半径50センチについて3428文字

半径50センチ。
知ってます?聞いた事ある?半径50センチ。手の長さは60とか70センチくらいだから「手の届く範囲」って言う事なんだろうけどいつごろから言われてるんだろう。それはそうとして、人間って半径50センチでしか生きてないと言うか目線を向けられない。リソースがそんなに無いんだろうけど、それにしても狭い。オレは広い視野を持ってるぜ、って言うヤツはその広い視野を持ってるっていう自分の視野しか知らないし、ざけんなこんな事も知らないのか、ってネットに書きこむ奴はそのこと以外はあんまり知らない。みんなそんなもんだ、そういう限られた50センチの知識と経験で何かを語り、自尊心を保ち、共有し、繋がっていると錯覚し、誰かに承認してもらい喜ぶ。
「桐島、部活やめるってよ」って映画の中にも学校の先生から「半径50センチで映画を撮れよ」って台詞があるんだけれど、あれにしても生徒に対してベタベタの青春ものの脚本を渡してる先生には自分の半径50センチの視点しか無くてその視点は自分が学生時代だったころのロートルな視点でだから神木隆之介は自分らにとっての半径50センチの暗喩になるゾンビ映画を撮る事になるんだけどあそこの現実と虚構が混在するところが評価が高いんですけど、実際フィクションの中のリアルなんてシンパシーを感じるか否かの差だけで、フィクションにリアルなんてものはほぼないのが実際の話であって、例えば「うわー、これってリアル―」って感じるのは通常のフィクションならまろやかにするだろう表現が露骨だったり、言われた事のある台詞もしくは言いそうなセリフが「リアル」と感じるだけであってそんなものはリアルでも何でも無くて、昔ガス・ヴァン・サントが「エレファント」を撮影した時、本物の学生を使って、演技をほとんどつけず、メインのストーリーだけを決めて各登場人物の視点から描き、しかもそのカメラの焦点の合う合わないで暗喩的に興味の有り無しまで表現してみせた化け物みたいな映画があるんだけどあれにしても映画レビューなんて名ばかりの感想文を読んでみると「たいくつ」「静かすぎて寝そうになった」とか、そりゃあ日常なんてBGMも流れてないし、効果音も無ければナレーションも無い、まぁ脳内モノローグはあるかも知れないけど、でもそれが現実をフィルムに落とし込んだリアルであって、でもリアルっぽいリアルを描いたフィクションの中の過剰に慣れてしまっている感覚には退屈に映ってしまうところなんかもそういう理解の無い半径50センチの世界でしか見れて無いって事になるんだろう。
半径50センチは何に関しても言える事で、例えばウチみたく洋楽を普段から聴いてると「こんなに良い曲なのに英語だから聴かないとかって狭い価値観が勿体ないよね、ホント」って思うけどそれはオレの中の半径50センチの話で、他人の半径50センチからすれば「韓流アイドルってこんなに格好良くって素敵なのにどうして理解出来ないんだろうみんな」って思ってるだろうし「やっぱ総選挙さしこがセンターで下剋上達成しなきゃでしょう」なんてCD買ってる気持ちもそいつにとっての半径50センチ。そこで折り合いをつけて認めたり認めなかったり、豊かになったりなってなかったりするし、幸せを感じるかどうかもその辺りで決まってしまって、目の前の50センチの世界なんだから当然誰か他人の入る余地なんてないしそんなリソースは無くって、誰かを好きになったり嫌いになったりするのはその誰かの幾つかの要素を自分なりに解釈して自分の中で組み立ててそれを好きとか嫌いとか言ってて、よくアイドルは偶像だとか言うけど実質自分以外はすべて偶像なんだろう。誰かを好きになるのは、その一緒にいる時間に見える姿から情報を取得して、その情報を元に自分の中に作り出した相手の鏡像に対しての気持ちで、だから結婚してから「あんな奴だと思わなかった」とかっていうのは別に結婚して変わった訳じゃなくって、元々そういう人物だったのが一緒にいる時間が増えて表面化してそれが見えてきて半径50センチでの情報が増えて来て、鏡像も変化してだから「あいつがあんな奴だって思わなかった」って台詞は一面的には合ってるし的を得てるんだろうけど、よく「人を見る目が無い」「男・女を見る目が無い」って言うけどそういう人は自分の中に作り出す鏡像に対して理想を入れすぎてしまって本来の情報をどっかでブーストしてしまっているから本来の姿が見えない状態になって、愛は盲目とか言うけどその言葉は言い得て妙で確かに情報の取得が正常じゃないんだから盲目に近い。
ましてやブラウン管の向こうやステージの上、ネットの上でのアイドルに対してなら得られる情報は隣の他人よりも圧倒的に少なくて、理想的な面ばかり見れて、しかもそんな素敵な憧れのあの娘はみんなにキャーキャー言われて、握手会で握手できたならその情報まで加わってますます好きになって、コンサートも行ってペンライト振ったら応援してるみんなと一体感が得られて、みんなと繋がってる錯覚と仲間意識まで芽生えたりして、でも最近はステージも遠いし売れて来たしみんなのアイドルになっちゃって全然会える距離じゃないんだな、なんて自分で勝手に距離を近いと思ってたのがどんどん遠ざかってると勘違いして、距離を計り間違えてるからそれでファンを辞めたりするのもそいつの中での半径50センチでの話に過ぎないし、誰もかれも自分の中に作った鏡像にキャーキャー言ってるだけの話で、ここからは個人的にだけれどどんな理屈をつけてどんな分析をしてもそこに感情論的なモノが入ってると辟易するし、しかしそういうのっていわゆる「ファン」って人間にはそっちの方が心地良いのはそこに感情論があるからで、オレなんかは感情論が入った熱い文章を見たりするとなんか違うなーって思うけど、それは自分の中の鏡像が冷めてるだけの話で同じものを見ててもみんな冷めてる訳じゃなくって轟々と燃えてるし、そういう轟々と燃えてるのを見ると辟易するんだけれども、そういう冷めてるって言う自覚とか50センチだよなーって思ってるけど判ってないからどうでもいいって気持ちになるし、暴力的な気持ちをもって完全否定でもしてみようかとも思うがツイッターで一気にフォロワーが50人も減ったら悲しいかも知れないしやめとくくらいの自制心は働くらしいからそういう気に入らないものは完全スルーしてみる。先日の乙武車椅子炎上追いオリーブ事件にしろそうだけど脊髄反射って言うのは、半径50センチしか見えて無くってそれが世界の全てだと思い込んでる狭苦しい認識から発生するんであって、それがそいつにとって正義だろうが義憤だろうがお前の半径50センチだけの話であって、お前の半径50センチ以外でどうなのかなんて知らないし、少なくともネットの世界は、半径50センチに収まらないんだけれども、その辺りのリソースの無さを捉える感覚が無いまま成長してしまっているのは、義務教育無しでインターネットは誰でも出来てしまうからなんだけれども、そういうリテラシー教育なんてもんが本来は必要でそういうモノを無理やり半径50センチに落とし込んでやらないとそういう軍団は生涯そのまま。学ぶとすれば炎上でもしなきゃ無理だけども、距離感が計れないんだから勝手に燃えて勝手に学習すればいいと思うけど燃えても学習しないやつは結局学習しないからそういうヤツは知ったこっちゃない。とっとと燃えてとっとと疲れ果ててとっととバイバイ。だからネットに文字を書いてそれを伝えるって言う事はとても難しくって今回は、わざと舞城王太郎とか野坂昭如みたく読みづらくしているんだけれども、だからこれを読み込んできちんと理解してインプットしてアウトプットできるくらい自分の中の半径50センチに正しく情報取得して「なんだこれつまんねー事書いてるなー当たり前じゃねぇかよ」ってところまで落とし込める人がいるならなかなか尊敬したいと思うけれど、実際これを最後まで読み通すなんて言うのは潜水競技くらい潜水病になりそうな文字の海で、そうはいる筈も無くって、結局文字の多さに辟易とされて、読まれもしないで他のところへ行ってしまうか、どっちにしろこのブログのアクセスも大したことないからこういう風に自由にPVも気にせず書いたりしてるって事で泡沫万歳と喝采をあげたいけれどそんな快哉は誰の耳にも届かないし真理でも無い。
3428文字。

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