ネットとブログは議論をするのに向いていない

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photo by Slick Vic

竜馬は議論しない。
議論などは、よほど重大なときでないかぎりしてはならぬといいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉をうばうだけのことである。
通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、
負けたあと持つのは負けた恨みだけである

司馬遼太郎竜馬がゆく

先日、ちきりんの
「話し合って決める」という幻想 - Chikirinの日記
と言う2012年の記事をDisった記事が話題になった。
「話し合って決める」というのは、お花畑的幻想です。「話し合えば、相手も自分の意見と同じになるはず」などと思うのは、傲慢です。

(中略)

「話し合って決める」という幻想を押しつけることは、「多様性の否定」につながります。「ひとつの意見だけが正しく、後は間違っている」と考えるのは恐ろしいことです。


みんな、自分の好き勝手なことを言っていればいいんです。

この記事自体はなにやらイケ●ヤっぽい理論武装なんだが、
「話し合った結果でAかBかなんてバカじゃないの?」
「どちらかになればどちらかが黙殺されるって事でしょ?!」
「みんな考えは違うんだし、好きなこと言えば?わかってる?」

毒にも薬にもならない意見。
世の中の議題の多くは「はい」か「いいえ」かしかないわけじゃなく、その間にあるであろう落としどころを探るために話し合うということもある。
A案もしくはB案ではなく、AとBを交換したからこそ生まれるC案だってあり得る。
他人だからこそわかる穴だってある。
同じテーブルを囲んで初めて見えるものもある。
人間の意見なんてそんなに精密で完璧で和合しないものばかりではない。

そういう折衷を無視して誘導するのはいかにも「らしい」論法だし、それっぽい。
「騙されるな!」と説いているだけあって騙すような論法を使う。
これごときに騙されるなと言うメタですね。

俺がこいつを信用出来ないと思うのは、自分は他人を批判しまくってるのに、他人の批判を一切受け入れようとしないところ。言いっぱなしで終わるなら、誰だってコメンテーターになれるわ。ブログのところどころで自己の経歴を挟んで「私はこうだけど~」ってのも、単に自己顕示欲の現れだろ。


http://anond.hatelabo.jp/20131107112619

まーねー。


とはいえウチも議論はしない。
あくまでネットでの話ではあるが。
平和主義者ではないしどちらかと言えばマッチョだろう。
しかしブログなどネットでの議論の無駄さはよく判ってる。

お笑い苦手な人間が、お笑いについて考えてみた - 夜の庭から
「夜の庭から」さんとウチで往復書簡のようにお笑いについてのやりとりをしたけれど、あぁいった意見交換は意味があるし、面白みもある。
一つことに対しての違う意見を交換し合うのは楽しい。
しかし相手を否定しあうやりとりは報われない。


以前にTWITTERやブログでそういうやりとりをしたが、結果的に何も生まなかった。
まず議論と言うか意見の交換をするのであれば
「落としどころを最初に決める」
これが大事なことだと思う。


ある時にウチの書いたブログの意見がおかしいとTWITTERへメンションが飛んできた。
しかも当事者ではなく第三者から。
批判した本人ではなく、その記事中に登場する人物。
しかもその人物にどーこー言っているんでは無く記事がおかしいと書いたにも関わらず。

そういうやりとりは不毛なのでまず落としどころを決めた。
・要求は何なのか?
・何が不適当で何に対しての疑問なりクレームなのか?
・何をさせるためにメンションを送って来たのか?
・目的は謝罪か、削除か、訂正か、猛省か?
・こちらでの可能な対処の範囲は?

その請求理由と請求内容が適当であれば対処も考える。
しかし相手を否定するだけでは何の意味もないし、落としどころも無く闇雲に殴りあっても仕方ない。
お互いに指している部分が違う事だって充分にあり得る。

その時は意見交換をし、新しい展開で終ると言うポジティブな結果に終わった。
A案とB案でC案に着地した。
そもそもウチが固執しなかったと言うのもある。
無駄な場合ばかりでもないが、そんなものは稀有だろう。


パンチを受けてダウンし、10カウントするまでに起き上がれなければ試合終了。
そういうルールがあるからボクシングが出来る。
ルールがなければ殺し合いもしくはどちらかが逃げるまで戦う羽目になる。


ブログでお互いの記事を否定しあうのは挙げ足の取り合いになる。

論理がしっかりした意見の方の作りこまれた記事を批判することはまずない。
とりあげた時点で何やらおかしな事を言っている人が相手になる。
するとまともに書いて返しても何も読み込まず挙げ足と何の裏付けのない独自理論を返してくる。
これがしんどい。
書いていてなんの穴も無い完璧な記事なんてありえない。
言い回し一つ、表現。
何かしらのおかしな部分や、おかしくない部分をおかしいとして突いてくる。

「○○と書いているが××だ」といちいち引用して来て否定する。

しかしそれがズレてる。
的外れなんだがわざわざ的外れと書くのも疲れる。
片言が通じるだけの人を相手に説得しているようなもの。
これほど非効率的なことも無い。


誰かと誰かが非難し合うのは見ているだけにしている。
どちらに非があろうが。
火の粉が飛んできたら払うし、しかし極力関わらない。
誰かを言い負かすためにブログを書いているのではないし、そんな事で疲れたくもない。

こちらが非難されても流すようにしている。
自分のことを棚に上げてよく言う、と我ながら思うが学んだ結果なんだから仕方ない。

夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、ブロガーのベタ足インファイトは落としどころが無いまま殴りあうだけ。
どちらもマウントも取れず、どちらも飛びつき腕十時も決められない。

だからルールをまず決めよう。
噛みつき、眼球を突く、金的は無し。
時間無制限、返信までの時間は問わず、最終的に起き上がれなくなったら負け、とかね。



わかった?


そんじゃーね。

自分のアタマで考えよう自分のアタマで考えよう
ちきりん,良知高行

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