ネットでの批評とか批判とか

・【短考】感想と批評の違いとはなんだろう?/短歌ウルフR
http://nagase-m.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-3203.html
こうやってまとめて頂くと判り易くていいと思います。
とてもいい記事。


で、今シロクマ先生の本を読んでるんだけれど(ジョジョリオンとテラフォーマーズと荒木先生の映画の本買ったからその後でまた読むけれど)確かに「人間の情動を処理する機構」としてネットは機能してますよね。
人間の精神的な部分やそれに対する未熟な精神的動きの方が旧来的なスペックやパラダイムのまま。
SNSやWWWは最新式なのに使う人間は旧式。
そこのズレが炎上だったり様々なトラブルに繋がってる、と(その辺まで読んだ)。
やっぱり新しいモノが必要だと思うんですよ。

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つまりね。
上のリンク先の記事もそうなんだけど、想定は
「発表されたものに対して」
になってる。


批評とか批判とか


世間に作品を発表する。
それに対して「批評」されたり、「批判」があったり「悪口」を言われたりする。
毎日ニュースなんか見てて政治家とか不用意な発言したり活動したりしてそれに対して「批評」「批判」「悪口」がある。
いわゆる公人って呼ばれる人相手だと思うんだけれど。
例えば村上春樹の作品が発表されてあれに対して感想をいう。
昔はそれが「面白かった」「クソつまらなかった」って言う個人の感想か、書評として雑誌に載ったりするところが終着だった。

ところが今はそれがネット書かれる。
それが「批判」だか「批評」だか「感想文」だか「悪口」だか判らないけど、そういう文字がネットで多くの他人に見られ、読まれる。
でそれに対して更に「批判」「批評」「感想」「悪口」が派生する。

そして、それと同軸上にネットで公開された素人が書くブログの感想や思考、記事に対して「批判」「批評」「感想」「悪口」がある訳ですよ。
でそれに対しても、また更に「批判」「批評」「感想」「悪口」が派生する。


例えばウチなんかがどっかのブログを読んで記事を書く、すると
「お前何さまだ、こんな記事を書いて批判して」
ってお叱りが来たりする。


リングサイドの批評家


でも考えてみてくださいよ?
「こんなもん最悪で読む価値も無い」
なんていう悪口書いてるわけじゃなく、
「○○が××だからこれは良くない」
って論理も筋も書いてるのに怒られるんですよ 笑
「お前の△△が間違ってる!」
「お前は何を書いてるんだ!」

って来るわけですよ 笑

でもさ、
「なんだこれ、最悪じゃねぇか」
悪口コメントと書いてる方がよほどひどくないです?
書き逃げして、中身もろくに読んで無くて、もしそーいうヤツに話を聞いてもろくな見解も無いのに。
なのにそっちはスルーでしょ?
なんかおかしくね、この仕組みって?

「お前はリングに上がってきたから殴りあいオッケーだろ?」って事?
リングの外から石投げてるやつはスルー?
いや、オレもリングに上がってねぇよ 笑
リングサイドで「あの試合はかなりしょっぱい試合だった」って言ってるんだよ?
なのにリングの上に引っ張りあげられてしまう。
ボクサーへの批判じゃなく試合の批評をしてるってのにさ。
それを大声で言ったらボクサーにリングへ上がって来いって言われる。
なんだこのシステムは?


記事書いて、論理も論旨も言えるくらい読み込んで、それで怒られるんだぜ 笑
ふざけた炎上メソッド記事とかさ、デ○こいてん~みたいな大掛かりなネタ記事とか論理グダグダで上っ面だけの記事とかさ、読み込みもしないで「これは素晴らしい記事だ」「納得できる」ってコメントで拡散してるのが正しくて「これはちょっとおかしいよな...」って方が間違ってるような扱いなんだよな。
なんだろこれ?
気に入らなきゃ黙ってろって事なのかしら?
つまり目の前で詐欺とか泥棒とかデマを見つけても、大声で騒がずに何にも言わずに見てろって事?
その論理だったら
「これは素晴らしい記事だ」「納得できる」
そんな連中も黙ってろって事になるし、じゃあ誰もSNSなんて使うんじゃねぇよ。


んで誰相手ならやっていいんだろうね?
社会的に地位があって公人と呼ばれる相手ならSNSで悪口書いて「あいつ死ね」とか言っても良いのかな?
ここ数日何回も見かけてるけど。
「殺す」はダメで「死ね」はセーフなんだっけ?
んじゃブロガー相手はアウトなのかな?一般人だから。
でブロガーもプロとアマがあるから批判批評する前に
「あなたはアマですか?プロですか?」
聞かなきゃダメなのかしら?
プロならセーフ?アマならアウトなのかな?
んでブロガー相手に使っていいのはどのツールなんだろうね?
フェイスブックならアウトでツイッターとブログならセーフ?
.......。


新しいパラダイム


だから結局ね、
旧来的な「批評」「批判」「感想」「悪口」みたいな枠に当てはめて考えるからズレが起きる部分があると思う。
というかだからジャンル別け出来ないし、実際出来てない。
記事に対して
「○○って××だろ?!」
ってコメント付けても「悪口」とも読めるし、「批判」とも取れるし「指摘」とも読める。
結局受け手側の問題でしょう?
対処と言うか。
公的な事に対して悪口を言うのはセーフで、個人の発表してるモノに対してならアウト?
だって今や個人が書いたものが何万人に読まれるんだぜ?
ウチみたいなクソ泡沫のクソブログでも何万人か来たりするんだぜ?
線引きも微妙。
どこからどこまでか。
だって論理立てて
「ここがこれだからこれでこうなんだ」
って書いても
「お前批判したな!批判!」
いや、だってそう読んだんだもの 笑
嫌なら発表しなきゃ良いじゃん。
ネットに書かなきゃ良いじゃん。
ネットに書いたらそりゃ感想でも悪口でも書かれるんでしょうよ?
そりゃあ
「こいつ何書いてんの?バカじゃね?とっとと死ねばいいのに?何で生きてんの?ボケ!」
とか書いて怒られるなら判りますけどね。


はてブでは、面白いコメントを至上にしたらどうだろうか?
はてブは面白いコメントを至上にしよう」って言うのはだからパラダイムシフトの提案なんすよ。
旧来然とした「良い・悪い」の評価軸では無い、新しい軸を持ち込めばそこでパラダイムが新しくなる訳でしょう?
多分そこまで伝わってないけど 笑
書いてないから。
良いコメントは書こう、悪コメントは止めよう。
それって聞こえはいいけど、旧来のやり方を敷衍してるだけの話じゃね?
結局何の解決にならない。
そんなところで思考がウロウロしててもどこにも辿りつけないんだよ。
「ネットにおける批評について考えてみよう」なんてもっともらしく敷衍しても、答えもろくに無いのに考えたからって自分だけ満足して、行きつく先は今までに無い形態の情動システムツールの実態とそれを捉えきれない旧来の思考しかないんだよ?


言語的に何か新しいジャンルとか考え方・捉え方が必用なのかも知れない。
バカにでもわかりやすく納得できるオブラートとしての。
今やセーブアイコンもフロッピーじゃ古いってなってるのに、ネットの新しいコミュニケーション間の批評・論に対して正確にそれを表現する言語が無いのは問題だろうよ。
無理矢理、旧来の言語に当てはめてる。
個人が情報発信元になって別の個人がそれを見て評価してそれを書いて、その書いたものをまた別の個人が見て評価して書いて...そんな事を想定していない時代につくられた言葉でやりくりしてる。
新しい働き方「ノマド」みたいなさ、なんかそういう造語は無いもんかな。

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