【TV】ハマカーン優勝おめでとう そしてアルコ&ピースのネタとメタ
スーパーマラドーナは来年期待したい。
面白かった。
ハマカーンも面白かったし、なんか「あれ?視聴者と審査員の意識が全然違うな?」っていうM−1みたいな最後にならなくって良かった。
アルコ&ピースのネタが面白かった。
んで、少しだけ。
余り全部を語るとツイッターのエアリプで「素人のクセに評論家気取りですかwwwww?」って草を生やされるのでイケダハヤト的な「下から目線」で語りたい(勿論、この場合の引用は揶揄だ)。
ネタとメタ
アルコ&ピースおめでとう!とフライング賞賛してみる。。。
— 有吉弘行さん (@ariyoshihiroiki) 12月 16, 2012
ほんとアルコ&ピースのネタが面白かった。
いつもネタを分析しながら観ると言う不幸な見方しか出来ないけど、それにしても面白かった。
お笑いって「常識からの振幅率」で、それが大きいならシュール、小さいならベタになる。
漫才のネタはネタという世界の中にボケとツッコミが立って世界を構築しつつ、ツッコミはそのネタの内外を行き来しながらネタに立脚したボケを常識に立って(観客の視点で)突っ込むと言うのが通常だと思う。
ネタ:非常識 常識:観客の目線
【( ボケ+ツッコミ )⇔ツッコミ】
と言った感じ。
ネタと言う()で括られた内側の()世界にいるのがボケ。
()に括られたネタの世界をボケと共に構築しつつ、ネタ()の外にある【】という常識(観客の目線)にも立つのがツッコミ。
ところがアルコ&ピースのネタってまずネタの世界をメタ化するところから始まる。
ツッコミがネタ世界を構築しようとするところを否定するところから始めて、ボケが常識に立脚するんではなく、ツッコミが存在しないネタ世界を構築する。
そもそもの「忍者」ネタに立脚するツッコミは非常識な「ボケ」でそれを説教する「ボケ」は全体の機能的にはツッコミだが、そのツッコミ自体が非常識で、ボケだけが立脚するネタ世界でボケとして機能している。
ネタ:非常識
【ボケ→(ツッコミ)】
つまりボケが居るネタ世界が、ツッコミの居るネタ世界を包括している構造と言えば良いか。
内側にあるネタ(忍者)はメタ化されネタとしての存在を否定されるが(本気で漫才をやれ)、否定している行為そのもの(ネタに乗らない)が舞台の上での漫才と言うコード上では非常識なボケだと言う二重構造。
こうしてボケもツッコミもお互いに違うネタ世界に存在したまま、ネタそのものをメタ化して展開させる。
ノンスタで言うと「ボケの交通渋滞!」はメタのツッコミって事すねー。
ちなみにパンクブーブーはメタが無いんですよね。
サンドイッチマンも無い。
ツッコミがツッコミとして存在せず、ボケがボケとして存在せず。
ボケはメタの目線からボケて(説教)いるんだけど、それを観客がツッコミ不在で観ながら心でツッコミ、ツッコミはツッコミとして(説教されて)機能せず、最終的にツッコミもボケの世界に取り込まれる。ボケの言っている事は終始正しく、過剰に正し過ぎるが故に、ツッコミがツッコミとして機能しない。舞台の上はツッコミが居ないまま、ボケが主導権を握って世界を作り上げる。
ネタのメタ化はハマカーンも一部やってたんだけど、ここまで終始徹底したのはスゴいなーと。
来年楽しみだなぁ。
ワインが入ってるんで、文章はこんなもんで勘弁していただくとして(どうせ誰も読まないし)
面白いなー。ははははははhx
あ、そうだそうだ。
偉そうに語ってすみませんでした。
ゴキブリの3コ下が語ってることなんで気にしないでください