状況もキャラクターも物語を描くツールではないか

・「作者の思想の為に描かれた創作」があんまり好きではない:不倒城
http://mubou.seesaa.net/article/360317814.html


面白いお話。

私は、「思想はキャラクターに背骨を通す為の手段」であると考えている。キャラクターは、それぞれ、そのキャラクターの思想を持っているべきだし、作中でそのキャラクターの思想を語るべきだ。それに対し、「作者の思想を語るのが目的であって、キャラクターはその為の手段」というのは本末転倒だ、と私は考えている。それは、単に作者のマイクをキャラクターがやっているだけだ、と思う。

しんざきさんと奥方の意見・見方も違うらしいが、ウチはキャラクターは物語の下に居ると言う考え方なので思想は物語を構成する軸の一つであって、それがキャラクターに反映されるのは物語世界の下位に居るからって思うんですね。
ちなみにゲド戦記は読んでないのでそれ以外の物語の物語。


思想って、キャラクターで語るだけではなくて物語を構成する骨子の一つであり、そして骨子で語られるもので、当然そこには作者の意図もある。
各キャラクターで語られる思想はあくまでも物語の一部。
たとえ物語を批判するような思想であってもそれは必要だからそこにある。
準じる思想も反する思想も各キャラクターがそれぞれの思想の元に動くのは最終的な物語のゴールであり作者の思想の先へ導きたいからじゃないかなーと思ったり。


確かに読者にとってはキャラクターと物語、キャラクターと背景は違う。
でも作者からすればキャラクターと物語を構成する世界は同一なんすよね。
事件や状況もキャラクターも全て物語世界の一部に過ぎない、というかそれを使って物語を描いてる。
キャラクターや状況、事件は全て作者の「物語」を描く為のツールではないか。

そしてマイクと言う言い方をするなら、
作者の思想を反映して物語が描かれるのも作者の下に物語が存在して、作者のカオスな想像力の中から思想を伝って物語が浮かび上がり、そこにキャラクターが付随してくるのではないだろうか。
もちろん作者によって創作スタイルは違うかも知れないけど、物語構造を考える作家であれば思想の方が高位にあると思う。
だからどちらかと言えばウチは奥方に近いかも知れないw

押井守が物語構造を語る時にキャラクターは過不足なく配置されているかを語るのもそう言う事でしょう。
映画パトレイバーもキャラクターの物語ではなくて街の物語だし、世界の物語だし。


ということで、アルスラーンさえ終わらせてくれるなら漫画化でもなんでも良いのでとりあえずザッハークやってください。


映画は戦場のようなものだ
映画の中には愛があり憎しみがありアクションがあり
暴力がある。そして死も
つまり“感動”だ

勝手にしやがれ


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押井 守,竹内 敦志

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