ももクロの5THに見るハイブリッド


やちゃさんのこのツイが興味深い。

ももクロの魅力の一つとして「異種混合(ハイブリッド)」がある。
これって
「あぁ、ももクロって最近出て来たアイドル?」
程度の認識の方々には解らない、見えない部分であって、既成概念的な「アイドル」と言う枠組みを逸脱してみせる事が面白みであり、しかし実態としてももクロはどこまでもアイドルだっていう二律背反がとても興味深い存在になってる。


アイドルとは...


今年念願の紅白出場を果たすなど大人気の「ももいろクローバーZ」については「2013年に解散すればいいと思う。当面の目標である紅白出場は達成したし、次にやることがない。もともとももクロはアイドル志望でなく女優志望の集まりなのだし、無理して目標を新たに作ることはない。ももクロ主演でそこそこの映画を作り、花道にすればいい」と提言する。

アイドル評論家「ももクロは来年解散すればいい」2012/12/30

売れ始めると自称「アイドル評論家」らが寄ってたかって旧来的な概念のアイドルを持ち出し「アイドルと言うものは...」と語りはじめる。
根っからのドルヲタがももクロを語ってもどこかしら違和感があって、こぼれ落ちる部分が旧来的な「アイドル」という概念にハマらない部分なんだが、そういうモノもひっくるめて全てを
「アイドルの音楽って言うのはこれまでのポップスの良い部分を集めて...」
みたいに語ろうとする。
いやいや、それって語れてないし本質が見えない。


ももクロ「5TH DIMENSION」は、異形のアルバムだと思う。
歌いながら踊るアイドルならもっと「踊る事を想定した」歌になっていなきゃいけないだろうに、踊りながら歌うのに向いて無くてトリッキー。
アイドルの楽曲っていうのは売れる為に「シンプル」でなきゃならない。
要は「覚えやすく歌いやすい」聴いただけで「あぁ、あの曲」って言える印象的なフレーズやCMで使われればそれだけで誰でも覚えられるような曲が求められる。
一節辺りの情報力が少なく、歌詞が明確で受け取り易く誰でも描ける世界観。
しかしももクロの楽曲にそれは無い。
ももクロが「過去のポップスの歴史とは...」で語れない部分がそこにあり「ハイブリッド」がそこにある。


平坦な戦場の先


現代は「引用の文化」だろう。
旧来の既成の存在を使い回し、組み込んだり複合したりする事で新しい形になる。
前後の文脈を必要とせず言葉は切り取られ、名言や引用として使われる。
DJは過去の既成の音源をターンテーブルの上で攪拌し、激しくスクラッチで擦る事で既存の音の存在を新たな形に変化させ、ミックスしマッシュアップしブラッシュアップしする。
ブレイクビーツでは、過去に鳴らされた音源を切り貼りする事で前後の文脈から切り離し、過去の音を引用しどこかに貼り付ける事で更に新しい音を作り出す。引用された音は変化し、引用から姿を変え新たな姿になる。
リズムマシーンは平坦に延々と同じ一定のリズムを刻み、その上でどこかから引用された音が並べられ、変化し、その上に現在のボーカルが乗り、新しい「今の音楽」になる。

この街は悪疫のときにあって
僕らの短い永遠を知っていた 僕らの短い永遠

僕らの愛

僕らの愛は知っていた 街場レヴェルの のっぺりした壁を

僕らの愛は知っていた 沈黙の周波数を

僕らの愛は知っていた 平坦な戦場を

僕らは現場担当者になった
格子を 解読しようとした

相転移して新たな配置になるために 深い亀裂をパトロールするために
流れをマップするために

落ち葉を見るがいい 涸れた噴水を めぐること

平坦な戦場で僕らが生き延びること

ウィリアム・ギブスン・訳:黒丸尚/愛する人(みっつの頭のための声)

かつて岡崎京子が「平坦な戦場で僕らが生き延びること」とウィリアム・ギブスンの詩を引用して見せたポストモダンな90年代の更にその先。
行き着いた現代。
リバーズ・エッジ (Wonderland comics)
「平坦な戦場」で死ぬことも無くただただ生き延びてしまった人々らは、無条件に与えられる安寧な日常から新しいものは生みださず、過去の引用を行い様々な要素を組み合わせるハイブリッドなコンテンツを生み出し始めた。
イノセンス アブソリュート・エディション [Blu-ray]
押井守が映画「イノセンス」の中で、インプラントやサイボーグ化によってネットと常時接続し、人が単体では無く集合知に依ってなる世界を見せたように、過去の名言や文学作品の一部を引用して自身の言葉の代替えにしてみせるように。
アナログなデータは劣化し、複製の際にノイズが入り、それは度重なるコピーの果てに劣化と損失を含んでいた。
しかし時代はデジタルが主流になり、デジタルな無劣化のデータは同質のコピーを生み出せるようになった。
かつてエントロピーに逆らうなく劣化し、消費され消えていたコンテンツは、今やデジタルデータとして過去も現代も変わらず扱われ、切り離され新たな形となった。
かつて意味を持っていたものが大きな意味から切り離され、それ単体として意味を持ち、何かと結合し新たな意味性を持つ。薄っぺらに切り貼り付けられるフランケンシュタインライクな集合したテクスチャの文脈に意味を見出し、そこに自身で物語性を付与する。


ブレイクビーツ、ダブ、ポストダブステップ。
旧来的な「アイドル」が、それらのトラックを使用しないのは「アイドル」と言うものが「ファン」を前提に想定された偶像であるからであって、例えば“ミュージシャン”や“アーティスト”と言う呼称にファンが無くても(結果的にファンが存在するとしても)成立するが、「アイドル」はファンがいなければただの“自称”アイドルでしかない。
歌が下手で誰に評価されてい無くても音楽をやってればそれは“ミュージシャン”を名乗っても問題は無い。
作品はろくでも無いゴミの塊であっても“アーティスト”は成立する。
しかし誰にも応援されず自分で自分を「アイドル」と呼ぶのは無理がある。
だからこそ自称アイドルでしかない「地下アイドル」は、アイドルであるがアイドルでは無い。
“ミュージシャン”や“アーティスト”は自身で何かを生み出しそれを生み出す、その生き方を呼称しているのに対し、アイドルは前提として客・ファンが存在し、それらに対して初めて「アイドル」として機能する。
だからこそアイドルの楽曲は「ウケる」事を要求される。


キマイラ


ももクロのアルバム「5TH DIMENSION」は、ブレイクビーツを思わせる切り貼りされ繰り返されるリズムとメロディ、そしてダブのように変化しグルーヴを生み出すトラックがある。
重厚で複雑であり複層構造なトラックはアイドルと呼ぶにはとても重く、ロックと言うには分厚く難解すぎる。
しかしそんな『アイドルらしくない』トラックの上に、ももクロ五人のいかにも「アイドルらしい」ユニゾンや歌が乗る。
ある意味、闇鍋のように無理矢理合わせかき混ぜたマッシュアップこそが、ももクロの楽曲のハイブリッドさであり、それはアイドル“ももクロ”の総体的な部分を縮図としてフラクタルに表現しているのかもしれない。

旧来的なアイドルを模倣しながら、これまでのアイドルとしては異質な存在として
「旧来の様々なコンテンツからの引用の複合物」
ももクロであり、だからこそ旧来的なアイドルの文脈からは溢れてしまう。
冒頭に挙げたやちゃさんのツイートにある
そこが「中途半端」とみられる
という言質の本質は、そういった旧来的ないわゆる「アイドル」と呼ばれる価値観からの逸脱を成す存在であり、様々なコンテンツから引用していると言う事実は現代的ではあると同時に、引用と言うものが必然的に持つ「本来の文脈や意味性を持たない」いいとこどりな視点を必然的に併せ持つんだろう。

ももクロは5次元へ旅立つと自称していたが、いわゆる旧来的な概念から離れつつあるそのベクトルは、楽曲の複雑さや一見さんお断りで、かつてのストーリーとハイコンテクストでファンを獲得した「ももいろクローバー」という無印時代からの変化を意味しているんだろうし、だからこそアルバムは賛否両論で迎えられ、誰しもに受け入れられる「ウケる」音では無い。
今やももクロ
「アイドルももクロ
「アイドルからミュージシャンへ変化する」

と言ったような旧来的な捉え方では理解出来ないベクトルなのだろう。
確かにアイドルとしてはハンパだろう。
ミュージシャンとしてもハンパだろう。
しかしそういう「半端だが、様々な事をやってみせる」事がももクロだし、それが受け入れられないなら旧来的などこかのアイドルを応援でもするか、どこかのロックバンドを聞くしかない。


...話を広げ過ぎた。

5TH DIMENSION【アマゾンオリジナル絵柄トレカ特典付き】(初回限定盤A)5TH DIMENSION【アマゾンオリジナル絵柄トレカ特典付き】(初回限定盤A)
ももいろクローバーZ

キングレコード
売り上げランキング : 924

Amazonで詳しく見る