声はすれども姿は見えず。ほんにお前は屁のような
石返し
“不粋”と言う。
粋ではない、という日本らしい言葉というか文化というか。
そもそも“粋”が観念的な表現だろう。
洗練されてる、という意味合いもあるが“大人として気配りが出来る”本来的には“男女の仲に通じている”“花柳界の事情に詳しい”などという意味もあったらしい。
“不粋”というのを現代の近しい言葉に置き換えるとなんだろうか。
“ダサい”とか“KY”とか。
粋、不粋という文化は、感覚的で観念的な日本的の土壌らしい無言のハイコンテクストがバックにあって
『言わんでもわかるやろ?』
『空気読めや』
『質問する事自体がアホや』
と言うメタな観念になってる。
聞かなきゃわかんねぇだろ?!
教えてくれなきゃ判るわけないだろ?!
今は粋な文化が廃れて、欧米的な白か黒か、0か1かになった。
答えはどちらか二つにひとつ。
鉛の箱の中の猫は生きてるか死んでるかどちらかなんだよファッキンジャパニーズ!
箱を開けるまでどちらか確定してないなんてのは答えにならないんだよ!リメンバーパールハーバー!!
個人のアイデンティティを何より尊び、距離感を読まない欧米的な価値観は“粋”じゃあない。
以前に探偵ナイトスクープで
『京都の家庭ではお客さんが帰ろうとすると『ぶぶ漬けどーどす?(お茶漬けでも食べて行きませんか?)』と声をかけますが、あれを本当に食べると答えたらどうなるのか調査してください』
なんてのがあって桂小枝が実際にぶぶ漬けをご馳走になってた。
もちろん帰り間際に『ぶぶ漬けどーどす?』なんて言っても断られるのが前提で社交辞令として『あなたにまだ帰って欲しくないんですよ』という無言のメッセージがある。
ウッチャンナンチャンのコントにも『社交辞令は許さない』なんてのがあった。
儀式的で心がない。
しかしそういう様式美にこだわり空気とハイコンテクストが日本的だったんじゃないだろうか。
子どもには“粋”が無い。
質問には答えがあると思っている。
質問する行為そのものが不当だ、なんていう観念まで理解できない。だから粋は大人の文化なんだろう。
想像力、推し量り、距離感、空気。
文字文化であれば行間、か。
書かれていなくても察しろ。
ネットでは白か黒か、どちらかハッキリしたモノが好まれるし、正しいとされる傾向がある。
でもね、そんな正しい答えなんて転がっちゃいない。
正しい答えなんて書いてない。
誰も自分の主張を書いてるだけだしそれが正しいかどうかなんてどうして判るのさ。
まとめサイトが流行るのは誰もが安易に容易な答えを欲しいからだろうが、だからこそ恣意的な編集やデマに引っかかる。
書かれていない部分こそを読め。
なぜ書かれていないか考えろよ。
書いてある事が正しいなどとバカバカしい。
どうしてこんな記事を書いたかって?
そりゃあ、あんた、プロレスなんてもんはね...(はっ!?察し)