Googleリーダー告別式式辞

舞台袖から男がステージに登る。


皆が世界最高のRSSリーダーの1つを追い出される事態に出会えて光栄に思う。
RSSリーダーと言うものが作り出されて以来、これほど人々の口の端に「RSSリーダー」という名称がのぼる事は無かっただろう。

日々情報はあふれ、情報収集の方法も変化しつつある。
そんな最中、Googleリーダーは途中退場する事になった。


今日は皆にRSSリーダーについて3つの話をしたい。
それだけだ。
大したことじゃない。
3つだけだ。


まずはRSSリーダーの“未読”についてのこと。

よく「未読が多すぎて疲れる」と言われる。
数日RSSリーダにアクセスせずに放置していれば人によっては数十から数百の未読記事が溜まる。
そんな数字を見て辟易する。
なんてことだ。
どうしてこんな事になってるんだ?と。

しかしよく考えてみて欲しい。
RSSリーダーの未読数は単なる通知でしかない。
「あなたが読んでいない記事の数はこれだけです」
単純な数字。
別にその数字は、読まなければならない数ではない。
読んでも読まなくてもそれは構わない。
ただ読んでいないだけだ。


最近LINE疲れと言われる。
LINEでメッセージを送り、相手がそれを読み“既読”になる。
送った方はメッセージが“既読”なのに返事が返らない事が気になり、
送られた方は相手に“既読”だと伝わっているのが解るけれど返せない、返さない。
そして疲れるのだと言う。

単なる通知機能なのにも関わらずそれによって心理的に負担が生じる。
LINEでの既読もあくまで通知だ。
「読みました」
それ以上の意味はそこにはない。
情報が少ない分、その“既読”を見て自分なりに情報を付加してしまう。
勝手に推理し解釈をする。
どうして返してくれないんだろう?
返せって思われてるだろうな?
相手は何とも思ってないかも知れないのに。
そんな事を想像するために“既読”はあるわけではない。
通知が通知でなく、鏡のようにその使い手の想像力をかきたててしまう。
使い手の勝手な思い込みで自身が疲れる。


RSSリーダーを移るのはとてもいいタイミングだ。

もう一度、よく考えて欲しい。
通知はあくまでも通知だ。
未読数なんて気にする必要はない。
多ければ消せばいい。
それだけの話だ。
あとでゆっくり自分の読みたい記事だけ読めばそれで充分。
数字なんてただの数字だ。


次に「RSSリーダーは古臭い」と言う意見について。

Googleリーダーの死と共にRSSリーダーの使用も止める人もいる。
そういう人はよく口にする
「情報が多すぎる」
「今どき、フィルターも無い情報の羅列なんていらない」


「情報が多すぎる」のは、それだけRSSリーダーにブログやニュースサイトを登録しているのであって、誰にも強制されたわけでも無く自分の選択でそうしたはずなのに、まるでRSSリーダーが悪いかのように口にする。
もし登録ブログが数件しかないならそんな体感をする事もない。
あれも読みたい、これも読みたい。
無料のメルマガを登録しまくってあげくメールの受信箱があふれかえって、読み切れなくて
「なんでこんなにメールが来るんだ、多すぎる」
そう言ってるのと同じことだろう。


毎日のように流れる情報は、とても多い。
そして確かに、情報のフィルタリングは必用だ。
RSSリーダーによってもたらされる情報の代替えとして、TwitterなどのSNSを挙げる人間もいる。
ツイートは人力でフィルタリングされている。
誰かが「この情報はいい、共有しよう」
そう思ったものがツイートとしてTLへと流される。
ストックではなくフローな情報だ。

しかし、それは違う。
RSSリーダーは、あくまでもブログやニュースサイトの更新情報を確認すると言う「定点監視」のツールであって、広く情報収集をするものではない。
ニュースサイトのヘッドラインが多すぎるからTwitterでのフローな情報が良い、と言うならまだ解らなくはない。
しかし元々情報の提示も収集も違うツールを比較して
「フィルタリングも無い、RSSリーダーの時代は終わった」
などと言うのは勘違いが過ぎるだろう。

道具は使い手によってどうとでもなる。
誰にとっても筆はただの道具だが、天才が使えば様々な芸術がそれによって産み出される。
使いこなせない、古いのは使い手が古臭い凡人だからにすぎない。
RSSリーダーが古いのではなく、使い手の使い方が古いのだ。


最後に「RSSリーダー」と言うものについて。

RSSリーダーとは、なんなのだろうか。
今や沈みゆく船から逃げ出す鼠のように、誰も彼もがグーグルリーダーの代替えを探し求め、その代替え先は手を挙げ、手を振り、避難民を受け入れようと、自分たちの顧客を獲得しようと躍起になっている。

RSSリーダーは、実にシンプルだ。
フィードを登録すれば更新情報を延々確認して、記事のサマリーを溜めこむ。
それだけしかない。
あとで読むためにPocketやEvernoteと連携させたり、SNSと連携させてTweetしたりする事もできるが、共有機能はリーダーの本質では無い。


「リーダーを消化するよりもっと有効な時間の使い方がある」
使い始めたのは自分なのにそんな事を口にする。
かつては、記事を読むことを楽しいと思っていたはずなのに。

時間をもっと有効に?
リーダーを読む事を「これは有効な情報収集だ」と思っていた時期もあるだろう。
「今どき、フィルターも無い情報の羅列なんていらない」
そういう人は決まって
「今や情報とはストック型では無くフロー型の時代だ。旧時代然としたRSSリーダーなど時代遅れで必要ないのだ」
と叫んでいる。


かつてライフハッカーと名乗る狂信者たちはこう唱えてきた。
「情報を得よ、この情報化社会において生き残り自分を啓発するには情報を沢山得て人より一歩先んずるしかないのだ」と。
しかし今やライフハッカーたちは
「情報は多すぎる、フィルタリングしろ。情報など切り捨てて自分を磨くのだ、効率化だ」
と手のひらを返した。
メタボリズムを盲信しひたすら情報を増やしてきた信者たちの元で処理能力を超えて溢れかえった情報はその手に余るものだった。
ライフハッカー信者が自身を振り返り、その自分の人生をどれほど変えたのだろう。

もし大きく変えたとするならおめでとう。
あなたにはライフハックがあっているんだろう。
シンプルで効率的にする事で自身の才能が開花し、人生が変わったんだろう。

しかし意識だけはとても高く、ただただライフハックを盲信し、良さそうだからと言う理由で模倣し、結果何も変わっていない大多数の信者にとってのライフハックとはなんだろうか。
それはただの趣味でしかない。
ライフハックと言う趣味、娯楽、自己満足。

「もっと有効にリソースを使おう」
そもそも自分のリソースを最適に使える人間なら、Googleリーダーが終わるから気付かされるなどという愚を犯したりはしないで、とっくに有益にリソースを活用しているだろう。
そしてRSSリーダーも有益に活用しているだろう。

やめたければやめればいい。
それで有益になると思うのなら。
しかし大声でそれを叫ばれてもそんなものは、単なる自分だけの都合と自己満足に過ぎない。


だからこそ、もう一度言いたい。
RSSリーダーとはブログの更新情報を確認するためのツール」
それ以上でもそれ以下でもない。
単機能な情報収集ツールなのだ。


過度にブログを登録して振り回されたり、未読に疲れたりするのはそもそもがおかしい。
記事を読むのに時間がかかりすぎるのも同じことだ。
道具は自分の意志でどうにでもコントロールできる。
だから疲れる、時間を使いすぎるくらいなら登録しなければいい。
「このブログは滅多に更新しないから更新情報が知りたいな」
「このブログは面白いから読み逃したくない」

そういうものだけに厳選して使う方が良い。


使わない人はさようなら。
使う人は見直そう。
RSSリーダーとは何なのか。
どうすれば一番有益かを。


ハングリーであり続けろ。
愚かであり続けろ。
そして私は常にそうありたいと願ってきた。
そして今、皆がGoogleリーダーを追い出されて新たに歩みを始めるに当たり、皆もそうあって欲しいと思う。

情報に対しハングリーであり続けろ。
愚かであり続けろ。

ご静聴どうもありがとう。


拍手の中、男がステージを降りる。


※一部、スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞を参考にしました