GMT47「暦の上ではディセンバー」とNegicco「アイドルばかり聴かないで」を聴く


GMT47「暦の上ではディセンバー」は、ドラマの中の虚構のアイドルの楽曲と言う事で、この歌詞の中身のないスカスカな感じとか音の安さとか実にそこそこのアイドルソングらしくて良い。
安っぽいちゃかぽこした三トラ、四トラくらいのリズムにシンセ音。
ニゾンに入った途端、いきなりディストーションのギターが入ったり、ピアノとドラムが生音になって一気に音が分厚くなる。そこからはアイドルじゃなくてパンクなんすよね(ギター二本に聞こえるけど...)。
しかもパワポっぽい泣かせ系パンクのメロディ。
今度は鉄琴らしき音が入ってパワポの切なさは持続したままメロディが一気に優しくなる。
素直に上手いなー。
この雑っぽいんだけど実際手の混んだトリッキーな仕掛け。
一見雑なんだけどよく聴いてみると細かい技がいろいろ光ってる。
AKBの楽曲ってもっと素直なんすよね。
だからAKBをイメージさせる名前なんだけど楽曲だけで判断するとももクロに近い。
作詞はさすが暴動*1らしい雰囲気がある。
歌詞も恋を歌っていそうで、師走ごろに恋愛が終わった歌であって、しかしそこには切なさとかなくて、恋の大掃除で、喪中で、来年の恋なんて鬼が笑うし膝が笑ってるし、あっさりした主人公の心理がある。


アイドルとパンクの相性は悪くない。
英国では「対 権力」なパンクも、日本ではブルーハーツに代表される「青春」と「対 大人への反抗」がごった煮で、校舎の窓ガラス割って盗んだバイクで走りだすのがパンクであり、若いアイドルが大人に対して反抗する(という図式を後ろにいる大人が描く)という構造があり、最近でいえば恵比中の「大人はわかってくれない」などにそういう系譜が見られる。

あまちゃん自体は震災へと突っ込んでいくわけで。
東京=アイドル=夢
三陸=震災=現実
その中で主人公は震災に対してどう向き合って、アイドルとして働きかけるのか、それともアイドルをやめて働きかけるのか。
シビアな話になった時に、もしアイドルを選択するなら歌で何かしらの表明をするんでしょうし、その時の楽曲がこのあまちゃん、というかGMT47がGMT47としてどういう側面を見せるか楽しみなわけですが、それよりもオレは録画したまま貯まってるあまちゃんを観ろよ、と自分に叱咤する日々です。



※以下は「いやいや元々ノーナとかNegiccoってそーいうもんだから」というのは解った上での妄想です
negicco「アイドルばかり聴かないで」
こちらは小西康陽だけにいかにも渋谷系っぽい。
ここは
「アイドルっぽい曲でアイドルアンチソングを歌うメタ構造」
ってのも面白いと思うんだが、小西氏は
渋谷系(サブカル)からアイドル(ヲタク)へのアンチソング」
っていう構造を持ってきたのかな?と邪推してしまった。
アイドルがアンチ“アイドル”ソングを歌うのは対立項としてはありで
「あえてアイドルらしい楽曲にすることでメタ構造としてアンチを際立たせる」
効果がある。
渋谷系と言えばリア充総本山、ヲタとは相性が悪い。
そんなドルヲタの信奉先であるアイドルがあえてアイドルアンチの曲を歌い、そして楽曲は渋谷系
愚考だが愚考したくもなる。
楽曲のクオリティは流石に高いし、ジャカジャカ鳴ってるギターと言いかなりストレートに渋谷系
でもあざとさには欠ける。


今、ロックよりもアイドルが面白いのは、後ろにいる大人たちが空っぽな“アイドル”を言う器に様々なジャンルの音源を乗っけて色々な色に染めてみたり、「アイドルとは何か」という視点をもってアイドル自身がアイドルに対して内省的・自己言及的な視点を持たせ、アイドルが虚構であり虚像であるがゆえに現実との差異が存在する事すら自虐にしたりするからかも知れない。
少なくとも今は、間違いなくアイドルが面白い。