西尾維新「悲惨伝」を読み終わった

悲惨伝 (講談社ノベルス ニJ- 31)悲惨伝 (講談社ノベルス ニJ- 31)
西尾 維新

講談社
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全住民失踪事件を調査するべく四国を訪れた、
地球撲滅軍第九機動室室長・空々空。
利己的で感情を持たない、十三歳の少年にして、英雄。
何者かによる四国脱出ゲームに巻き込まれた空々空は、
謎めいた年上の魔法少女、杵槻鋼矢と同盟を結び、
勝ち抜くために必要な『ルール』を探すことに。
不明室が企てる『新兵器』投入が刻一刻と迫り、
敏捷な影が二人を追う!
悲鳴から始まり、悲痛な別れを繰り返す英雄譚、第三弾

悲惨伝 (講談社ノベルス ニJ- 31)


この<伝説>シリーズを一言で表現するなら何であろうかと考えてみるに、それは「いかにして婉曲な表現と遠回しな表現や比喩を挟む事で、単なるレコードがDJの手により引き裂かれ繰り返されるスクラッチのように作品を作り上げる事が出来るか」そんな思索の果ての作品とでも言えるだろうか。
まず西尾維新の他作...物語シリーズを考えてみるとそこには純粋要素としてひねり出し抽出された会話劇がある。
しかし本質的に地の文が口語体である作品の場合、狂言回しが神であろうと作者であろうと本質的には全てセリフであり、全てが会話劇であると言うのは珍しい事ではないだろう。
さて、この「悲痛伝」「悲惨伝」に共通する要素。
その「あえて冗長にしているとしか思えない語り口」に付いて考えてみたい。とはいえいきなりあえて何も示さず冗長などと言ってみても未読の諸君には何も判らないだろうし、ここは本誌の本文より一部を引用するのは、やぶさかではない。
「きみは『ドラえもん』を知らないのか...」
どんな日本国民だ。
聞けば、あのガキ大将の妹は、『同じ名前の女の子が苛められないように』という配慮で、かような命名を受けたということだが、なんだかそれは問題の本質がずれているようにも思える。
「『ジャイ子』とは呼ばない」
「あ、そうですか」
「本名を言って」

第5話「捕われの少女!生き残り達の地下会議」


ところで「やぶさかでない」といえばかつてとんねるずが「やぶさかでない」という曲を歌っていたんだけれども、あの歌の中で歌われる主人公はリーゼントにサングラス、くわえ煙草にウンコ座りの典型的な不良の少年がそう言う格好をする事に対してやぶさかでなく思い切っているんだ、という意味合いなんだが、やぶさかでないと言う言葉の意味が分からないと果たして歌の中の不良の何が一体やぶさかでないのかよく判らない歌と言うのはとんねるずというお笑い芸人が出す歌にしては婉曲で特殊だなぁ、と思ったりもしていた。
話を戻すが、上記引用部のように非常に「これなくても全然成立するよね?」という会話劇、そして地の文に無駄が溢れ、実質、もし密度を狭めてストレートな表現と遠回しの会話を削って再構成すれば二分の一程度にはなるだろう。
あ「ん?」
な「なにが?」
あ「いやだからさ...」
な「はい?」
あ「こーいうのが無駄なわけでしょ?」
な「あぁ、なるほど」
無ければ無くて成立するものをあえて削らずにそのまま冗長にしている。
物語シリーズと違い第三者の狂言回し、語り手は存在するがその語り手の「神の視点」は果たして誰のものかは計りしれない。
そもそもこの物語は「地球そのもの」と戦っている物語であって、語り手が実は地球そのものだった、と言われても驚くに値しない。
「彼女は」「彼は」「空々は」と言ったように語り手は第三者として存在している。
存在は神、もしくは作者だろう。
そして登場人物全員、地の文も含めてよってたかって物語を長くしようとしている。
Amazonのレビューを見ても「冗長」と言う言葉が散見出来る。

前回「悲痛伝」がスタート地点からほぼ進んでいなかったがさすがに今回は前進したと言える。
魔法少女「パンプキン」「ジャイアントインパクト」と手を組み、新たな魔法少女「スペース」「シャトル」らと戦う。
次巻は、最終兵器「悲恋」が四国に上陸し、魔法少女も巻き込んで三つ巴...(悲恋vs黒衣の魔法少女vs空々と魔法少女)の戦いになるのだろう。

それにしても本質的な要素だけを抽出すれば、
・仲間とはぐれた
・新たな敵が出現
・仲間が増えた
・最終兵器前振り

こんなものだろうか。
勿論重要キーワードの「魔女」なども登場しているが、今の段階では何も判らないし、魔法と科学が違おうがどうであろうが幾ら推理などしたところで、物語の中では全て作者の掌の上どころか手の中だろう。
雨が降っていると言うおあつらえ向けの舞台があったのにそのまま...だったし。

「スペース」に「シャトル」と来れば次は「エンデバー」とか「ナサ」とかだろうか。
あえて「スプートニク」なんてのでも面白いかも知れない。
名前に意味なんか無い。
全ては記号に過ぎない。
作中でどんな名前が出て来てもそれはそれで成立する。
「地濃鑿」だろうが「わぴ子」だろうが。

あぁ、これがまだ二巻も続くのか。
まだ二巻も続くのか、と考えるか、
あと二巻しかないのか、と考えるか。
どちらにしろこの分厚い503ページもあるノベルを一度読み始めてしまって、今さら止めるの事も無いだろう。
地獄の果てまでお供しますよ。
最終巻「非業伝」を壁に投げるか、「あぁ、終わってしまった」と感慨深く思い返すか。
今はまだわからない。
鉛の箱の中の「生きているか死んでいるか判らない」猫と同じ。


西尾維新の言葉の濁流に呑まれた読者は、その言葉の多さに辟易としながらもそれをまた待ち、上梓されれば書店に走り読みあさり、そしてまたため息をつくのだ。それほどに「調教され慣らされてしまった」読者と言うのは御しがたい。
9月発売「悲報伝」に続く。

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