リスクがあっても楽して生きて、楽して情報を消費したい

maname.hatenablog.com

情報というものは、ある人には有意義でも別の人にはノイズとなるものです。自分にとってノイズであっても、それを取り除くのは本当に本当に本当に大変な作業です。そんなことで苦しむくらいならば、そもそも情報の大半はノイズなので、その中から有意義なものを見つけることができた時に喜ぶようなスタンスでいた方が情報収集は楽しいと思います。それでもノイズは嫌だと思うならば、お金を払ってノイズを取り除いてもらうか、自分で自分のための情報収集プログラムを書くことをお勧めします。



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コンビニ派と自炊派

コンビニや、スーパーのお惣菜もバラエティ豊富になり、自炊を全然しなく(できなく)たってなんとなくやっていける。
家族で住んでいるひとはまだしも独り暮らしをやってると材料買ってきて、切って煮炊きして焼いて、作りすぎて余ったら保存して、鍋なんて冷蔵庫のスペースを思いっきり圧迫するし、温め直すのもこの季節はばい菌の繁殖や食あたりを気にしなくちゃならなかったりして、そういう材料費に反する過剰なリソースを割くならコンビニやお惣菜買って来て食べてることの方が自然にも思える。
料理やってる時間があるならその分働くほうが、よほどリソースは効率的だと言えるかもしれない。
もちろん自炊派の言う「作るという行為に意味がある」ってのも理解できる。
作ることで初めてわかることも多いし、自分で作るからこそ味付けや調理、材料についても詳しくなる。
自分で作らなければ醤油味と塩味の区別もつかないかもしれない(実際、そういうひともいる)。

自炊にしろコンビニにしろそのリソースをどう配分するかという差でしかなく、どこに価値を見出すかという差だと考えれば必ずしもどちらが上策とも言えない気もする。

スマフォ派とPC派

最近の若い方というのはパソコンよりスマフォやタブレットで、キーボードよりフリックや音声入力なのだそうですが、それって要は「それでできることで足りる」ということでもある。
発信者はPC、受信者はスマフォと言いますが、情報を単に受け取って処理するだけの端末としては、単機能なタブレットやスマフォが向いてる。
APPLEもようやくiOS11でPCに近づけようとしたり、Windows10もContinuumを搭載したりして、スマフォとPCの境界を近づけようとしてる。
とはいえその壁はやはり高くって、PCを使う人からすれば物足りず、スマフォ使いからすれば過剰なスマフォのPCモード。

そうやってスマフォで情報を受け取り、処理するだけのひとからすれば、わざわざ情報のゴミを取り、処理をするなんて面倒で仕方がない。
まとめられていればそれでいいし、誰か信用してるひとがRTしてるんだから間違いない。
炎上してると言われるから炎上してるんだろうし、ひどいと言われてるからひどいんだろう。
それで足りる。
人間というのは簡単な方を選ぶ性質を元々持ってる。

フィルタリング

たとえばミステリーを読む人というのはミステリーばかりを読む。
いわゆる新書のビジネスマン向け本や国防や思想本はあまり読まないかもしれない。
自分の好みというのは明確にあって、そういう本をついつい選んでしまう。

とはいえ「いやいや、もっと恋愛作品も読んだほうがいいよ」とか「ちき……じゃなかった伊賀泰代の生産性も読んだら?」「バフェットのスノーボールくらい常識じゃね?」とか言われても、いや読みたきゃ読むわと。
そりゃあいろいろ読んでる方が役立つのはわかる。

だが好きなものをひたすら好きなだけでフィルタリングすることも別に悪いことでもなさそうに思える。
人生は一度きりであって、時間のリソースは際限がある。
だからこそ自身の好きなものにだけ使いたい。
「自分の知りたいことだけを知りたいし、知りたくないことは知りたくないし、だから情報だってフィルタリングされてるならそれでいいし、それを愚民だとか情弱とか呼ばれてもそれはそれで、その分リソースをもっと有益に使ってる」
そういうひとも多いだろう。

料理ができなくたって、魚をおろしたり、肉を捌けたり、きんぴらごぼうを作れなくたって生きていける世界で。
三食コンビニやスーパーのお惣菜でなんとかなるこの世界で。
情報を恣意的に取捨選択して自動でバイアスを掛けられる世界で。

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イーライ・パリサーは自著「フィルターバブル」の中でグーグルによる無意識な情報のバイアスに警笛を鳴らしたが、今やそんな情報バイアスも当然のように生活に入り込み、検索結果に大した疑問も持たずに日々ググってる。
果たしてどれだけの人がGoogleの掌から逃れるためにDuckDuckGoを使ってるのか。


出来合いのお弁当を買うように、まとめサイトでオススメしている作品だけで満足するように。
RTされれば信用し、見てもいない確認していないものをそのまま納得してしまうように。
ツイッターで好きな人だけをフォローしてキャッキャウフフして毎日を過ごすように。

日々受け取る情報は、果たしてリスクを感じなきゃならないくらい生きる上で必要なのだろうか?
不要な情報の中から有益な情報を取捨選択するリソースと不要な情報を受け取らないリスク。
果たしてどちらを選ぶのが上策か。

要はその人が「社会やコミュニティにおいて、どういう位置になろうとしてるひとなのか」って目指すものでその感覚も大きく変わってしまうんじゃないだろうか。

人間は、ともかく楽をしたい生き物。
問題は、情報バイアスのリスクより根本的な人間の怠慢さじゃないだろうか。

私は、人は怠け者だというつもりはない。失礼だし、実際そうは思っていない。
しかし人の怠慢さを甘く見てはいけない。人は楽な道を選ぶということは周知の事実かもしれないが、手間をかけることが想像以上に嫌いな生き物なんだ。筋道を考えることと、人間の怠慢さを十分頭に入れておくことがとても重要だ。
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