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相田と由宇は、出会わないほうがいい二人だったのではないか。彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった―若き女流棋士の栄光をつづり、第一回創元SF短編賞で山田正紀賞を贈られた表題作にはじまる全六編。同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、盤上遊戯、卓上遊戯をめぐる数々の奇蹟の物語。囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋…対局の果てに、人知を超えたものが現出する。二〇一〇年代を牽引する新しい波「盤上の夜」を読み終わったのは、随分前。
今は小川一水「天冥の標」を読みながら他を併読しててその内の一つが「ヨハネスブルグの天使たち」なんすよね。
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四肢を無くした少女が口だけで石を置き碁を打つ。
少女にとって盤面は自身の身体の一部になって「盤とは宇宙だ」と言うが、盤面を自身の四肢のように感じる少女には宇宙のそれと感覚が同一になる。
そのストーリーを中心に古今東西のボードゲームの短編が挿入される。
ある時は古代インドのチャトランガ(このリンク先ページで読める)、チェッカーでの人間対コンピューター、麻雀(このリンク先ページで読める)、将棋。
読もうかなーと思ってる人は収録作品の二編が読めるので読んで決めればいいと思う。
合う合わないはあると思うので。
面白いのは間違いなく面白いと保証できる。
夢枕獏氏の「風果つる街」って作品がある。
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麻雀ならアカギとか。
ボードゲームってのはゲームと言いながらその勝ち負けに何かが乗っかる。
その乗っかるものが金だったり、人生だったりする。そういうものを乗っけるとゲームがゲームでなくなって盤上がそいつの人生の二重写しになる。
「盤上の夜」でゲームに乗るのはこの世界の理、と言うかこの世界ってなんやねんと言うか。
超越的な何かでは無く、人の感覚の先にあるものが盤を通じて感覚を研ぎ澄ます事で何かが見える。
偶奇とか運とか、引きとか、知力とか。
「このドローにオレの全てを賭ける!」
そーいうのよくやってますけど、棋士ってのは盤面での攻防に総てがかかってる。
会社員ならプロジェクトでの成功、マンガ家なら作品のヒット。
そういうものが数時間の、盤面での攻防に凝縮される。
我々はどこから来てどこへ行くのかなんて知ったこっちゃないが、少なくとも棋士にとっては盤面が全てで盤面での勝利が全てだろうと。
盤上に世界があって、棋士には盤上が世界なのだ、と。
だからこそ命を削りあう攻防は面白い。
そういう「盤上の夜」と比較すると「ヨハネスブルグ~」は正直あんまりガッツリ来ないんですけどね。
なんかネットではそれっぽく褒める方が良いんだか 笑
・ヨハネスブルグの読者たち/増田
http://anond.hatelabo.jp/20130707105543
書評なんざ書いてるうちに「○○とは」みたいに語りたくなるもんなんだよ、放っといてやれ。
人格転移可能なロボットとか紛争地帯とか。
そーいうモノがいろいろ出てくる。
自爆テロをやる連中が、自爆テロをする前に自分の人格をロボに移し替えて自爆テロする。
普通に考えりゃ「え?ロボに爆弾テロやらせりゃ良いんじゃね?」と思うけどそうじゃなくて「自分が死なないとアラーの御許へ行けない」からだそうで。なるほどなー。迷惑な話だな―、それ。
伊藤計劃と色々比較したりしてるけど、なんか違うんじゃないかなぁ。
「宮内は伊藤計劃の後塵を拝しながら小川一水らと日本の現代SFを担っていく...」
いやいや、宮内氏は宮内氏だし伊藤氏は伊藤氏だから。
宮内悠介って作家は地に足がついたところから広げていく方が面白いのかなぁ、とか思ったりもする。
「盤上の夜」なんざSFといえばSFだけど、そうじゃないと言えばそうじゃない。
持ち上げたい、語りたい方々、人材不足の業界とか大人の云々あるんだろうけど。
とはいえまだ読み終わってないので感想は控えさせていただきます。
伊藤計劃の幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く、という触れ込みなのだがさすがに日本SF界を担うであろう...けっ。