バラエティはくだらなくてゴミみたいだから面白い

夕べの「アメトーーク」下ネタ大好き芸人2を観ていたらケンコバが自分の偏見と前置きしたうえで
「下ネタで照れる人はいいひと」
と言ってた。
逆は「いやなやつが多い」と。
会場の女性方も「あぁ」と納得していたが確かに「やめてくださいよー」と言いながらたとえ下ネタでも照れながら笑ってくれる女性はいいひとに思える。

性的な事柄を笑いにすることに不快感を感じる人は多い。
異性ならなおさら。
ところが照れながらも笑うと言う反応はつまり抵抗があったとしても(表面上のスタイルとしても)コミュニケーションをとろうとしてくれている(ように見える)のであって、その「照れ笑い」に
「性的なことを理解しながらも拒否する(不理解に見せようとする)」
「コミュニケーションがとれている、とろうとしている」

ことに好感をおぼえるし「下ネタ解ってないんです」アピールに奥ゆかしさを感じる。
もちろんガッツリ正面から「ど真ん中来いやっ!」とキャッチャーミット構える異性もいるけども、そういう方もコミュニケーションがとれているからこそ好感は持てる。

逆に下ネタを拒否するのはよく「冗談が通じない」というが、その“通じない”が示す通りコンテクストが共有せずコミュニケーションを拒絶している。
全く同じ下ネタであっても、友だちが言うのは構わないが、異性の上司であればセクハラに感じるように、性的な事柄と言うのは関係性の間で共有できるか否かが大きく異なる。
それは下ネタの中身がどーこーでは無く「そいつが言うから嫌」な部分が大きい。
だから拒否される事でコミュニケーション不全を感じ、ケンコバの言う「いやなやつ」と言う印象に繋がる。


性的な事柄と言うのは実態に結び付けやすいからこそ繊細。
例えば政治、思想、宗教や性というものは自身や実態と結びつけて考えるためにそれらを笑いにすれば「不謹慎」と言われる。

笑いとは汚らわしいものである。
笑いにするのは不謹慎だ。

例えば
「握ってごらん、ぼくの金属バット」
「下ネタじゃねーかよ!」

なんて我が家のネタがある。

金属バットという比喩表現(暗喩)を下ネタじゃねーかと言うツッコミで不条理→条理にする振幅で笑いになるわけだが、この際の「金属バット」には、なんの不謹慎さもないし差別も無い。
異性がこれを言えば差別感があるか?と言えばそんなこともない。
しかし「笑いは不謹慎である」と言う思考停止はこれが不謹慎になりえる。


テレビから下ネタはすっかり駆逐された。
かつてやりすぎコージーは「天王洲猥談」と称して言語表現でのエロを見せた。

神さまぁ~ずでは「ジェントルマン選手権」と称して水着の女性を障害物にして障害物レースを行った。触れることがエロなら、触れないのはエロではないと言う逆説と皮肉。水着の女性が不謹慎と言うのなら海岸は全て不謹慎だし、お茶の間に水着の女性が映るのが不謹慎と言うなら海の家は不謹慎のたまり場で子供を連れて行くことも出来ない。

「インスタント女王様決定戦」では芸人からの指示にグラビアアイドルが従い、即興で(SMの)女王様になれるかと言う企画で、ドS属性の設楽が本領を発揮した。

どれもくだらないが、くだらないのは面白い。
笑いとは、アホらしくてくだらなくて低俗でバカバカしいからこそ面白い。


神さまぁ~ずは企画が徐々にぬるくなり、さまぁ~ずの枠はあるがVTRやクイズなんかが主体になった。
やりすぎコージーは年始特番と都市伝説だけ生き残ったが、ここ数年は年始特番も要素が無くなりつつある*1
テレビは高尚でなければならない。正しくなければならない。
そういう思考停止がテレビをつまらなくした。
丁寧で、間違いがなく、子どもの模範になるように。
性的な商売は許されるが、放送で行うことは許されない。
例え直接的でなくても、冗談であっても。差別だ、セクハラだ、偏見だ。

ジャンクフードがジャンクだから美味いように、パンクロックが下手くそでグチャグチャだから心が浮き立つのと同じく。
ロックは、ディストーションがあるからこそ鳥肌が立つのに。


もっとくだらないバラエティが観たい。
神さまぁ~ず Vol.1 [DVD]

*1:あの番組をゴールデンに持って行った編成の判断ミス。くりぃむナントカと同じ