明文化された「区別」はやがて「差別」になりえる

※ちょっと勢いで書いてるので詰めが甘いです

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

日本国憲法第14条

収入に見合った生活 - kanackyの日記

収入に見合った生活 その2 - kanackyの日記

うーん。
悪いひとではないんだろうなぁ。
ただ言ってることが凄まじい。

この売り込み方が若干ですがステマな雰囲気を醸し出していますが、まぁ、それはおいといて、今日はこの「貧乏でも幸せに暮らしていける」という視点ではなく、「収入額に見合った生活をすることで生活を棲み分ければいいのでは?」というエントリーを書いてみます。
ん?

全てにおいて「平等」「差別反対」と言って子供の運動会で「全員一位」なんで暴君が許されているのに、はっきり存在している「お金」による格差については「臭い物に蓋」して見て見ぬふりしており、あくまでも「日本人はみな中流階級」と言わんばかりに無視していることは大きな問題であり、それが社会的な歪みを生じている一つの原因だと常々感じています。


暴言かもしれませんが、貧乏な人は貧乏なりの生活水準があり、お金持ちはお金持ちなりの生活水準があると思うんです。

(中略)


自分の今の生活に見合ったフィールドで生活することで、違うフィールドに住んでいる人の迷惑にならない、また、お互い一線を越えてきたら拒否することでお互いの生活が快適になる、それが「棲み分け」であって、お互いハッピーだと思うのですがいかがでしょうか?

ブルーハーツが昔、「生まれたところや皮膚や目の色で、一体この僕の何がわかるというのだろう」と歌ってた。

多分、軽く燃えたのは記事内の
「ハッピーだと思うのですがいかがでしょうか?」
という問いかけに対して
「それハッピーじゃねぇよ!」
って思ったからだと思う。

まずアメリカと日本を比較しても、例えば社会保障も違うし、多民族国家と比較してもそりゃあ違う。しかもアメリカでも貧困による差別は解決すべき問題であって「棲み分けって最高っすね!」とされている訳ではなく、やむなくそうなっているから。

アメリカ等だと街によって「ここは危ない地域」とか「ここはお金持ちが住んでいる地域」
もしオバマが「貧困層はスラムに住め」なんて言ったら暴動起きる。

実際、アメリカでは99%運動(まぁ、ごにょごにょな運動だったけど)も過去にあったりして、その辺りを踏まえてもこの論は暴論...いや、論でも無い。

他国でも貧困層との棲み分けが行われているのは施策では無い。
やってるとこはアパルトヘイトとか、過去には日本でも部落差別とかあったが(あまり踏み込みたくない)。


La Haine - Trailer - YouTube
マチュー・カソヴィッツの「憎しみ」で描かれてるフランスの貧困層。
劇中のセリフの書き出し引用すると

これからは、もうこういった種類の街が建設されることはないだろう。それは政府が言ったことだ。なぜなら、この計画は失敗だったからだ。郊外のこのクソッタレの団地は……。政府のお偉がたは、ようやくそのことを認めたのだ。団地の生活は暗い。誰もが自分勝手に生きて、住民同士のコミュニケーションなどありゃしない。 ウサギ小屋の住人たちが、ところせましと観葉植物の鉢を並べ、レンタル・テレビを見て、ローンで買った車でお出かけする。一種のゲットーだ
ゲットーってのはユダヤ人が強制的に住まされた居住地区のこと。

海外の例を出して「だから正しい」といわれても、それは是正されなきゃいけないものが社会的な都合でそうならざるを得ないからそうなってる。
しかもあえて今の日本がそれをやらなきゃいけない理由が

そして、そこにジャージ姿で「うわ!たかー!かえねー!」ってうるさい人が来店してきたら嫌悪感を抱くし、それを警備員が退場を促したら「よくやった警備員!!」と思う。そういう制限は「差別」じゃなくて「棲み分け」だから絶対に必要。
それはただの嫌悪感であって必要な施政ではない。

で、続きましてその2から、

収入(財産含む)格差は、昔のように総中級階級だとみんな格差が小さい中で生活していて貧乏と金持ちとの距離はごく狭くて、その差をあまり感じることなく「同じフィールド」で生活をしているという感覚を持ってました。


しかしどんどん格差が広がり、そして分散していくと貧乏と金持ち(それだけじゃなく生活する場所や環境も含めて)の距離はとっても広くなって、それぞれが異なるフィールドにいる感覚になると、それぞれの人達が人との距離に違和感を覚えてくると思います。


例えるなら100人の村から100万人の街になったような、お互いがお互いのことを理解できなるような違和感です。


それが、吉野家に高級ベンツで食事に来て店が汚いだの店員の態度が悪いだという人をみて「ん?」と思ったり、高級ブランド店にジャージで入り、あれこれ手に取って「うわ~高い!」とか「これドンキでxxx円だったよー!」って言って帰る人をみて「ん?」っておもう『違和感』だと思うんです。

(中略)

だから、私が言いたい「棲み分け」は、そういう違和感(嫌悪感)を抱かず快適に過ごせるフィールド(地域・お店)が今後はもっと必要になってきていて、実は既に出来てきてるし、これからもっと増えると思う。


そして、そこでは迷惑をかける人を制限する必要があるから「そういうフィールドもあるよね」って理解する必要性がでてくるのではないかと思うんです。

まず思うのがその「経済格差による侵入可否のあるフィールドの必要性」
なぜそれがなければならないのか。
金持ちの隣に貧乏人がいて貧乏人が金持ちを不快に思う。
その「一部の快適さ」を優先させるために施政を行ってどれだけのひどい弊害が出るのか。

吉野家に高級ベンツで食事に来て店が汚いだの店員の態度が悪いだという人」
吉野家には入れないようになったとして、でも
吉野家に自転車で食事に来て店が汚いだの店員の態度が悪いだという人」
そういうやつは入れる。
それは経済格差じゃなくてその個人の倫理観や道徳の問題。
収入に関わらずDQNDQN


収入格差と、個人の民度とか倫理、道徳は必ずしもイコールじゃない。
清貧な人も居れば、金持ちをかさにきる人間もいる。

そういう
「尺度で測れない筈の人間の価値を経済的に区切ってしまえ」
という論だから燃える。


誰のための住み分け?
家族間に経済格差があったらどーなる?親戚は?
友だちで経済格差があったら、住まう場所が違ってしまって、それでも何の差別感も抱かない?
経済的に貧困層の出身が、経済的に成功したとして富裕層に移り住んで差別されない?
またそんな社会でそんな成功があり得るのか?


今って資本主義なので別に高級店に行きたければ金持ちも貧乏人も入れる。
でもそれが
「総中産階級なんて嘘なんだから目に見えるように差別しようぜ」
入れる店と入れない店を作る。
経済的に格差があれば友だちにもなれない。同じ店にも行けない。
それって誰にとっての幸せ?


今の日本は平等ではない。
ただ明文化された差別がないからこそどこの出身であれ、フリーターから社長になれるし、逆もある。もちろん、金のない奴は貧乏暮らしするけど、だからってそれを「金があるやつはここまで」「金がないやつはここまで」と区切られてないからたまの贅沢だって出来る。
資本によって上へも下へも行くがその区切りが無い。それが資本主義。
それを露骨に区切る事で誰の幸せになるんだろう。
感覚的に不快だから切り分けをしよう、は何も産まない。

アパルトヘイトマンセーなら構わないけれども。


多分、こんな意見が一般的な感想かと思う。
まぁ、この手の社会論は専門じゃないのでもっと上手くいう人がいるし、そーいう人が是とするかもしれない。

明文化した階層は、初めはどうあれ必ず害悪になり得るとは思う。
いまだかつて経済格差での身分を区切って(為政者や富裕層はともかく)誰しもが幸せになった国家があるんだろうか。

ブルーハーツの歌詞をもう一つ。

痛みは初めのうちだけ。慣れてしまえば大丈夫。そんなこと言えるあなたはヒットラーにもなれるだろう

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