今夜はどうにも眠れない。
はてブを見てたらこんな記事があった。
・【心理実験】「本物のプロ」が道ばたで3.5億円のバイオリンで演奏→「誰も見向きもしない」
http://news.ameba.jp/20130630-190/
これは過去に2007年から繰り返し使われて来た実験。
・Facebookで人気の「有名なバイオリン弾き」は限りなくデマ(追記あり)
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20130116/p12
hagexさんのところで元記事との比較も行われ
「原文は果たしてどうだったか?」
に関しても検証されている。
ウチでも
・地下鉄のバイオリニスト再び
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/01/15/222409
こういう記事を書いていた。
今回の記事では
この実験は「人の才能は普段と異なる環境に置かれた時に気付いてもらえるのか」「人は足を止めてシアワセを見つけることができるのか」という質問を世界中の人たちに問いかけるキッカケとなり、現代社会における「冷めた心」の問題を提起するかたちとなった
〆の部分が上記のように訳されており、今年1月にあったような
一つ結論として言えるのは、もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?
などという安っぽい繰り言ではなく原文に近しいと言えるかも知れない。
「ハーバード大学図書館の壁に書かれた言葉」も有名だろう。
・ハーバード大学 図書館の27の名言(フィクション)
http://giworlds.com/2012/01/07/havard_library/
以前はタイトルに「フィクション」と入っていなかったが過去拡散した際デマとして糾弾されたため、管理人が色々と原文に手を加えた跡が見える。
そのためか、今ではかなり抑えられてはいる。
ハーバード大学の図書館の壁に書かれている20の教訓。 頑張ろうって思えた! pic.twitter.com/rEzz55P3Be
— さくら (@shmrsh006) May 27, 2013
Twitterで調べたところ何故か七つ減り20になって脈々と生き残ってる。
藤子不二雄の名言なんてのもある。
・藤子・F・不二雄「名言」コピペの嘘
http://d.hatena.ne.jp/jukeneet/20071022/1193047901
検証が、途中で追いきれなくって結局2chの書き込みが発祥らしいが定かでは無い。
・藤子・F・不二雄と悪魔の証明
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/05/06/123706
ウチでも書いてるが...え?別に過去記事の宣伝じゃないですよ、えぇ、ホントに。
「あの藤子不二雄が言っていた、こんな名言がある」
という文章と
「誰が言ったか定かでは無いが、こんな名言がある」
では全く違う。
あの有名人だからこそ、あの天才と呼ばれた、あの人が言うからこそ。
言葉は言葉だけじゃなくそれを発した人間がブランドとして添付される事で、本来以上に評価されたりもする。
「ウチの無職のオジサンが言ってたんだけどさぁ」
そんな経営哲学なら威厳は欠片も無いだろうし誰も耳を貸さない。
「あの有名な大企業のトップ○○氏の言葉で」
こんな前フリならどんな当たり前の事でも至言に聞こえる。
さすが、すばらしい。
あえて基本的な事を言うところが素晴らしい。
過去の偉人の名言の引用って言うのは虎の威を借りるようなもので、だからその虎が張り子だったら威なんて成立しない。
「言葉は本当かどうか判らないけど中身は良いよね」
「デマとか言うヤツもいるがこれはとても面白い!」
「嘘らしいけどこれは素晴らしいから拡散」
こう言う心理はつまり、
「自分が気に入る情報は拡散し共有」
って言う行動に繋がって、そう言う共有が情報をねじ曲げて行く。
事実ではない良い話。もし事実にもデマにもソースが無ければその時点で
「本当か嘘かソースは無いけど良い話だからRT」
などという無責任な情報拡散が行われる。
ソースの有無、好むと好まざるとに関わらず事実は一つで、検証されていないような、ソースが曖昧な情報をお手軽に拡散したり共有したり、そう言う行為がネット上の情報の信憑性を下げる。
ネットの情報なんて信用出来ない、と言いながらも何かあればネットで調べものはするし、複数ソースに当たるような手間やソース元を辿るような手間を毎回かけるわけじゃあ無い。
ある程度は「ネットの情報は正しいだろう」と言う前提で日々ブラウザ越しにネットを覗き込んでいる。
だから情報は少しでも正しくあって欲しい。
「あまり感動出来ない事実」
と
「感動があり示唆に満ちたデマ」
の二つがあったとすれば、
「言葉は本当かどうか判らないけど中身は良いよね」
「デマとか言うヤツもいるがこれはとても面白い!」
「嘘らしいけどこれは素晴らしいから拡散」
こういうことを言う人々は後者を広めるんだろう。
情報は「良い悪い」ではない、正しいか間違っているか、だ。
「良い話」によって情報は信用度を下げる。
もしデマの良い話ばかりが拡散されるなら、良い話であればあるほどそれは「嘘」
そう言う判断をせざるを得ない。
ソースくれくれ厨を嫌がる向きもあるが、ソース無しで拡散しまくるバカより余程良い。
「本当か嘘かソースは無い」
なら拡散するべきじゃあ無い。
良い話だから拡散する脊髄反射は、デマの共犯者になり得る可能性を多いに含んでいるだろう。
良い話を共有してる自分はすごく良い人っぽい、そう言う演出に使われているのかも知れない。