でかいスマホも入るポケットのついたパンツ


まぁ、「ない」ですね。
服飾メーカーからしたら「何、勝手にでかくしてんだよ」「技術が向上したら小さくするのが筋だろうが」ですからね。

随分前に書いた気がしなくもないですが(書きましたが)復習として。
服とポケットについて。

高級

まず高いブランド。
高いブランドの顧客はそもそも荷物を多く持たない層。
或いはジャケットを着ていたりすることを想定している。

パンツのポケットに荷物を突っ込んだりしない。

なので
実用性<<<ファッション性
これは変わらない。

そもそも服についたポケットはあくまで装飾であって実用じゃないんですよ。
ポケットは飾りの意味が強い。

だからデザイナーはポケットに物が入った想定でデザインなんてしない。
歩いた時のシルエットまで考えてデザインした服のポケットになんでモノ入れてんだよ?!っていう。
重くてデカイなんて全然スマートじゃない。

以前、叶姉妹がマツコの番組で「何も入らない小さいバッグ」を紹介してましたが、女性の持つミニポーチは実用性じゃなくて小さく可愛いから持つのであってね。
ポケットに物なんて入れたら型が崩れる、ダメになる。
だから女性の服にはポケットが少ない。

スーツのポケットに物を突っ込みまくれば当然、型が崩れる。
例えばジャケットの胸ポケットに物入れたらスーツが笑ってしまう。
なので財布だって薄い財布が重宝されるし、シルエットに影響しない物を選ぶでしょう。

安価

で、安いブランド。
これは
ファッション性<<<<<<<<<<<実用性
ですからポケットにガンガン入れられる。

服は見た目ではなく使うための道具。
なので「作業着」ともいう。
ガンガン入れれば入れるほどシルエットも崩れるし格好も悪くなる。
でも気にしない。
だって安いし、使い捨ての道具ですから。
肩が崩れたら捨ててまた買えばいい。

そういう服。
なのでデザインに力入れてない。
そういうところのコストを削る分、道具として単価を下げる。

そもそも服に対しての考え方が違う。
特にワーク系やキャンプ系の服は色々入るようになってる。

最近は女性の服でもポケットつけたりしてますけど、あれはカジュアルに使え、実用性を持たせた結果。
なんだかんだ性別問わず荷物多いですからね。

具体例

個人的には、カーゴパンツが1番のおすすめ。
実用性がありつつ、これからのシーズンのアウターも合わせやすい。

ウチにある中で一番ポケットがでかいのはGOLDWINカーゴパンツ
こちらだと10インチのAmazon Fireも入る(試してみた)。
入れないけど。

あと最近、ワークマンの影に隠れてこっそりデザイナーとコラボしたりしてる寅一。
こちらも一見、寅一っぽくないのがポイント。

流石に寅一の顧客はいかつい系なのでデニムだと昔のギャル男とかホストっぽく加工をやりすぎなので、こういうカーゴくらいが使いやすくていい感じ。
これは後ろのポケットが結構でかい。


ライトなキャンパーに流行中のSnowpeakアパレルのTAKIBIカーゴ。
TAKIBIなので火に強い。。。普段使ってて必要な場面は思いつかないですが、例えば燃え盛るビルの中から逃げ遅れたこどをも救い出す時とかパンツは燃えない。
ポケットに入れたスマホも燃えずに済むなんて素晴らしい。

にしても高いなぁ。

TEATORA

そして、高級と安価の間に立つのが最近の意識の高い系の服。
こちらは
実用性<ファッション性
このくらい。
少しお値段は張るが高級でもない。
代わりにオシャレさを失わずに荷物を入れられるよう工夫されてる。

例えばTEATORA

テアトラは、現代クリエーターのためのワークウェアメーカーです。

ボトムスの概念のデザイン。
現代クリエーターをとりまく環境の研究。
人体とワークチェアとの関係性の研究。
これらを洗練させることで、全く新しいボトムスが完成しました。
TEÄTORA

テアトラは見た目シンプルで、隠れた収納がついてる。
なので一見スマートに見える、という服。


ウォレットパンツは荷物の多い旅行者が貴重品を入れられるように工夫されたパンツ。
一見イージーパンツに見えるがポケットがかなり深く作られていたりするのがポイント。
定価だとちょっと高いのが難点か。

MMA

mountain-ma.com

個人的に最近気になってるマウンテンマーシャルアーツ。
いわゆるランニング系、トレイルランなんかのブランド。
なのでポケットが多い。

こちらも実用性主義ですから。
9ポケットパンツ(画像なかったので公式ブログへの直リン)はかなり実用性あり。
トレイルに使うにはちょっと高いかなーとは思いますけど、普段使いならそこそこの値段(二万ちょいくらいなので)。


個人的にはでかいスマホを持ってポケットに入らないってんならウエストポーチだのボディバッグ(スリングバッグ)だの、それなりにモノが入りそうなバッグなんかを準備すればいいと思うのだけれども、「どうしても服のポケットに突っ込みたい!」ならそういう服を準備するしかないのではないかなと思いますけどね。
特にカーゴパンツは気軽に足の横でも後ろでも適当に放りこめてしまうので利便性で一段上。
先のツイにあったサルエルパンツなんてシルエット重視で生地が柔らかいですから、でかいポケットつけたらズルズル。
Y-3とかヨウジとか、それなりの価格帯だとでかいポケットなんてつけないでしょう。

なんだかんだ白衣着るのが一番の気がしなくもない。
でかいポケットついてるし、タブレットですら入るのでね。


本物のバンクシーの作品に価値があるならバンクシーの作品に価値はない

whoisbanksy.jp

先週末、低気圧の影響で頭痛に苦しみながら、流しっぱなしのテレビ画面に意識を向けると、バンクシー展(オリジナル&フェイク)を天王洲でやるらしく、中村倫也バンクシーの謎に迫る、と言った体の特番が放送されていた。
壁に描かれたバンクシーの絵を全てオリジナルで持ってくるなんて予算的に厳しいし(そもそも全て所蔵してる人なんていないだろうし)額縁数点と壁に描かれたものの複製がそれなりにあるって感じだろう。

昔、オアシスが人気になった頃、オアシスの本物が来れない地域にオアシスのコピーバンドがやってきてオアシスの曲を演奏してそれでも盛り上がるなんて逸話、あるいはフジロックでドタキャンしたモリッシーの代わりにモリッシーのそっくりさん(ジーズ・チャーミング・メン)がやってきたことを思い出したり。
そんな諸々に近いのかもしれない。

hypebeast.com

それはともかく韓国で、バンクシーのコピーが展示されてることでクレームが入るなんてことがあったらしい。
さすがにそれはバカバカしすぎるだろう。
絵画芸術の場合、唯一無二、作家自身の描いた作品には、例えば油絵であったら、それこそ絵の具の連なりや、細やかなディテールにも意味が存在するし、評価を受けるに足るオリジナルの芸術作品を見ると言うことには意味があるだろう。

だが壁や扉などに描くストリートアート中心のバンクシーの場合、全部本物なんてわけはまずない。
コピーが大半、あとオリジナルが幾つか(バンクシーには多少額縁の作品もあるので)だろうと見る前から見当がつきそうなものだが(ちなみにオークションにかける場合、壁ごと切り離すのだが)、そもそも壁に書いたステンシル画に対してオリジナルだとかコピーだとか。
そういう捉え方自体がバンクシーと言う存在を理解してないとしか言いようがない。

ポップアート

例えばアンディウォーホルのようなシルクスクリーンの時代からアートが大量生産(シルクスクリーンをつくう事で同じものを大量に作れる)されることによるアートの持つ価値への懐疑というメタな考えは存在していた。
ポップアートの持つ、大量消費社会への風刺、既存美術の持ち得る価値観へのアンチテーゼ。
現代アートのやりがちな事でもある。

有名どころでいえばデュシャンの「泉」だろうか。
便器を買ってきてそこに芸術家がサインを入れる。そして「泉」と言うタイトルをつける事でただの便器に価値が生まれてしまう。

最近で言うならマウリツィオ・カテランの「コメディアン」
バナナをダクトテープで壁に貼り付けて見せてそれをアート作品と称した。

バンクシーと同じストリートアートであれば、バスキアもそうだろう。
壁に描いた落書きが美術品として価値を持つ。
キャンバスがなんであれ、書かれた絵に価値が生まれればただの壁も高価な壁になる。
だがその資本主義社会において、貨幣と交換可能な「美術品の価値」とは果たして何か?

そういうアイロニーな視点で、美術品の持つ批評性や経済的な価値というものに対してのアンチテーゼとしてポップアートは懐疑的な視点を持ち機能しえた。

価値とは何か?

2006年、バンクシーはレコードショップに陳列されたパリス・ヒルトンのアルバムをデンジャーマウスがリミックス、細工したアルバムとすり替えた。
大量に売られるCDアルバムがバンクシーの手を経由し、リミックスされる事で通常のアルバム以上の価値を持つ。
だが、それらは美術商ではなく通常のレコードショップで売られ、そこにアートの持つ「付加価値」が乗らない。

公園の露天商でバンクシーのステンシル画を販売。
通りすがりの人からすれば露天商の売る絵画はバッタモノ。美術商に並べば数千万付くような絵が露天商では二束三文で売られる。
同じ絵なのにも関わらず、売り手によって価格が変わり、価値も変わる。

バンクシーの絵を勝手に数千万だの数億だのとつけて取引するのは美術商とコレクター。
そしてやり取りされる金額は、絵そのものの価値とイコールではない。

最近では、バンクシー自体が商標権を得ようと動いたり、自身がそんな価値に踊らされたりしていてなんだかなぁと言う感じもするのだが(自分の絵を勝手に使って商売する連中への牽制だろうが、これまで他人の著作権や商標権を軽んじてきて自分が意趣返しされては今さらとしか思えない)。

陳腐化

本物と違わぬコピーが作られるデジタルな現代において現代アートが批判的に扱ってきたオリジナル/コピーの持つ価値の意味というものはもう少し省みなければならない意味。
ポップアートは「アートと資本主義の中で持つ価値」を批判的に、メタな視点を持ち扱ってきた。
ただ残念ながら集団の合意によって得られた高価な価値という共同幻想は、資本主義社会に生きる上での呪いのようなもの。
飲み込まれるのはウォーホル然り、バスキア然り。
バンクシーもまた大きくなりすぎ、残念ながら自分が権威になってしまった。
価値観への反逆や疑問は反権威だからこそ意味があるのに今のバンクシーではそれも叶わない。

小池百合子がどっかの落書きをバンクシー謹製とありがたがって展示してる時点ですっかりバンクシーは陳腐化してしまったし、今回のように韓国で壁に描いたステンシル画にすら「本物かコピーか」などという無意味な価値を求められてしまう。
かつて書かれた油絵のような一点ものの持つ、一点ものだからこそ持つ価値とは違う。
ウォーホルのシルクスクリーンにしろ、バンクシーのステンシルにしろ、型紙を使えば同じ絵が描けてしまう作品はコピーであっても作品に大差がない。

全く同じ絵があったとして、それが本人によるものかそうでないかによって価値が変わるのだとすればそれは絵自体の価値ではなく絵に付随する「本人が書いた」事実、事象が価値を持つと言える。
しかし絵自体ではなく、絵に付随する事象や事実が価値を持つのだとしたら、そのオリジナルの絵を鑑賞しなければ価値がないと果たして言えるのか。

書かれた絵そのもののクオリティではなく、そこに書かれた、いつ、どのように書かれたかに意味があるバンクシーのステンシルにも関わらず真贋という旧来的な付加価値が求められてしまうというのはバンクシー自身も想定しないバカバカしくスラップスティックコメディのようなアイロニー




デジタルとオリジナルと

最近、NFTを使った新たなBAYTなどが取引され始めている。
非代替性トークンを使うことで、複製可能だったはずのデジタルでありながら唯一無二という価値を得ることができる新たなアートと新たな価値。
デジタルであれ価値があると認められればそれが売買され、市場を産み、市場がさらにデジタルデータの価値を上げる。

バンクシーはステンシルによって美術におけるオリジナルとコピーの価値に対して疑問を呈し、しくじり、そしてブロックチェーンを使い新たな唯一無二、オリジナルであることに価値があるというアートが普及しつつある。
デジタルデータ如きに価値があるか否かという問いには、FGOにおいてただのキャラのデータに何万も何十万も溶かしている死屍累々の諸氏を指すだけで何も付け足すことはない。
ウマ娘のガチャを天井までぶん回す方々の方がその辺りについてはよく知っていることだろう。

バンクシーとは

バンクシーとは何か?と問われれば、個人的には典型的なポップアートの継承者であり、パリス・ヒルトンのCDに悪戯したり、映画を作ったり、そのゲリラ的な活動や存在がアングラであるうちは新しくもあったが、大きく騒がれ、作品の価値が上がり続け、落書きか否かと論争になり、現代アートにおいてすっかり権威となるものの、覆面であるが故に著作権や商標権を主張できず、その劣化コピー作品が大量に量産され、商品化され、消費されてしまった。
資本主義により敗北した芸術家に見えるのば自分だけだろうか。

もはやバンクシーのあのステンシルの偽物はそこら中に溢れ、どこかのネズミのキャラと大差ない。
バンクシーを盗んだ男」を見ればその狂騒のバカバカしさに呆れるしかない。
※プライム対象なので見れる人はどうぞ

バカバカしい韓国でのバンクシー展の偽物・本物騒ぎなんてまさにリーチしてはいけないところにまでリーチしてる現状がよく現れてる。
そんなにバンクシーの本物が見たいならイギリスへ行けばいいのに。
見たところでコピーと変わりはしないですがね。

そんなにオリジナルの作品を見たいならその手の本でも読めば足りる。
よほど芸術に詳しいお歴々が説明もしてくれてる。

ステンシル画のバンクシーの絵を見て心動かされることなんてない。
そういうジャンルの作品じゃあない。
バンクシーが書いたその場所、動機や行為があって初めてその絵に意味や価値がある。
鑑賞は実物でなく図版でも特に問題はない。
バンクシーの作品が本物なのか偽物なのか、そういうことではなく、場所や意味から切り離された時点でもう作品に価値はない。
価値がなくても高値で売るのが美術商であるし、だからオークションで裁断しようともしたのに(あそこでしくじるのも非常にイタい)。

誰がバンクシーかは知らない。
誰がバンクシーでもいい。
誰であるにせよ、その正体が明らかになった途端、バンクシーというキャラクターの価値は地に落ちる。
バンクシーの正体もまた謎だからこそ価値がある。