およげたいやきくん考・派生

・およげたいやきくん考/ウラガミ
http://akio6o6.hateblo.jp/entry/2013/07/07/181215
面白いのでウチでも考えてみる。
ウラガミさんとこではおよげたいやきクンの歌詞から

・なぜひとつひとつのたいやきに人格があるのに「まいにち まいにち」鉄板の上で焼かれているのか
・そもそも人格はどこで生まれているのか、何が死なのか
この辺りを疑問として提示している。


さて、ウチとしてはこのおよげたいやきクンの
「ボクらは鉄板の上で焼かれて」
「ある朝ボクは」

この部分に注目したいと。
どこで自意識が産まれたのか、と言うのは難しい問題ですね。
そもそも人間にしてもどこで人格が、自意識が芽生えたかは判然としない。
よく「胎内の記憶がある」なんて話も聞きますが、「魂の在処」と言うのは、果たして奈辺にあるのか、と。
細胞が集合し、ある程度の形態が完成すればその段階でシナプスの間を電気信号が走り始めるのか。
この歌の中の「たいやき」の魂がどの段階で発生したかは定かではありませんが「毎日毎日」という発言には果たして実体験が入っているのか、それとも伝聞なのか。
「日々たい焼きが焼かれているのを目撃しているのか」
「日々たい焼きが焼かれている、と誰かに聞いた」
どちらであるのか。

しかしこのたい焼きは海へと逃げ込み、しかも数日間生存し続ける。
たい焼きの素材はなんであるかと考えてみれば

薄力粉300g
ベーキングパウダー大さじ 1
水約400cc
砂糖大さじ 3
塩小さじ 1/2

http://cookpad.com/recipe/2235420


このような素材の存在が数日間も塩水の中で生存し続け、しかも「たまにはエビでも食わなけりゃ」とエビを食って生存している。つまりお腹の中は確かにあんこがあるのだが、それと同時に消化器官があり消化器官なども存在しているらしい。
だとすればこの「たいやき」とはなんなのか。


まさに非展開体のような概念的な存在があったとする。
物理的な肉体を持たず、ある一定集団の精神として存在しうる思念体であり、敷衍し一個体では無くその存在の「知性」として存在をする寄生体。
それがたい焼き屋の「たいやき」という概念の有機物の思念体として存在した。
「焼かれて嫌になる」という感覚を持ちえない筈のたい焼きがなぜそのような「焼かれる事に対する嫌悪感や怠惰」と言った感覚を持ちえたかといえば、それは過去にそれ以外の知性体の知慧を得ていたからだろう。例えば人間の。
どこかしらに人間などの生物の感じる「熱や炎、高温に対する原始的な嫌悪感覚」と言うものが残った状態でたい焼きに展開した思念体はその概念を保持したままだった。日本語と言う言語に対する理解もそれで説明できるかもしれない。
「まいにち」
「ぼく」
「いやになる」
「けんか」
など人間なら当たり前だが他の生物が理解し言葉に変換するには難しい思考作業も、このたい焼きは行っている。


そしてある朝「ボク」はたい焼き屋のオジサンと喧嘩して海に逃げ込む。
「ボク」と店主の間には相互理解と認識が存在した。
つまりその思念対の存在を理解した上で日々たい焼きを焼いていたという事になる。
果たしてたい焼き屋の店主にとって思念体がどのように映っていたかは判らない。もしかすると妖怪のように映っていたのか、あるいは本当に話すたい焼きの様だったか、姿は無いが話は出来る存在だったか。
ともかくその相互理解があったはずの両者に亀裂が生まれた。
そしてたい焼きに寄生していた思念体は海へ逃げ込む。
ただこの場合、焼かれるのが「ボクら」であるのに対し海へ逃げ込んだのは「ボク」であり、思念体の一部のみが独自判断で行動した、とも考えられる。

思念体がベースの為、物理的にたい焼きであってもしばらくは水中で行動は出来たと思われる。
「おなかのアンコが重い」などの表現がそれを指している。

ここからは想像の域だが、たい焼きはどこかで魚に捕食されたのではないだろうか。
思念体はたい焼きの身体から新たな魚の身体へと移った。
そうすれば後半の「食べないとお腹が減る」「小エビでも食べなきゃ」などの表現との整合性がとれる。もしたい焼きの身体のままだったとすれば食事は必要ないし、後半の山場となる釣り針に引っかかるシークエンスも、薄力粉とベーキングパウダーの身体は水に容易に溶けてしまうし、釣り針では釣り上げる事は出来なかったろう。
釣り針に引っかかりたい焼きは引き裂かれ海を漂って終わる。


最後、釣り上げたのは釣り人だった。
因があって果が巡る。
釣り人が、店から数日前に海へと消えたたい焼きが釣れたからと言って食べるのはあまりにもおかしい。
やはりここは「思念体が移動した魚」と考える方が妥当で、だとすれば最後に捕食されるのにも納得がいく。
思念体には、身体が変わった自覚が無くだから「ボクはたい焼きさ」と自嘲して食われる。
しかし果たして思念体は捕食されたことによって死を迎えたのだろうか。
まず「ボクら」から「ボク」が逃げ出したことで、思念体の大半は残っていたと考えられる。
そしてたい焼きであったはずの「ボク」が食べられた後に物理的肉体から分離されてそこで本来の思念体としての存在の層に気づいたかも知れない。

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