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インターネットの俗人化は避けられない

WEB ブログ

Web理想主義

mubou.seesaa.net

例えば私は、かつて、「ある情報の価値は、「誰が発信したか」ではなく、その内容と信頼性で評価されるべきだ」と思っていた。

「情報の評価に際して、発信者の権威なんてものを勘案するべきではない」と思っていた。「だから、発信者の属性情報なしで様々な情報を発信出来るwebは、情報を公平に評価できる場所として理想的だ」と思っていた。「情報を評価するに当たって、発信者の属性情報なんて邪魔なだけだ」とすら思っていたのだ。
(中略)
ただ、現時点での話をすれば、私にとっての「web理想主義」はだいぶ揺らいでいる。ともすれば「いや、これは現実性のかけらもない理想だったんじゃないか?」と思ってしまいそうになる程だ。

今の私は、「誰が発信したか」は結局、情報の信頼性を判断する上で不可欠な要素なんじゃないか、と思い始めている。

“Web理想主義”は、Webという「必然的に情報が欠落する」「実存とつながらない」からこそ成立する。
何かを書き込むとき、書きこもうとしなければそれ以外の情報は記録されない。
アップロードされる恣意的・意図的に情報はコントロールができる。
だからどこの誰がどういう生き方をしてきたかと、どういう発言をするのかが必ずしも結びつかないのがこのWeb。
現実世界で、ニートであろうが、社長であろうが、その言葉の重さが等価になりえる。
そこで生まれた価値観が、しんざき氏言うところの「Web理想主義」だろうか。



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たとえば増田*1という匿名書き込みメディアが注目され、例の「日本死ね」や謎の怪文章などが投稿されるのもそんなウェブならではともいえる。

侵食

だがそんな理想がもし揺らいでいるのだとすれば、それは現実がWebに近づいているという現れだろう。
かつてのテキスト主体だったホームページの時代に、匿名主義は当然のこと。
ウェブで実名でいるというのは実存と書き込みがつながることを意味する。
それは権威になりえるし、看板になる。


今、マネタイズをメインにするブログの多くは自身の名前を権威化しようと必死で、キャラクターを立てそれで集客をする。
成功すれば今度はそれを現実にフィードバックさせる。

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アクセス数とその儲けが権威化する。
現実の社会的実存を看板にし、逆にウェブの実績を実存にフィードバックする。
実存とWebをつなぐのはやはり人間の欲。
自分を大きく見せたいからアクセス数を看板として立てて誇り、志を同じにする人々相手に儲けた額を並べ撒き餌にする。

儲かります、注目されます、アクセスが増えます、だって僕は儲けて僕はアクセスされてるんだから!
◯◯万アクセスブロガーです(* ՞ټ՞)


かつてギークの遊び場だったWebは遥か遠く、マジョリティがその領域を増やせば増やすほどWebは現実の延長になっていく。
スマフォが普及し、誰しもが日々アクセスするようになったインターネット。
利用者が増えれば増えるほど日常空間がWebに溶け込み、俗人化が進んでいくのは必然。

金にならない上に扱いが難しいから企業がスルーしてきたWebにマジョリティの数が増え、市場が拡大するにつれ、その人口も比例して増えてきた。
そしてヒトを動かすのはいつも欲望。
金銭欲、名誉欲。

おそろしさ

だがだからこそWebはおそろしい。
薄氷の上を踏みはずさないよう言葉の橋を掛け渡ろうとしても、時にはしくじり踏み外す。
現実では、数人相手でもWebでは数百数千ときには数万数十万数百万。
ある種、匿名性というのは書き手からすれば保険でもある。
どれだけ強い言葉でも、匿名性があるからこそ受け止められる。
アカウント、アバター、コテハンも同じ。

必ずしも実存と結びつかなくてもその緩衝材として、その発言の看板としてアバターを立てることで発言と発言者の固定は叶う。
完全な匿名でなくても。

「誰が何を言ったのか」において実存を結びつけている人は、現実社会の実存に対してフィードバックを受けることもできるが、それは是も否も同じこと。

ブログが炎上して自殺した小泉みつお議員は一体何を書いてしまったのか? - GIGAZINE

かつてブログが炎上して自殺した議員もいたが、彼のように社会的に知名度のある人物がWebで発言し失敗をすれば現実に返る。
利点もあるが欠点もある。

aska_burnishstone’s diary

ASKAがブログを通じて自分の意見を発言したのもWebならではといえる。
テレビでは、個人の情報をそう簡単に発信できない。
だが最初にブログができたときは真偽が問われた。
本物なのか偽物なのか。


LINE LIVEの上位を占めるのは有名人より一般個人。
彼らは、現実に人気をフィードバックし、それを見て憧れる若者がさらに参加してコミュニティは広がる。

ブログのマネタイズは進み、徐々にレッドオーシャンになってくるのも必然。
稼げなくなったとき、マネタイズを叫ぶ人らは果たしてどうなるか。
日々グーグルのDoodleに合わせてウィキペディアを改ざんするトレンドアフィリエイトのペラペラコンテンツが検索上位に並ぶディストピアは、果たしていつまで続くのか。


IOTが叫ばれるのも現実とWebをすり合わせる試み。
アクセスが容易になればなるほどWebの利用人口は増え、舞台上のキャストは入れ替わり、ネット独自のパラダイムは社会に迎合していく。

Webの俗人化は避けられない。
そういう世界を生きる旧型のWeb理想主義者は、流れに迎合するのか、それとも頑なにスタイルを維持し続けるのか。
理想はどこまでも理想でしかないし、模範的理想を壊すのはいつだって現実社会と個人のエゴ。

何が正しいのかは、時間が結論を出すとしか言えない。

インターネット文化人類学

インターネット文化人類学

*1:はてなアノニマスダイアリー