・洋楽誌は本当に不要なのか?(1)/sleepflower裏雑記
http://d.hatena.ne.jp/sleepflower/20130825/p1
・洋楽誌は本当に不要なのか?(2)/sleepflower裏雑記
http://d.hatena.ne.jp/sleepflower/20130826/p1
読んだ。
クロスビート廃刊を受けての記事。
2011年にはSNOOZERも廃刊してる。
出版不況、特に音楽誌は現行少ない分だけ話題になる。
ファッション誌なんて幾ら潰れても、よほどの老舗雑誌でも無い限りは話題にもならない。Vogue Homme Japanが無くなったからって誰も語らない。
さて、上記記事で触れられてなかった要因として、雑誌全体の売り上げの低下ってのもある。
【月刊誌】
月刊誌・週刊誌ともに1997年にピークを迎え、以降13年連続のマイナスとなっている。販売・広告ともに不振で休刊点数が創刊点数を上回り、銘柄数は4年連続で減少。対象年齢の高い雑誌ほど堅調に推移しているが、若い読者の獲得は難しく、読者年齢の上昇が続く
上でも挙げたようにファッション誌だって潰れまくってる。
雑誌自体売れてないし、売れてる雑誌は付録を付けたり付加価値勝負になってる側面もある。
情報の価値は下がり続けてる。
そして価値に対する感覚が変化した。
物理的なモノの「価値」の虚しさ。
エントロピーをまざまざ見せつけられたら物理欲求は廃れる。
「クロスビートがなくなってロキノン一人勝ちか」って、チキンゲームに勝ったところで、どうにかなるわけもなく…
— uno koremasa (@uno_kore) August 19, 2013
昔は新しい曲の情報を知るのは、大変だった。
とあるミュージシャンが新譜を発売。
でも聴けるのはCD屋の試聴機くらい。
インターネットが普及し、CATVで音楽専門チャンネルが観れるようになった。
Our Favourite Shopは欠かさず観てたしポルとタルボのコアな知識も好きだった。
フジロックもサマーソニックもフル参戦してた。
毎年キャンプサイトに泊まって。
腕はフジのリストバンドとサマソニのリストバンドを両方。
毎月2~3回はライブに行く。
個人的に一番洋楽にハマってた時期。
でもその頃は既に雑誌は買ってなかった。
音楽なんて聴けば分かる。
音楽に批評が必用か否か?と言われれば、批評したければすればいいが、いちリスナーとして別に必要とはしてない、としか言いようがない。
物語や文学など活字コンテンツは、一つ消費するのに時間がかかるし、必ずしも読み解けるとは限らない。
映画にしろそうだろう。
暗喩やメッセージ性。
ぼけーっと観たり読んだりしても読み取れない情報が埋没してる事はよくある。
ところが音楽は違う。
数分で一曲聴ける。
アルバム一枚でも1時間もあれば良い。
解らなくても聴ける。
映画や物語は視覚情報や音楽、編集、セリフ、ハイコンテクスト。
様々なレイヤーが多重構造になっていて観客はそれを観る。
ところが音楽は、音と声しかない。
あとは歌詞。
意味深長な歌詞を読み解かなければならないような、そんな歌はあまり聴かない。
ミュージシャンの出自や言いたい事は別に知らなくても音楽は消費できる。
もし主張があるなら曲に入れとけばいい。
相も変わらず市場で売れるのは「愛だ」「キミが好きだ」のギガ盛り。
歌番組ではいつものアイドルがキャーキャー言われ、バンドが出て来たかと思えばギター片手に甘ったるいラブソングを歌う。
批評が必用かどうかは知らんが、批評されるような音楽はCATVでこそかかりはするが一部の洋楽好きにだけウケて終わり。
いつの間にか邦アイドルが自己言及的に「アイドルとは?」というメタ視点を持ち、アイドルと言うモノのレゾンデートルとコード、メタ化を果たし、だからこそ邦アイドルのシーンは拡大したし批評シーンも拡大しつつある。
ロックは批評の土台があったにも拘らず旧態然なロックンロールをロックのまま自己を顧みる事も解体する事も無かった。
「シールドぶっこんでフリテンでジャカジャカ鳴らしてりゃいいんだよ」
なんだかんだロックはマッチョイズムに支配されてるのかも知れない。
そのクセ、めんどくさい批評家は偉そうで勿体ぶった口ぶりで「この曲の~」と語りだす。
ぐへっ。
昔はテレビがフォーマットだった。
「お前、昨日のあれ観た?」
「観た観た、めっちゃ面白かったやん」
誰しもがテレビを観ているから「観た?」と言えば「観た」と返って来る。
「いつになったら悟空来るねん」
「また時間稼ぎでどかーん、ぼーん言うてるだけやもんなぁ」
ジャンプは誰かが学校に持ってきてたし、回し読みとか休み時間に寄ってたかって読んでた。
だから誰にでも最新のジャンプの話が通用する。
誰しもが解るあの曲。
イントロを聴けば誰でも知ってるあの曲。
でも、今や誰しもが同じメディアを見なくなった。
今、洋楽ロックはどうだろう。
確かにJAKE BUGGは良いと思う。
The Strypesも若いしルックスもウケるだろう。
でも、じゃあその入り口はどこになるのか。
洋楽を全く聴いた事のない、音を聴かずに歌詞を聴いている人たちの入り口になりえるものは何か?
ユースカルチャーの代表だった筈のロックは王座から滑り落ちてる。
音楽批評が入口になりえるか?
架け橋?どうやって届ける?
誰もが見るメディアがないのに。
インターネットは広く、しかし見ている風景は皆違う。
洋楽好きが見る洋楽サイト、
邦楽ロック好きが見る邦楽ロックサイト、
そういうものなら造れるし、既にあるんだろうけれど。
音楽批評は誰のためにあるのか?
プロの「批評家」がアマの「批評家」の到達できない次元での批評を繰り広げテクストを書きあげるのならばその批評に価値はあるのかも知れない。
今や一素人がメルマガで他の素人から金を受け取り記事を書いている。
片手間で書いた記事を数万人が読みコメントする。
そんな時代に「批評家」が生み出す批評にどれだけの価値を持たせられるのか。
クソでもミソでもネットには言葉が転がっている。
無料で読めるからって記事の質が悪い訳じゃない。
プロが書くからって良い記事とは限らない。
批評家ってライセンスがあるわけでもないし特別、試験をくぐってきたわけでもない、CDを今まで1000枚ぐらいだけ聴いただけの音楽ライターの人たちの意見が紐やホチキスで綴じられてる束なんて誰が買うかって言われたらどうアゲインストするんだろうかと思っていたら単にどんどん潰れた('12)
— 菊地成孔非公式bot (@naru_kikuchi) February 8, 2013
かつて雑誌は特別だった。
活字メディアとして批評家が、記者が、ライターが文字を書きそれを紙媒体で販売してた。
最新の情報、他では得られないインタビュー、見識と知識の裏打ちがある批評。
それに価値があると認められていたから。
しかし今やネットには玉石混交で言葉が転がる。
批評家の言葉も、ライターの言葉も、素人の言葉もそれほど大差がないのだと、素人にすら批評家を凌駕する知識や含蓄のある言葉を使いこなせる人間は大勢いると知れてしまった。
理解も出来ずに、本を転載して月収50万稼いでいるプロブロガーもいる。
それでも「ライター」を名乗れる。
ネットの情報は違う。
誰かが批評すればそれに賛否のコメントが付く。
喧々諤々、その記事を受けて記事が書かれ更に記事が書かれる。
素人でもプロでも。
絶対的に正しい評論や価値は無いとわかった。
現に、こんなアホなオレが書いてるクソ記事ですらアナタは読んでる。
このテクストに価値があるかないかなんてわからないけど。
どちらにしろ、無料なのは間違いはない。
ネットが音楽雑誌を殺したか。
いや、音楽雑誌って生きてたのか?
ミュージシャンのインタビューや写真。
それに価値を持たせるのはシーンが盛り上がってなきゃ無理な話。
Youtubeで動画観てる方が、なんぼか伝わる。
ここ数年、音楽の批評シーンってどうだったんだろう?
雑誌廃刊になるってニュースを聞かなきゃ考えもしなかった。
批評家さん方が、自己言及したり批評家同士でゲバ棒片手に殴りあったり、何やらわーわー言うてるのを横目に音楽もリスナーもすっかり変わったのかな。
音楽の批評やってる人らって、批評やってる者同士とかその取り巻きの世界で生きてるように見える。
「うちらの世界」とどんだけ違うのか知らん。
少なくとも気軽に音楽聴いてる人間とは違うレイヤーにいる感じ。
上とか下とかじゃなくてね。
最近、音楽批評の同人が多いのも面白い事だと思う(特にアイドル)。
商売では無く、趣味でなら批評は価値があるのかも知れん。
読み手では無く主に書き手としてのレゾンデートル。
アイドル界の批評誌、アイドル写真と運営のインタビュー満載。
今、それなら売れるのかなぁ...。
音楽を含めて物の価値や評価世界が変わりつつある中、音楽批評や音楽雑誌、音楽を語る人々がどのようにサバイブするんだか死ぬんだか。
また一年後に雑誌が残ってたら続きを語れるんだろう。
とはいえ、ナタリーだけが残ったなんて未来は寂しすぎるのかも知れない。
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※以上、主に洋楽ですが邦楽も混ざってます