押井守が、クレムリンことスタジオジブリ作品を斬りまくる「誰も語らなかったジブリを語ろう」

誰も語らなかったジブリを語ろう (TOKYO NEWS BOOKS)

宮﨑駿というかスタジオジブリは、もはや権力であって今ひとつ批判しづらい。
そこら辺のアニメーターなんかが噛み付こうもんなら「は?お前に何が言えんの??」と返される。

そういう意味で、惜しい……最近、空手家になりつつある押井守監督のように「スタジオジブリはクレムリンだ」発言で知られ、それなりに評価を受ける同業者がジブリ作品を語るのはとても珍しい(色んなところでちょこちょこやってるが、コレだけまとまるのは珍しい)。
面白くて一気読みしてしまった。

なんだかんだ押井監督はスタジオジブリと浅からぬ中。
だからこそ縦横無尽に語ることもできるんだろう。
(以下「ガルムウォーズみたいにハンパな作品撮ってるくせに何言ってんだよ」なんてツッコミはさておき)



【スポンサーリンク】



洋館

まず本の構成は、宮﨑駿の各作品、高畑勲の作品、それに次ぐ若手監督による作品を押井監督が切るという内容。
「風の谷のナウシカ」に始まり、「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」から「思い出のマーニー」まで。
全体を通じて鈴木敏夫の悪口も散りばめてある。

読んでいると、いくつも面白い指摘がある。
まず「となりのトトロ」などジブリ作品には多く洋館が登場することに関して

そう、なぜなら『トトロ』は昭和30年代の日本の田舎を舞台にしたファンタジーを語ろうとした作品で、それをより説得力のある物語にするにはヨーロッパ的な要素が必要になる。日本の鎮守の森の物語を、そのままファンタジーに転化することはできないので、宮さんはトトロというトロールのような妖精を登場させ、家の一部を洋館にしたんだよ。そういう設えをしないと、鎮守の森の物語はファンタジーとして成立しない。そのまま差し出せば諸星大二郎の世界だから。

この「そのまま差し出せば諸星大二郎」という視点はいかにも腑に落ちた。
たしかに鎮守の森に伝承があり、そこに妖精がいる、というのは諸星大二郎にもかっちりハマる。
もちろん諸星ならそこから地下の洞窟に入っていって謎の怪物に襲われ、髪の長いジュリーが登場したりするわけですが。

この「西洋的なファンタジーを日本を舞台に翻案する」試みを成功させたのがトトロ。
失敗したのが「借りぐらしのアリエッティ」なんだろう。

矛盾

The art of Totoro (ジ・アート・シリーズ (13))

宮﨑翁は、矛盾を抱えていると指摘する押井監督。

押井)宮さんは短編の名手だよ。
――でも、長編を作っている。
押井 短編じゃ商売にならない方仕方ない。そこもまた、宮さんが抱える“矛盾”だよね。TVも嫌いなはずなのに、いつの間にかTVに愛される存在になってしまったし、そういう矛盾を体現している人と言ってもいい。
(中略)
環境派のくせに、乗っていた車は2CV。排ガスを撒き散らす車に、敢えてハイオクで乗っていたし、戦争反対のくせに空中戦が大好きで軍事オタク

この矛盾が、様々な映画に登場する。
「もののけ姫」の文明 対 自然もなんだかふわっと終わり、ヒューマニズムが好きなのに「人がゴミのようだ」と残酷な描写もサラッとやってみせる。
自然崇拝、戦争反対なのに軍事オタクな宮﨑駿らしいといえば確かに。

監督としての才能

宮﨑駿の作品は、ディテールが素晴らしいと褒める押井監督。

と言うか、ディテールとディテールをつなぐためにストーリーがある。
テーマとエンディングを定めて、そこへ向けて物語を作っていくのではなくて、宮崎翁が描きたいシーンとシーンを繋ぐためにストーリーが作られる。

だから物語は、どうしても破綻してしまう。
筋がおかしいから見終わってもストーリーが印象に残らず、ディテールだけが残るというのもジブリ作品の特徴かもしれない。
だが圧倒的なディテールのせいでストーリーの破綻が瑣末に思える。

「千と千尋の神隠し」について、

押井 まず宮さんが考えたのは、都会出身の千尋が重労働して、何かに目覚めてちゃんとした子供になるというアイデア。それを実行するために両親をブタにしただけなので、そこを一生懸命追う必要もない。両親のミッションはそこでほぼ完了しているんだよ。こういうのをご都合主義と呼びます。
――手厳しい!
押井 だってそれが宮崎映画なんだから仕方ないじゃない。ストーリーラインもなければ、主人公の心理線すら怪しいし。
(中略)
誰だって最初は千尋とハクの物語になると思うよ。ところが途中から、いままでチラチラ出ていた、ヘンなおばけみたいなおっさんがどんどん比重を増して行って、この話、どこに行っちゃうの?ってね。無自覚に映画を作っている宮さんらしいと言ってしまえばその通りで、宮さんの本質がもっともよく出た映画なんだよ。それは間違いない。

と語る。
たしかに千と千尋の序盤、ハクはヒーローっぽくありつつ、何だかんだどっかへ消えて、いつの間にかカオナシが踊り出てメインテーマに居座ってしまってる。

この本に「宮﨑駿とデヴィッド・リンチは同じ」という話が出てくるんだけれども、たしかに両者ともストーリーが破綻していてもディテールが圧倒的で印象深いせいでストーリーの破綻は気にならない。

押井 脚本の才能はないよ。うちの師匠とは正反対。師匠の口癖は「演出は脚本がすべてだ。自分の思いなんて入れなくていい。そんなものは家に帰って日記に書いとけ」だったから。「まず監督としての義務を果たせ」とも言われていた。監督は常に客観性をもち、絶えず修正し続けるんだということを、僕も教え込まれましたから。
――じゃあ宮崎さんは……。
押井 ゼロです。客観性なんてカケラもありません。

で、押井ってひとは、それを本人に向けて言い、案の定喧嘩になる。


ところで先日、「崖の上のポニョって観たことないんですけどどういう話なんです?」と聞かれて返答に困った。
なにせ覚えてるのは崖で波とカー・チェイスしてるところとポニョがインスマス顔になったところくらい。
ストーリーは、なんかよくわからないがハッピーエンドになってた。

娯楽映画としてバランスの取れた「ラピュタ」なんかはストーリーも思い出せる。
だがストーリーより宮﨑駿のディテールフェチが炸裂した映画ほどストーリーがあっちこっちに行ってしまう。
そしてそれを宣伝や音楽でそれっぽく修正するのが、押井守の天敵である鈴木敏夫の仕事なわけですが。

高畑勲

キネマ旬報セレクション 高畑勲 「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「かぐや姫の物語」まで (キネマ旬報ムック キネマ旬報セレクション)

インテリゲンチャ高畑勲に関しては「じゃりン子チエはあんなに素晴らしかったのに」という評価らしく辛辣な評価をしてる。
「ホーホケキョとなりの山田くん」とか「かぐや姫の物語」とかやってるんだから仕方ないかもしれない。
「おもひでぽろぽろ」を観て鳥海永行氏が「クソインテリ!」と激怒してた、という話はなかなか面白かった。
高畑勲をインテリゲンチャ呼ばわりするのは師匠譲りなんですね。

宮崎翁の息子、宮崎吾朗に関してはフェチがないと言うが、たしかにアレだけフェチに溢れた宮﨑駿の息子にしては撮る作品があっさりしてしまうのはフェチの無さゆえかもしれない。
ストーリーは記憶に残るほどでもない。
その上フェチがない、こだわりがないから観終わってもディテールすら残らない。

ちなみにジブリ作品をけなしているだけではない。
たとえばジブリ美術館で観れる短編「めいとトトロバス」に関しては天才だと絶賛。
「天空の城ラピュタ」も比較的褒めている。
「アニメーターとしては天才だ」と何度も繰り返してるし、あんなに美味そうに飯を食う姿を描ける人はいないと賛辞を送っている。

一般の、いわゆる普段アニメを見ない人でもジブリ作品は観れる。
ディズニーの「ファンタジア」みたいに、交響曲に合わせて様々な世界が描かれ、そこにストーリーがあってもなくてもディテールを観るために観たい。
ジブリの作品はそういう作品にも関わらず、観客を満足させられるディテールを描ける宮﨑駿が抜けるととたんにストーリーのショボさが目立ってしまう結果になった。
それが近年のジブリ作品の評価の低さにもつながったんだろうし、また宮崎翁が作品を撮ると言うんだから間違いなくフェチズムが爆発しまくった作品になることでしょう。


ジブリに関する以外にも、押井監督がジブリに誘われ「墨攻」を撮ろうとした話とか、高畑勲と喧嘩した話とか裏話も満載。
内からも外からもそれなりに知っている業界人がこれだけジブリを切るという試みはあまり見かけない。
押井守が好きでも嫌いでも、それなりにおもしろいと思えるジブリ作品副読本。

最近の、惜しい本ラッシュの中でも一番になるかも知れない*1
個人的には、かなりオススメの一冊。

最後に、北久保弘之氏による押井守監督オススメ作品を引用してお別れです。

惜しいさんの作品で、他の人にオススメ出来るのは劇場版「うる星やつら 2 ビューティフル・ドリーマー」と、劇場版「機動警察パトレイバー THE MOVIE」だけです。
https://ask.fm/LawofGreen/answers/130130132943

誰も語らなかったジブリを語ろう (TOKYO NEWS BOOKS)
押井 守
東京ニュース通信社
売り上げランキング: 748

*1:押井姉弟対談本「身体のリアル」が先日発売。来月は新書「ひとまず、信じない」が発売