「運動神経が悪い」という人生の呪い

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幼い頃から外で遊ぶのが大嫌いだった。その頃から私のインドア精神が培われていたのである。故に身体を動かす事の楽しさを見い出せない時代を過ごした。


気が付けば私の運動スペックは酷いものになっていた...

・逆上がりが出来ない
・跳び箱が飛べない
・二重跳びが出来ない
・自転車に乗れない
・泳げない
・走るとだいたいビリ

スポーツテストは判定不能という前代未聞の結果が出てしまい、先生から「ふざけてるのか」とめちゃくちゃ怒られた。

結果がすべてかどうかはさておき、ちょっと思い出したので。



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元々、インドア派な上に体育が大嫌いで運動神経も悪い。
体育の成績は毎回見なかったことにしている子供時代を過ごしていた自分が、社会人になったあるときふと思い立ち肉体改造を試みた。
毎日残業続きで、あまりに不健康すぎたのが切っ掛けだったと思う。

筋トレをして、炭水化物を減らし、一年ほどかけて体脂肪率を一桁にしてみた。
そのとき、ジムにも通ったんですよ。
人生初めてのジムは意外と面白くって、運動と言うか汗をかくことの心地よさを生まれて初めて感じた。

正直、汗をかく機会なんてのは社会に出てからより学生時代のほうが圧倒的に多かったのに学生時代は運動が大嫌いなまま、まさか社会に出てから運動に目覚めるとは思わなかった。

運動神経という幻想

よく「運動神経が悪い」という。
この言葉がとてもよくない。

その「運動神経が悪い」という一語には、一体何が含まれているのか。

体力がない?
筋力がない?
柔軟性がない?
チームプレイに必要な協調性がない?
自意識過剰になってしまう?
身体をうまく動かせない?
苦手意識が拭えない?

仮に、体力がないなら体力をつける方法だってある。
苦手の克服は不可能ではない。
筋力がないなら筋トレ中心でやればいい。
柔軟性がないなら柔軟性を。
もしチームプレイが苦手なら独りでできるものをやればいい。
苦手意識があるなら簡単なものから徐々にならしていけばいい。

本来、身体づくりに期限はない。
テストがあるわけでもない。
何処かで結果を出さなきゃならないわけでもない。
死ぬまでに、トレーニングが容易なうちに苦手意識を振り払える程度の筋肉と体力があれば足りる。

社会で必要なのは、身体を健康に保つための筋力と柔軟性を維持する日常。
記録や結果なんて日常に必要ない。
運動神経が悪いなんて関係ないが一度刷り込まれた苦手意識は根強い。

学校の体育というのは決まった時間で決まった運動量をさせ、そこで結果を出させる。
本来、「運動神経」なんて漠然としたものはなくて、肉体が日常を行うレベルの健康的な体づくりは時間をかければどうとでもなる。

学校の定形の枠で計った結果、根深い「運動神経が悪い」苦手意識が出来上がってしまう。
クラスの中で比較されランキングが出来上がリ、余計運動が嫌いになる。
子供時代にかけられる「運動神経が悪い」という呪い。

そして学生時代に確立した「運動神経がない」という呪いはその後もずっと続いていく。
学生時代に出来上がった運動に対する苦手意識はとても強い。
一度、苦手意識が根付いてしまうと運動からどんどん遠ざかり、筋力が落ち、気づけばメタボまっしぐら。
運動神経が悪いから〜という理由付けで運動からどんどん遠ざかる。

FAST&SLOW

ファスト&スロー (上)
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ダニエル・カーネマン「ファスト・アンド・スロー」によれば、人間の意識は、ざっくりファストな無意識とスローな意識に別れる。

物事を考えながら歩くことができるのは、スローな意識で何かを考えつつ、そのバックグラウンドでファストな無意識が起動し身体を動かしているからに他ならない。
人間の大半の行動は自動化されていて「鍵をかける」と意識すればファストな意識のオブジェクトが起動し勝手に鍵をかける。
自分の右手は「鍵穴に鍵を差し込み、奥まで届いたら回転させ、カチッと音がしたら……」などとわざわざ考えなくても、「今日の予定は何だったっけな―」と違うことを考えながらカギをかける動作は行なえる。

野球選手がバッターボックスでバットを振る時、一つひとつの動作を意識していては間に合わない。
なにせスローな意識は一つのタイムラインを追うのが精一杯のシングルタスクであって、すさまじい速さで飛んでくるボールを打つのに動作をひとつひとつ確認し指示していては間に合わない。
だから野球選手は、反復練習を行う。

反復練習を繰り返すことによってその動作をファストな無意識に刻み込む。
「バッティング」というオブジェクトを無意識に作り上げ、本番では変数だけを与えてやる。
バットを振り出すトリガー、軌道修正と球筋によるバットの方向の最適化。
反復運動は、コントロールが難しい無意識に思い通りの動作をさせるための仕組みだろう。

基本的に身体のコントロールがぎこちないタイプの「運動神経が悪い」人は、このスローからファストへの主導権の受け渡しや、スロー主導の動作が苦手なことが多い。
スローな意識が主導権を握り、頭で考え意識してしまうから動きがギクシャクする。
本来、意識すべきポイントは幾つかで足りるのに全てを意識してしまうから間に合わない。

役者は、一度セリフを覚えてそれを一度忘れると言うが、あれもスローな意識で覚えて、ファストな無意識に主導権を預ける。
無意識が主導権を握るから意識的なぎこちなさがなくなる。

「運動神経」が悪いというより、どちらかと言えば「意識から無意識への遷移」が苦手が正しいタイプ。
それであれば時間をかければなんとでもなる。
もっとスローな筋トレや、ランニングなどであればスローな意識からファストな無意識への遷移をそれほど必要としない。

苦手科目

さて、引用した甘夏さんの挙げていた項目を改めて見ると、逆上がりが出来ない、跳び箱が飛べないなどは、いくつか原因が考えられるがやはり筋力不足が真っ先に挙げられる。
筋力が整った状態であれば、引きつける腕と蹴り上げる足を意識すれば逆上がりも不可能とは思えない。
二重跳びや自転車は、やはり反復練習しか無い。
スローな意識からファストな無意識によるバランスのとり方を学ぶしか無い。

さらに跳び箱や水泳は、精神面も大きい。
思い切りよく飛び込めるか否か、で大きく別れる。
泳げない人は色々原因があるが精神面が多いと聞く。
水が苦手で身体に無駄な力が入るから沈む。
走るのが苦手なのは体力がないのか筋力がないのかどちらかであって、どちらにしろ克服はそれほど難しくない。

大人になると誰かと競っているわけではない。
結果を出すというか、そもそも誰かより早くなければならないというわけではなく、自分のペースで自分が決めた目標を走りきれるだけの体力があれば問題はない。

なにせ学校じゃない。
決まった時間も、プログラムも、誰かの評価もない。
決まった枠や時間があるわけでもない。
誰かと比べたり、競い合う必要はない。

身体のリアル

ただあるときになにかやれなかったことができたとかさ、何年かかってある日突然できるときがあるんだよ。突然自転車に乗れるのと一緒で。
徐々に乗れるようになるんじゃなくて突然乗れるようになるじゃん。乗れたら10年忘れてても乗れるんだよね。
だから稽古するってそういうことなんだよ。
それはね、なかなかわかりにくいというか、成果としては見えにくいから。武道の場合は成果としてわかりにくいから続々脱落していくわけだよね。スポーツと違ってさ、記録が残るわけじゃないし。
ただ試合というのはあるんだけどさ、試合をやるとなぜダメかと言うとやっぱりそこが邪になるから。
勝ちたいから。勝つために特化した稽古に変わっちゃうんだよ。
身体のリアル/押井守・最上和子

今ちょうど、押井守姉弟対談本「身体のリアル」を読んでいたので書いてみました。
映画監督の弟と舞踏家の姉による身体論が興味深い一冊なので興味のある方は是非どうぞ(また別途記事にしますが)。

ところでリンク先の甘夏さんの記事では繰り返し「結果だ」と書かれているんだけど、その結果って何なんですかね。
よくわからない。
結果って、どの段階で、どういう結論であればそれが結果なのか。
人生の選択の正しさなんて死ぬまでわからないし死んでもわからない。
「結果」というけれど、それが是であれ否であれ人生は結果を積み上げ続いていく。
それが正しいかどうかなんて、どう転がるかなんてわからない。

もしかしたら続けていたほうがよかったかもしれない。
もしかしたら変えたほうがよかったかもしれない。

でも人生は、マルチプレイ不可だしリセットボタンもない。
ただ、山ほど積み上げる人生の「結果」ばかりを考える人生って、多分、最後の最後に振り返って、それが正しいとは思えるんだろうか。
よくわからないが、誰かと比較して結果を出せていないとか、結果が全てだとか、思い込んで勝手に競い合うのってなんか虚しいと思うのは自分だけだろうか。

誰かと競うとか、負けたくないとか、結果が欲しいとか、上手く転がればモチベーションに繋がるが、下手に転がると劣等感にしかならない。
それこそコントロールが重要な観念。

人生の結果は、まだ先なのに「結果が全て」なんて。
それこそ呪いですよ。

身体のリアル
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