藤子・F・不二雄と悪魔の証明

悪魔の証明
悪魔の証明(あくまのしょうめい)とは、所有権帰属の証明の困難性を比喩的に表現した言葉である


・文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい/デマこいてんじゃねえ!
ttp://d.hatena.ne.jp/Rootport/20130505/1367763730

読んだ。
まぁ、中身に関しては特に感想はない。
☆も25付いて、ブクマ552、いいね!497もついて評価されてるものに今さら何も無い。
100を1にする作業なのだ!と言う逆説に目を惹かれるが、実際それでも作家がやる事は0から100を作り出す事なのだがそんなレトリックはどうでもいい。デヴィッド・スーシェポアロを演じるにあたり自分でポアロを読みあさり「ポワロノート」と言うものを作って持ち歩いたと言うエピソードは有名だが、100を1にすると言うのはそう言う事で必ずしも作家が...まぁ、いい。
そんな事は。


気になったのは、

たとえば藤子・F・不二雄は、次のような言葉を残しているという:

このように前置きした上で
よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。

人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。

それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか? 近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。

多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。

しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。

人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。全てはそこから始まる。

その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。ここから可能性は無限に広がるのです。

私はそういう人が描いた漫画を支持したい。卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。


よく自分も引用を使うが、その場合の引用はどちらかと言えば主題ではなく副題や補強として使う事が多い。
しかしこの記事においてのこの引用部は主題の根幹をなす、この引用部無しではこの記事の評価も下がってしまいかねない部分だと見受けられる。
さて、この引用部だが一部には有名でソースが無くデマ説が根強い。
・藤子F談話録
http://www.mlexp.com/fujiko/interview/main.html
このインタビューページを見ると藤子氏は自身を「ボク」と話すが引用部は「私」である。
勿論、書き言葉と話し言葉で違う可能性はあるので強い根拠ではないだろう。

そしてこの発言の頭には、以下が付いている事が多い

手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』

宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』

庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』

富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』

これって言わば
徳川家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
織田信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」

似たようなもんなんだが、これとどれだけ違うんだろうか。
そもそもこれがワンパックなんだがこれって各発言をどこからか集めて来たのか初めからワンパックなのか。
それとも全てそれっぽい創作なのか。
全く判らない。
だが本物であるとも偽物であるとも証明出来ない。
少なくとも全てのソースを確認出来た、と言うものは見受けられなかった。
2chに誰かが記憶で書いた、と言うものが過去ログにあるらしいがそこより過去は不明)


「デマでも嘘でも良い事が書いてあるから良いんじゃないの?」
それって
「このツイートを見た人は一日楽しく過ごせますよ!みんなにRTしてあげて」
ってツイートをガンガン回すタイプですよね 笑
オレだったらとりあえず回したヤツをブロックするけど。
良い事なら嘘でも良いから広めよう、それって一番危険な考え方じゃね?


引用部がもしデマなら

...(前半略)
私はそういう人が描いた漫画を支持したい。卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。

by 長島義男(会社員・独身・仮名)
デマだったらこーなるわけですね 笑
オメーは誰で何様で語ってんだよっ?!ってツッコミ上等。
随分間が抜けた感じになる。


しかし実際には、文章を書くというのは100を1にする作業だ

と称している記事で出所も判らない引用を使い「残している言葉らしい」ってのはいかがなものだろう。
100の知識を身につけ1の世界を創作するなら、少なくとも自分がきちんと確認したモノを知識にしたい。
どこかの誰か名前の知らない人間が本人を語って作り出したデマの可能性を否めないものを主題として使って作られた記事は、その記事そのものの価値を貶める事になるんじゃないか、自分はそう思うんですけどね。
まぁ、評価されてるし良いんじゃないですか。
他人のブログなんて知ったこっちゃありません。
こうして悪魔の証明悪魔の証明のまま。


出所のわからぬ言葉は、忘れられた頃に
「文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい」
が、一次ソースとして使われ
「過去に藤子・F・不二雄が残した言葉で」
と語られて行くんだろう。
その時には対比する宮崎翁や庵野氏の言葉は削られて、それっぽく良い事を言っている部分だけがとりあげられるんだろう。

別に「嘘」だって証明された訳では無い。
・2007-10-22 藤子・F・不二雄「名言」コピペの嘘
http://d.hatena.ne.jp/jukeneet/20071022/1193047901#c

オレだったらホントか嘘か判らんような発言は絶対使わんなぁ。
後がめんどくさいもの。


ではここで一つ藤子・F・不二雄の名言を。
上辺の美しさに騙されて嘘を広める輩が偉そうに語る資格は無い


※なお、最後の名言は完全に創作である事を念のため注意しておきます

Pen+ (ペン・プラス)  大人のための藤子・F・不二雄 2012年 10/1号 [雑誌]Pen+ (ペン・プラス) 大人のための藤子・F・不二雄 2012年 10/1号 [雑誌]


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