考える力、疑問を持つ力

※長ったらしい記事なのでGWヒマな方どうぞ
日常で触れる情報は、とても多い。
特にインターネットはそうだろう。
ツイッターのタイムラインを眺めてるだけで誰が何をしてるか、どんなニュースがあるか、何が炎上してるか、興味のありなしに関わらずフォローしている対象から情報は流れてくる。
しかしその情報は精錬されているわけでもない、素材そのままの情報である事が多い。
誰が?どこで?何をし?どう考えたか?
多くの人間は、そのタイトルだけ、中身を読みもせずに上っ面で理解をしたつもりになり、拡散をする。
誰かが情報を拡散した、それが精錬している事にはならない。


自分の行動の意味を把握してるか?
選択の意味を?

#15「この世の定め」/ウォーキングデッドシーズン3


拡散と責任と


隣のクラスの○○が△△と付き合ってるらしいよ。
部長って○○に手を出してるらしいよ。

その程度の噂話と同じ感覚。
拡散に責任なんて感じない。
「そういえば、docomoからあいぽーね(iPhone)でるのは確定みたいね」
ってツイートして随分話題になった件もあった。
あれにしても意味を深く考えれば少なくともそのツイートをする事で起こる反応は想像出来て然りだろう。
サリンを撒く系ツイート、パズドラのDDoS攻撃ツイート【拡散希望】にしろ。




よく言うよw
【犯罪予告】秋葉原にサリン撒きます まとめ


ツイートに責任?そんなもんねぇよ。
垢消せば済むだろ?別にサリン撒くったってホントにやる訳じゃ無いし。
実際逮捕された訳でもないし。
他人のツイートパクって何が悪い?
オレはふぁぼられるし、パクられれそのツイートが有名になるし一挙両得っしょ?


...ホント、クズばかり。

参考:Favstarの無課金者に対する対応について/togetter
ひたすら「ふぁぼられたい」という自己承認欲求を満たすためだけにあくせく他人のツイートをパクって拡散し続ける方々。コメ欄が本番のまとめ。


脊髄反射


いちいちソースなんて確認しないし、自分がフォローしている誰かがツイートしてるんだから間違いないだろう。そういう思い込み。
面白いツイートを流して来るんだからフォローしとけば良いや。
パクリツイッタラー?
デマのツイート?
で、それってなんか問題あるの?
デマは容易に広がるし、かつて虚構新聞の記事が拡散される時、虚構新聞と書いていないからだ、と責任論とリテラシーについても語れないのに糾弾するような輩も現れた(確か、あれっく...(ry)。

・虚構新聞バッシングから見るメディア・リテラシーのお話/オルタナティブブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/sasaki/2012/05/post-a4dc.html

情報というのは真に受けるものではなく、1回自分の頭に入れて妥当性を自分で判断するものです。誰かがこう言っていたから、という場合は、その人が情報のソースを提示しない限りは妥当性を持ちませんし、その辺を確認しようともしないのが日本のメディア・リテラシーの問題だと思ってます。

ネットの情報は精錬されていない素材だろう。
だからこそその素材に対して考えなければならない。
偉そうに語るつもりはないが、少なくともこんな品のないブログを書く学のない三下よりも考え無しで、その自覚も無い人間は多い。
そこに学歴は関係ない。
情報が与えられ、そこで考える力を使うか使わないか。
拡散に対して責任や結果を想像出来るか否か。
何も考えず、中身を読みもせず、責任も持たずに脊髄反射で拡散をするのか。


最低限の情報の取り扱い方


「考える?」
当たり前の事。
誰でも日常でやってる。
「今さら何言ってんの?」
「考えてるよ当然だろ?」
でも、本当にそうか?

考えるとはなんだろう。
例えば、
「○○はパクりだ」
という話を知って
「○○がパクりだなんて最低だ」
なんていう反応に思考は何も無い。
そこにあるのは感情と反射。


「○○がパクりだ」
という情報があり、ソースをみて間違いがない(と一見思える)としても、その事実関係を権利者と模倣先が事実を認めている経緯も無く、見解も無い段階では
「○○と××が似ている」
そこにあるのは無関係な第三者から見たただの推測
権利者が告発しているなら別だろうが外野がとやかく騒ぐ事でも無い。
自分には関連の無い話。
確定的な事が無い状態で、判らない事は判らないままで良い。
こういう場合は、触れない。
それが一番正しいスタンスだろう。


ここまでが最低限の情報の取り扱いになる。
この程度の判断も出来ないなら今後はネットにアクセスしない方が身のためだろう。



考えると言うこと


ここからが「考える」という段階になる。
何かしらのコンテンツが似る、というのはよくある事だ。
誰にもその程度の事は判る。
さて、ではどの程度似ればパクりでどの程度ならパクりでは無いんだろう。
明確な線引きでもあるのか。
しかし線引きはない。
ではなぜパクりが悪いのか?
「パクリ」と一概に言っても色々ある筈だろう。
まずその言葉を疑問に思う。
前提条件から疑う。
ネットの情報は精錬されていない素材だと書いた。
精錬は自分で行わなければならない。
情報の要素を一つ一つ考える。それが情報の精錬になる。

○○と××が似ている事実
→パクりという批判
→一体何と何のどこがどれだけ似ているのか?
→批判は正当か?
→過去に例は?
→法的な根拠は?
→なぜパクりはいけないのか?
→なぜ批判されなければならないか?
→誰に損害が出るのか?
→パクりとパクりで無いモノの境界は?
→インスパイア、パロディ、引用、リスペクト、その定義は?
→この事実で誰がどんな得をするのか?

全ての要素を一つ一つ見返す、検証する。
それが考えるという事だろう。
そして何かしらの根拠が必要であればそれを調べる。


「◯◯は××らしいから △△だ」
考えているようでそこに「考え」は無い。
「考える」って言うのは邪魔臭いし、面倒だし、疲れる。
「考えない」のは楽だし、疲れない。
しかしネットで「考えない」でいるのはとても危険だろう。
そして「考える」時、そこに先入観が入るととても危険な場合がある。


自分の足下を掘り返せるか否か


例えば政治的な事や宗教的な事や、いわゆる前提としてハイコンテクストな何か事象がある場合、それを前提として思考を進めやすい。知識があればあるほどその傾向は強い。まずその前提こそ疑わなければならないのに、なまじ知識とや教養、学歴がありそれに対して自負があればあるほどその前提が間違っていたとしても気づかず思考を進めてしまう。
例えば政治であればそれぞれの信じる信条によってベクトルは当然違う。
何が正しく何が間違っている、これが完璧な政治判断だ、と言うものは存在しないのに自分の信じる信条を元に思考を進める。当然結論は歪んだものになるが、自分の中の信条と照らしても間違いは何も無い。
そしてそれをネットに晒してみると当然異論・反論が来る。
場合によっては炎上もする、バカにもされる。
余計その考えに意固地になり自分を擁護する。間違ってない、自分は正しい。
戦い、守り、そしてすり減る。

誰しも自分が信じる知識や考えに基づいて思考をする。
その前提を疑うのは、自分が立つ足下の地面を掘り返すようなものだろう。
それを行うのはとても難しい。

自分と違う誰かの考え。
誰かの考えを容認出来るか。その考えを判断し論理立てて考えられるか。
自分の中の正しいと思っている前提を疑えるか。
その前提に対して全く別のベクトルの考えを持ち込めるか。
それが出来れば考える力は、強くなる。
でも殆どの賢い人々は相手の理論をいかに突き崩すかに注力する。
自分は正しい、まずそれが前提。
そして相手の考えの矛盾を探す。
論理や思想を語る人間に限ってそう言う傾向は強いように見受けられる。
しかし完全に矛盾も無く整合性のある思考は少ない。


オマエモナ


    ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< オマエモナ
  (    )  \_____
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  (__)_)

こうやって色々書きながら自分に対して「オマエモナー」って思ってる。
自分が正しいなんて思ってない。
オレはこれが正しいと思ってる、でも正しくないかも知れない。
でもそれが正しいかどうか、それを疑問に思えるだけでもマシかな,そう思ってるだけ。
自分の考えにこだわり、受け入れず批判して閉じこもるのが一番愚かしいかな、と。
自分に対して常に「オマエモナー」って思いながら考えるって大事なのかも知れない。
そう思いますけど、ね。


では、GW残り少しですが、健やかにお過ごし下さい。
長々とありがとうございました。