころ(ティム・ロスは上手い!)。
そしてウディ・アレンは、いつものように何故かモテる(あのルックスで)。
そう言えばアレンもジャズだな。

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