書評対決書き手Aの記事を改編して感想を書くメタなネタ記事

■青二才氏と古田ラジオ氏の書評対決 「不道徳な経済学」編/増田
http://anond.hatelabo.jp/20130508154614

経緯はよく判らないが読んでて文章が気になったんで改変してみようのコーナー。
ちなみに自分はこの事件の経緯もよく知らないし、このレビューがどんな本を読んで書かれたものかも知らない。
誰が書いたかもあまり知らんし(もう誰が書いたって出てるの?)どうでもいい。
ただ増田読んでたら「ぐわー」ってなったので少し遊んでみる。
Aを読んだ感想を、Aのメソッドを主に使って、少し自分なりに足してみる改竄、改変?


A 「理論的には正しいのかどうか判らないけど文章がヒドい」

この記事の書き手曰く「頭でっかち」、曰く「論理的な馬鹿」、曰く「ハリボテ」。
しかしそれは僕がこのA記事について感じたことでもある。
文章としては旧態然とし経験が無く理論優先、ネットでよく見かけるこじらせた人間の特徴が出ているだろう。
それらは「はてな民を焚きつける」意味合いとして非常によく機能している。
一般に通用するような論理性、社会に通用するリアリティを期待して読むとイライラさせられる。
「自分を知的で論理的だと思っている人間の限界」
を見せつけられた記事であり、近代が生み出した反面教師だろう。


確かに論理的である事、理屈が合うことは良いこととされている。
しかしそれ以前に
「理論的には正しいのかどうか別として、それ以前に文章がひどい」
というこの記事や、理論優先で他が伴わない書き手の存在を意識しているのは僕だけだろうか。

書き手が意図する「自分の知っている知識を自慢げに振り回し」ている事にハマっている時こそ起こる感覚だが、
大真面目に文章を読んで反論すると「ニヒリズム」という視点では素晴らしい書き手も「文章力不足」やそれに伴う「自分の文章の構造がおかしい」という自己を見返す能力や出来上がった記事の実際を受け入れていない。


そもそも、レビューとは読み込んだ作品の中身を換骨奪胎する行為である。
読み込み、そして自分なりの解釈を並べてみせる。
それは時にはブンガク的だったり、論理的だったり、感情的だったりするだろう。
しかし読み手を想定出来ず、読み手が理解出来ないような語彙を自慢げに振り回す行為には薄っぺらな自尊心しか感じない。
全能感をもって、自分の中で理論上正しいと思っている感想を導き出しているらしいが、結局は骨に神経や肉がついていないのでレビューとして成立しないし読み手に共感が得られない。
レビューにおいて論理が骨であり、表現や語彙や経験や人間性が出るのが肉の部分になる。
レビューに求められるのは、教養や知識だけではない。
この記事の書き手Aはまさに「骨だけ骸骨」である。
知識上は正しいことを言っているが、それとて一面的なモノ。
ましてや他の学問まで領域が及んでいないため、それをそのまま社会に取り入れればカオス以外の何者でも無くなる。


だが、筋が通らず、納得できない事を天然でやるからこそ気づかされたことが多い記事でもあった。
特に文章破綻の仕方が非常に現代的な、高学歴社会的な「知性や知識があるからと言って賢い印象は受けない」ことが非常に面白かった。
はてな村に必要とされる、書き手のセンスが良い意味でも悪い意味でも強く発揮された記事であった。 
 


これ以上はしんどいなぁ....。
B記事には特に何も無いかな。「「とか気になるけど、中身とか文章に関しては特に何も無い。
まぁ、誰が書いてても別に良いんですけど、難しい言葉とかを使っちゃうのって読んでる人間が判ろうがオレが書きたいからどうでもいいって態度がモロに出ちゃってて見苦しい。
平文で書く方が良いでしょうねぇ。
文語体で書くには文章力が低い。なら口語体で書けば良いのに見栄が邪魔をする。
知識や教養はあるんだか無いんだか知らないけど、それを噛み砕いて誰にでも伝わる文章を作れない。
政治家なんかによく居るけどね。
難しい言葉を使ってるオレ偉い、みたいな勘違いw
そんな感じなのかしら?


ん?書評対決なんだ?
へぇ。頑張って下さい。どっちでも良いけど。