「書評ブログ」?何それ?美味しいの?

■「書評ブログ」という闇/増田
http://anond.hatelabo.jp/20130625125229

この増田に欠けてるのは「書き手」の視点であって、それがあれば書評ブログとは何か?がわかる。
ただこの書き手の言う通り

例えば、プロブロガーを名乗っているイケダハヤトさんのブログなんか、記事の半分以上が引用で構成されている。ほとんど本の内容を写しているだけだ。
その通り。
あれは書評では無く転載記事であり、かの方のブログは転載と過去のトラウマから産まれる自尊心からなる理論で出来ている。
あと「さん」は付けなくていい。


さて、書評ブログとは何ぞや?
を考えるにあたり必要なのは、書き手の視点と読み手の視点だろう。
読み手からすればその感想文の中身が「解釈」だったり「要約」だったりする。
しかし書き手は必ずしも「アナタに是非読んで頂きたい」と思って書いている訳では無く、自分のアウトプットとして記事を書いているところも多い。
日記の延長線上、自分の過去ログ。
インプットが出来ていなければ、正確なアウトプットは出来ない。

本の知識はその本の記事のなかで完結していて、他の記事に生かされて絶妙に面白い記事が書かれる、ということがまったくない。
商業で活躍する優秀なコラムニストはそれをやってのけるが、彼らにはそういう兆しは一向に見えてこないのだ。

要約、と言うのは意外に難しくて自分が読んだ物語をまとめて数行で表現する、と言うのはかなりの労力がいる。
それを実際やってのけてるブログは少なくて、自分でもたまに読書感想文を書いたりしているが(書評だなんておこがましい)小川一水「天冥の標」の記事ではAmazonの要約をそのまま引用している。


手前味噌な具体例


一応、例としてうちの過去記事
西尾維新「悲痛伝」を読み終わった
こちらを参照しながら「どーやって書いてるか」書いていく。
明後日27日に続巻の「悲惨伝」が発売だし、ちょうどいい。
下記、引用としてリンク先の自分の記事を書いて、書いた意図を追記する形式。
ブログのセルフライナーノーツっすな。

地球からの攻撃「大いなる悲鳴」により1/3の人口が失われた世界。
空々空(そらからくう)を主人公に据えた「悲鳴伝」の続編にあたる作品。
書影の下、まず冒頭二行でAmazon(BOOKデータベース)からの要約をそのまま引用。
実際これでは中身が何もわからない。


新書で500ページ超。
京極夏彦並みの分厚さで鈍器になるレベル。
化物語」がセリフをメインに口頭の「言葉」で作られる物語だとすれば、こちらは描写で作られる物語
まず本の物理的な厚さをとり上げてる。
こういう情報は文末か文頭がいい。
どちらかで物理的な面や金銭的な面、あるいは作家の他の活動などを挙げたりする。
中身だけを一辺倒に取り上げるのもつまらないし、だから別の視点を入れるのは大事だと思う。


相変わらず感受性の欠片も無い冷徹な心理的に冷めた主人公空々空は、読者の感情移入を阻むし、だからといってロジカルに動くのかと思えば、感情があるかのように振る舞おうともするって言うめんどくさいメンタリティ。
無感情と言えば、ミスタースポックあたりを思い出すけど、スポックの方が余程人情味がある。
スポックは人間と交流するうちに人間の感受性を理解してたけども、空々空は終始感受性ゼロのまま。
“相変わらず”という語で「既にこのシリーズを読んでいる人を想定している」事を表明している。
ミスタースポックというキャラクターを挙げて誰にでもわかる「無感情に行動する人間」の比喩にしている。


この500ページを読み終わってまだ序章に過ぎなかった事実が一番驚き。
(中略)
その通りだよwww
マリーセレスト号状態の四国を調査の為に降り立ったのに、500ページかけてやった事は
・うどん食って
・拷問受けて
・スカートを覗き込んで
・ロリ衣装をはぎ取って着込んで
....最後に名探偵の推理を披露。
そこだけは主人公らしい働き。
とはいえ推理と言うほどの推理は無いし、
中身の要約。
単純に物語を要約するんじゃなく
「こんなに何も動きが無かったのにこんなに分厚いんだぞ」
という比較のためにあえて5つの箇条書きにした。
冒頭で触れた本書の「分厚さ」がここで生きる事になる。


それにしても語り口が冗長。
化物語」では、会話劇として第三者的(作者・神)目線の描写を排して「語り」を楽しむと言う側面があって、だから単純描写よりもわざと婉曲にしたり無駄な会話が多かった。「悲鳴伝」「悲痛伝」では、会話劇ではなく第三者的(作者・神)目線が中心に世界を構築するんだが、空々空の面倒な思考パターンをなぞって物語を展開させるので語り口は必然冗長になってしまってる。
途中で挫折する人も多そうで、これが四冊繰り広げられるんだから最終巻まで読破しきれる強者はかなり厳選されてるだろう。
それこそ四国で繰り広げられる脱出ゲーム並みに
西尾維新の他作と比較して、作品内容自体では無く作文に対して「冗長」と書いている。
西尾維新は毎回実験的な作風がある為、こういう「物語世界では無く文章そのもの」への分析の視点があっても面白いと思う。
“四国で繰り広げられる脱出ゲーム並みに”って表現は、なんか上手く言おうとしてていやらしい。


正義のヒーローと言う記号と、魔法少女と言う記号とは、意味性も存在も大きく異なる。
ヒーローは主観的な悪と戦う記号だが、魔法少女は必ずしも他者との戦いを必要とせず成立しうる。
絶和の魔法少女チーム「サマー」
他の魔法少女の存在は?
なぜ魔法少女なのか?
なぜ科学では無く魔法なのか?
その辺りは今後語られて行くのかな。

四国を支配するゲームのルールも
「外と連絡を取る」
「死ぬ」
くらいしか今のところ解っていないし、ルールをどう展開させるのかも面白い(ルールは魔法なのか科学なのか)。

それにしても誰が「悲痛」だったのかな?

悲痛伝は四部作の一作目で、しかも謎をばらまくだけまき散らした序章。
だからその謎をピックアップして並べてみる。
こうする事で読んだ人間からすると「どんな謎があったか」明確になって判り易く、読んでいない人間には具体的な中身が解ることなく(露骨にネタバレせずに)読んでみようかと言う気になる筈(なればいいなぁ)と言うあたりを意識して書いてる。
だからどのキャラが生き残ってどのキャラが死んで、と言うような具体的なことは書いていない。
読んだ人間なら知っているし、読んでいない人間は知らなくて良い事は書かなくていい。
それが読書感想文ってもんだろう。


書評とは...


本を沢山読んでいるから上手い文章が書けるかどうか?、と言えばそれは否だろう。
料理をいっぱい食べているから上手い料理が作れるか?、と同じ事。
消化する事には長けていても、自分で何かを生み出す事に長けている訳じゃあない。
本の知識はその本の記事のなかで完結していて、他の記事に生かされて絶妙に面白い記事が書かれる、ということがまったくない。
商業で活躍する優秀なコラムニストはそれをやってのけるが、彼らにはそういう兆しは一向に見えてこないのだ
コラムニストは作文が上手いからこそコラムニストなのであって、必ずしも読書力が高い訳でもないし、中身が薄い書評でもそれなりに面白く読ませることが出来る。書く事がまずありきだからこそのコラムニストであって、対してブロガーはどんな人間であれ、読書力や文章力など問わず有象無象始める事が出来る。

書評と呼べる書評には、何かを読み、何かを解釈し読み取ったものを自分で活字として表現しそれを書ける能力が無ければそれはただの読書感想文だろう。
ウチの記事は読書感想文だ。
書評ではない。
感想文だからボクはこう読んだ、こう思った、こうでした。

書評はこの本はこうだった、こうである、こう思うのだがどうだろうか?
読まれる視点があり、自己完結せず、作品を本質的に捉えて初めて「書評」と呼べるだろう。
もう一度言うが、冒頭で挙げた魔太郎くんの書店なぞは書評でもなんでもないただの転載ブログに過ぎない。
あんなもんはとっとt...(ry


ましてやメイ○マ様の言われるところの「キャリアポルノ」自己啓発書を読んで「こんな中身でした」としか書いていないブログは、感想文どころか詳細な内容要約に過ぎなくって、ああいうブログは「自分のために」読んでいる面よりも「誰かに読ませる、売る」為に読んでいる側面が強いだろう。アフィリエイトブログとしての側面が強い。
読後に読み手が
「この本はこうでした...」
「とても素晴らしい考え方でした...」
「一部中身から引用すると...」
そういう実際・実態が伴わない。
物語のあるフィクションなどの作品なら感想で終わるが、自己啓発やビジネス書と言われるものには理論や思想・実生活が伴う、筈だろう。
だが連日のようにビジネス書を読み、書きなぐり、その中身を「紹介」しているブログに書かれているのは書評ではない。
ビジネス書を読めば読むほど理想的なライフハッカーになりえないのは、ダイエット本を読んでも読んでもやせないのと同じ事。
読書後の実際の現場での活用こそがビジネス書の本質なのだが、読んだ人間の自己満足な自慰で完結してしまうからこそ「キャリアポルノ」と呼ばれる。
そしてそれを売る為に要約を書き、アフィリエイトのためにまた読む。
実際、もし効果があるビジネス書なら数冊で充分な筈で、何冊も何冊も読む必要はない。
ビジネス書を読んで実生活が充実したなら、次は物語でも読んで感性を豊かにする方が良い。
でもそうはならない。

そういう「ビジネス書の書評」って言うのもが重宝がられるのは、似たようなビジネス書が多くてどれを買うべきかの肩を押して欲しいからにすぎない。つまりキャリアポルノを読みたい人間が辿り着き、内容の要約を読んで参考にして買う。
だから書評でもなんでも無い。
そこにあるのはセールストーク。


実際、今まともに書評らしい書評を書いているブログなんてほんの一握りだろう。
ほとんどは感想文、もしくはそれ以下。
キャリアポルノアフィリエイトなんてヴィレバンのポップの集合体みたいなもの。
そんなブログをわざわざ読みに行く気も知れないが...。
「書評ブログ」が闇なんだかどうだか知らんが、書評なんて言葉はもう形骸化して実態が伴ってないし、その意味を深くなんて考えない。
キャリアポルノ・アフィブログ、それが正式名称。


大事な事なのでもう一度書きますが「悲惨伝」は6/27発売です。

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それにしてもこんだけ「キャリアポルノ」って使ってるし、そろそろメイ○マにお布施しなきゃならんかなぁ...。
まだ買ってないし読んでも無いが(立ち読みしかしとらん)。

キャリアポルノは人生の無駄だキャリアポルノは人生の無駄だ
谷本真由美(@May_Roma)

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