24時間テレビのマラソンはもうそろそろやめていい

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27時間テレビで誰が走るのかを当日まで知らせずにおくという演出にやらせだとか仕込みだとか色々言われているらしいが、そもそも「24時間走る」ことにどんな意味があるのか。



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24hour

たとえばフジテレビの27時間テレビが24時間テレビのチャリティに対抗して「楽しくなければテレビじゃない」とバラエティをぶっ通しでやるという対抗軸を打ち出したにも関わらず、いつの間にか「感動」に舵を切ったせいで「チャリティのない24時間テレビ」のようなバッタ物になった歴史が示すように*1、ある種の企画というのはどこかで寿命が尽きるもの。
そういう意味で24時間テレビというのはとっくに寿命が尽きている。

ただチャリティというお題目を生かすために、もはやそれが巨大な慣習、産業構造と化しているためにやめるわけにも行かないというのは企画倒れな箱物の公共事業にも似てる。

実際、チャリティをするのであれば毎日毎日チャリティの枠をとって定期的に流せば良いのだし、募金も受け付ければよく、1日に詰め込む理由は何もない。

今ならオンラインで振り込んでもらえば貯金箱を持った子供から募金を搾取する必要もない。

募金とマラソン

24時間というのは「一般の視聴者から募金を集める猶予時間」としての24時間だし、その出し物、客寄せパンダとしての24時間マラソン。

「みなさんが募金をしてくれる→走ることで頑張っている概念を可視化する、感動ドラマを演出する」
しかしマラソンに「走り切れば募金が増える」のようなゲーム性は必要ない。
視聴者はあくまでマラソンに「努力している姿」を「感動のゴール」求めているのであって、マラソン成功の可否ではない。
だからランナーは何の目的もなくただ走るためだけに走る。
だが、自主的にでもなく「急に走らされる」マラソンにどんな感動を感じればいいのか?

もはや慣習と化し空疎になった24時間マラソンのマンネリ化を打開すべく今回のような要素を盛り込んで、「走る理由のある人」なのだから、たとえば矢口とか高橋ジョージとか、ベッキーとか、まぁ「走る理由」がありそうなタレントを走らせ、バラエティ要素と話題性を加味しようという試みだろうし、仮にベッキーだとすればこの前のニューバランスのイメージタレント起用というニュースも香ばしく思えたり……桑原桑原。
上記のように問題を起こしたタレントだとすれば、感動より話題性を重視した結果かもしれない。

ともかく一つ言えるのは、日テレはともかく、フジテレビは27時間なんてやってる余裕がないんだからレギュラー番組の企画にもっと力を入れた方がいいし、誰か編成の偉い人が「もう27時間やめね?」と言わなきゃダメな時期じゃないだろうか。
もう、さんまと中居で深夜の2時間特番とかま騒ぎだけやればいい。
ジリ貧なのに祭りやってる場合か、と。

*1:そして24時間テレビがダウンタウンを司会にしてバラエティとしての24時間をやりサライを作ったあの年に企画としての存在は終わってるが