映画「コクソン」 韓国映画とキリスト教

哭声/コクソン(字幕版)

ナ・ホンジン監督の問題作「コクソン」をようやく観ることができた。
非常に体力の必要な、各所に暗喩が多く、さすがナ・ホンジンだけに一筋縄ではいかない作品で、色濃い宗教観が特徴でもあった。

同作の考察系ブログは多く書かれているので、ここでは少し広げて韓国映画とキリスト教という観点で考えてみたい。
以下、幾つかの作品のネタバレを含むので慎重にどうぞ。



【スポンサーリンク】



キム・ギドク

韓国映画界の中でもキム・ギドク監督作品には、宗教の影響が色濃く出たものが多い。
例えば「春夏秋冬、そして春」では山寺での巡る季節が淡々と描かれ、仏教的なリ・インカネーションを暗喩している。

老人と少女だけが住む舟を舞台にした「弓」
ロリコン変態老人の映画だと言われているが、表面的なディテールを除けば、舟は神殿であり、少女は巫女。
そして弓とは愛染明王を指す。
外からの力によって神殿の均衡が崩れる様子を描いた作品であって別に変態老人の映画ではない。

さらにギドクは「サマリア」「嘆きのピエタ」でキリスト教的な贖罪、罪と罰を描いている。


親切なクムジャさん プレミアム・エディション [DVD]
ジェネオン エンタテインメント (2006-03-24)
売り上げランキング: 26,870

パク・チャヌクの復讐三部作「親切なクムジャさん」
刑務所で主人公クムジャは縁台の前で信仰について語り、模範囚として出獄する。
サンタクロースの格好をして刑務所まで迎えに来るキリスト教の伝道師。
しかし信仰は見せかけ。
刑務所を出たクムジャは、復讐を始める。


アンチ・キリスト

韓国では人口の約3割がキリスト教徒だという。

同じくパヌ・チャヌクの映画「渇き」では、ソン・ガンホ演じる神父が新薬開発の人体実験に身を捧げ、代わりに不死の吸血鬼になってしまうニヒリズムな展開を見せる。
神に仕える身でありながら血と性を求め彷徨い歩く吸血鬼。

ここでの吸血鬼は、単なるクリーチャーではなくアンチキリストな存在。


一方、日本では特撮映画「ゴケミドロ」や漫画「彼岸島」などに吸血鬼が見られるが土着的な色が強い。
アンチキリストな吸血鬼というより、記号的(キリストの威光の象徴となる十字架が効かない)な怪物として登場することが多い。
彼岸島も正当なキリスト教ではなく隠れキリシタンなのは示唆的に思える。

彼岸島(1) (ヤングマガジンコミックス)
講談社 (2012-09-28)
売り上げランキング: 21,631

日本でアンチキリストを描くことはミスマッチであり、アンチキリスト的な悪魔の存在を描くより、故人の怨念を描く方が観客にリアリティを感じさせる。

日本の観客の多くにキリストの信仰がベースとして存在しないから悪魔の存在や神の慈愛はリアリティがない。
日本では、オーメンやダミアンの恐怖も薄い。

仏教的なリ・インカネーションも少女漫画的な世界でしか取り扱われず、現実に見られる死んでもなお残るような執着や恨み、憎しみにこそ、多くの観客がリアリティを感じる。
怨念を残したまま井戸の底で死んだ貞子、ストーカーのような執着心を持つ伽倻子。
その意思の力だけがこの世界に残り、呪いを撒き散らし、無差別に殺す。

貞子vs伽椰子
貞子vs伽椰子
posted with amazlet at 17.07.24
(2017-02-20)
売り上げランキング: 22,013

だから貞子や伽椰子の怨念には、信仰で対抗することが出来ない。
映画では超能力者が登場し、こちらも信仰ではなく意思の力で戦うことになる。

日本のホラーの場合、霊媒師は十字架ではなく数珠を持って登場するし、霊体や悪霊と戦うのは牧師や神父、神主より坊主であることのほうが圧倒的に多いし、信仰が怨念に勝つことはマレで大概敗れる。
日本の霊は数珠とお経ではなく、十字架と聖水でもなく、超能力で倒せると言うのは面白い。

コクソン

ナ・ホンジン監督「コクソン」では、暗喩的にイエスが描かれる。
面白いのは、登場する祈祷師が行う祈祷は道教などのそれであり(映像的叙述トリックだが)、取り憑いているのは「悪魔」ではなく「悪霊」と呼ばれる。

だが実際、映画の本質は神と悪魔の物語であり、さらに言うなら土着の神と西欧的な神の争いの話でもある。
これは西欧文化と韓国古来の文化との衝突が暗喩として描かれているのかも知れない。

「コクソン」は、観客の受け取り方に委ねている部分が多いので、明確にはなっていないが、國村隼演じる謎の男は日本人……劇中ではイエスとユダヤ人の構図ではあるが、韓国と日本という関係性並びに韓国と西欧(米国)という対比も連想させる。

さらに劇中、登場する神父は悪魔の存在を否定し、現実主義な回答しかしない。
神秘主義を否定する近代的思考の神父と実存するイエスと悪魔。
信仰とは「信じ仰ぐ」と書くわけだが、現実主義で神秘を信じない神父が司る矛盾したキリスト教とは果たして何なのか。

信じるものは救われる。
そして信じないから救われない。
「コクソン」が描いているのは現代における「信仰」そのものなんだろう。

哭声/コクソン(字幕版)
(2017-07-21)
売り上げランキング: 176