“サードブロガー”再考
日本のブログも10年という年月を経て、メディア的に影響力の大きな有名ブロガーもある程度は固定化してしまったような印象もあります。しかし、Twitterが日本中に浸透して誰でも手軽に自分の意見を表明できる世の中になった今こそ、自分のことをしっかりとたっぷりと書き綴ることのできるブログの存在が重要になっているのではないでしょうか。そういったブログ・ルネッサンスの気運を感じてください。ブログの未来がここにありますSTROKESらを
アルファでもベータでもない。「第三のブロガー」が台頭する気運をはてなブログのトピックから感じてください! - 週刊はてなブログ
「ロックンロール・ルネッサンス」
とロキノンが持ち上げたように、ルネッサンスの冠は何やら胡散くさい。
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α-Blogger ~初手~
「アルファブロガー」という冠はtokuriki氏が「日本のアルファブロガーを探せ」
とぶち上げた企画に準じているし本にもなっている。
・アルファブロガー・アワード 2011 | Alpha Bloggers
名が知られ発言力のあるブロガーを担いだtokuriki氏のおみこし。
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アルファブロガーとは「選ばれ」「呼ばれる」もの。
「アルファブロガーは客寄せパンダやゆるキャラと同じ」
ブログ界を盛り上げるための広告塔としての「アルファ」と言う冠。
むしろ、twitterやFACEBOOK、あるいはtumblrに代表されるサービスや、有料メルマガといったウェブメディア自体の変遷があり、ウェブで物を言う場が移り変わって、そのたびに発言者が良くも悪くも淘汰されているという現実があるだけ、と思っています。幸いにして、いろんなサービスが出るたびにお声がけを戴くなどして相応のご評価を賜ってネットの片隅であーだこーだ言っているだけの当ブログにもアクセスは頂戴しておりますけれども、単純にPVの大小や「ネット論壇」なるものの相互胴上げを経てアルファだベータだというのは居心地の良いものではありませんそう言えば一時期の「ネット論壇」論ってどこへ行ったのだろうか。
β-Blogger ~悪手~
では「ベータブロガー」と言うものは過去に無かったのか?当然言及はされてる。
・Lifestyle Innovation β: ブロガーはどこへ行くのか。
ちなみに「βブロガー」でググると某私試論βさんが大量に大漁でムキ―ッ!となったのは内緒。
とはいえその後、生活の断片を日記として紹介するブログだけでなく、主として米国で社会や政治的な視点でブログを書くブロガーがジャーナリストとして地位を獲得しはじめたり、アルファブロガー というネットに発言力のある人物が台頭してきたり。確かに社会の転換期だったのかもしれません。ブログ元年から7年。いまではブログが何かなどと基本的な問いを抱くひとはほとんどいないばかりか、忘れ去られつつあるようにさえみえます。2011年。
「多くのブロガーの中の特権的なアルファ」に対して「ベータ(β)」が特に何を指すか定まらず、ネットではストック型*1のブログからフロー型*2のSNSへユーザーが移行の過渡期。下火のブロガー界で「ベータ」は漠然と埋もれた。
Third-Blogger ~敗着~

photo by torisan3500
・サードブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
そして最近感想グループでお疲れのinujin氏の「サードブロガー」がドロップされる。
アルファブロガーに連なるブロガーをベータと称し、それと切り離されたブログをサードとした概念。
ストック→フローという遷移の中で新たにストック型を選ぶブロガー。
・新しいイスを用意できる人、イスの幅を広げることができる人がサードブロガー - はてブのまとめ
ポナコ氏がここで具体像を提唱している。
・「サードブロガー」が公式トピックになったけど次世代アルファへの成り上がり論みたいに誤解されている件について - 太陽がまぶしかったから
で、その流れで情報学の情緒的な私試論βさんより
それは別にΩブロガーでも、Θブロガーでもよいのです。そこに権威なんて存在しないおもちゃのメダルです。でも、おもちゃのメダルだから嬉しくないかといえば、また違うのだと思いますと言う意見も出る。
個人的にこの辺りの流れは、気持ち悪い。
先日まつたけ氏の問題があって、
・はてなブログふざけんじゃねえぞ - まつたけのブログ
・まつたけ先生ふざけんじゃねえぞ(笑)。 - 体調わる子のお知らせ掲示板まつたけ先生ふざけんじゃねえぞ(笑)。 - 体調わる子のお知らせ掲示板
並行してトマト祭りや身内ブクマ問題(判らない人はそこらへんのはてなーにでも聞いてみよう)があった。
そしてブクマスパム。
増田辺りやブコメ周辺を眺めてるとそれらの動き全部ひっくるめて
「サードブロガーどもが騒いでる」
論調になってた。
問題は全て、ひとつひとつが違うはずなんだが、そういう
「お手軽にわかった気になっている思考停止でメタなはてなブックマーカー」
「浅薄な意見を上から目線で書き殴り意見交換もままならない増田」
「新しく活気あるブログを快く思わない古参の村人」
の彼ら(一絡げ)からすればそれは全て「サード」と呼ばれる。
彼らにとっての「サードブロガー」は局所的な、はてなの一部ユーザーが勝手に盛り上がっているお祭り概念に過ぎない。
情報学の〜さん的に、他の○○ブロガーを上げることで「サード」という概念を相対化しようとした試みは果たせず。
結果、最近見かける新手のはてなブログは全て「サード」と呼ばれてしまうことになり、一部で蔑称と等価に落ちる。
Intermission ~定石~
もし名前がなければ切り離されて考えられてたかもしれない。エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん(via PTM)とも言う。
言葉があるからこそ乱れる。
言葉とは何かを縛りそこに固定するために存在する。
神が「光あれ」と言ったから光があったように、光あれと言うまで光は光では無かった。
だからこそ「言霊」ともいう。
各人が確固たるイメージも無いまま皆が寄って集り漠然と使い、群盲象を撫でるうちに漠然とした象が出来上がってしまった。
当初の思惑とは離れていても。
オッカムの剃刀を振るうならそれなりに何かしらあればよかったのに。
ベクトルを持たない混沌は混沌としたまま凝り固まった。
この「アルファ・ベータ・サード」というブログ観は「この界隈」のものでしかなく、世の中にはアメブロやyahoo!ブログなどの存在を一切無視しているように見られた。勝負から降りたのに舞台に居残ってる感ある。 / “サードブロガーに、な…” http://t.co/eb0o2AYWMU
— しの(サラダチキン中) (@raf00) October 18, 2013
漠然と定義もされないものを縛れば、無難で使いやすく、使われるほど意味はブレる。
思考停止で考えるには使いやすい仮想概念。
蔑むための小手先の便利な小道具。
鉛の箱の中の猫は生きてるか死んでるか判らない。
ある人が見れば猫は生きていたんだろう。
ある人が見れば猫は死んでいたんだろう。
ある人が見れば猫ではなく死んだ犬だったんだろう。
ただこの文章は各所に自身の意図とは異なった意味で受け取られているようで、アルファブロガーになれなかったルサンチマンだとか、次世代アルファブロガーに成り上がるための手段だとか評価されてしまう事もあるようです。そもそもそんな事に大きな価値を感じていないんだけどな・・・というパラダイムがどうにも理解されないというのは、働き方論などにも感じている事です。
「サードブロガー」が公式トピックになったけど次世代アルファへの成り上がり論みたいに誤解されている件について - 太陽がまぶしかったから
α≠Next Third-Blogger ~ダメヅマリ~
「アルファでは無く、サードなのだ」と言ってしまうと語弊がある。
アルファがアルファとして呼ばれた時代はブログも全盛期で人口も多く、そんな中でコンテンツ力を持ち、発言力を拡大した一部のブロガーがtokuriki氏のおみこしの元で「アルファブロガー」という名称を確立した。
ネットは、ストック型だった。
そしてtokuriki氏のおみこしはその名前だけが独り歩きし、発言力のある(PVの多い)ブログは全て「アルファ」と呼ばれるようになってしまった。
かつて魔法少女だったまどかが、その大きすぎる望みから一つの自己から世界を覆いつくす概念と化したように。
「アルファ」の概念化が済んだところに「サード」が出たもんだから上手く転がらない。
フローが主体の今のネット社会で、ストック型を選択するブロガーと言うのは、時代の「流れ」に逆らっている。
一般の名も無き人々はSNSのアカウントで「ふろったー」だの「おはありー」だの「ももかペロペロ」だのとツイートし、キュレーターのキュレーションする情報をRTでマンセーしてりゃそれなりに過ごせるし、自意識も保てる。
しかし今のブロガーの「フローじゃなくストックを選ぶ」スタンスは、情報の拡散導線でありながらも発信を担う一面を強く持ちえる。
ツイッターでキュレーターが幾ら偉そうなどや顔で何かしらを紹介しても、それは何かしらのストック情報が元になってる。
ブロガーがブログを書かなきゃキュレーターが撒く情報は存在しない。
「サードブロガーとかなんだよ、全員死ねよ」
そう言ってるブックマーカーは、でもブログを読んでブクマしてる。
「アルファはアルファ、サードはサード」
これが正しい。
サードはいずれアルファになるか?
それはまた別の話。
「アルファ」は、2011年が最後。
そこから幾らブログが低迷したとはいえ山のように書かれてる。
はてなだけでもずいぶん有名なブログも多い。
Amebaなんかに目を移しても芸能人のブログの影響力はすごいし、そういう他ブログを全く無視するのもおかしい。
「アルファに次ぐ影響力」と言うのであればそれらも含めないといけない。
例えば今は無き「コンビニ店長」とか「デマのひと」とか、あーいう人らはそれこそ(はてなでは)ネクストアルファ。
tokuriki氏が暇になって
「復活!アルファブロガーアワード2014!!」
とやればあの人らは入るだろう。
しょーもない記事でもブクマが結構つくし信者も多い(おっと失礼、つい口が...)。
Forth-Blogger ~終局~

photo by Judy **
・フォースブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
補填としてinujin氏がこの記事を投下する。
「今のこの時代にブログを書くという選択肢だっていいじゃないか」
と言う趣旨での「サード」の相対化と再度の概念化を目指す。
しかし既に「サードとは」という漠然としたものが固まりつつある中での相対化はやはり不発に終わる。
既に局面は定まってる。
・サードブロガー - はてな匿名ダイアリー
サードブロガー==人気ないけど、ただの成り上がりたい人達の自己肯定
その後の文章読んでみても、アルファーブロガーなんて目指してません、でも、方向性はアルファーブロガーと同じですって読めるし、結局増田の問いに対しては誤解だ、こいつは何もわかってないって切り捨てられたってことでいいのかな?
サードブロガーは違う。はてなに依存している。
彼らにとってのはてなは、インフラではなく目的だ。
彼らが目指す頂上は、はてな村のトップだ。
これは彼らの意思とは別にコントロールされている。
とっくの昔に誰かが指摘してるんだろうけどさ、なんで「アルファブロガー」の対比が「サードブロガー」なの?
「αブロガーβブロガーに続く第三のブロガー」という日本語的な表現ならまだ分かる。
だがそれをわざわざカタカナで格好つけて「サードブロガー」と言っちゃうのは馬鹿すぎるだろwwwって話な?いい加減分かってくれよ、おバカさん。
でも、運命はまだ幾重にも重なって、その可能性は開いてる。この増田での惨憺たるありさまがそれを物語る。
自分という可能性を急いで収束させる必要なんて無いのではないか。
駒を動かしていれば、いつか名前がつくだろう。
それまでは、たくさんの読みを働かせていればよい。最後に、僕は悲しかった。
終局した時、開始位置のままの駒が、歩に収束していた。
ほかの者達の動きによって、彼らの運命は奪われた。一歩も動かずに。
理解しないまま「言葉」だけが転がる。
そして誰も触れなくなった。
Digression ~感想戦~
・これからはサードブロガーの時代?第三のブロガーとは? - NAVER まとめ「サード」という存在(言葉)は、アルファと相似形として捉えられ歪んだ。
本来的な「フローな時代にストックを選ぶブロガー」という漠然とした当初のイメージから乖離し、伝言ゲームのように人が語れば語るほどその形を変えていった。
行うべきは相対化ではなく旗振りだった。
「サードブロガーとは○○である」
いっそそれを求めていたのにそれを知る人間はそれを行わなかった。
元々が概念だったから。
だから再度相対化しようとしたが広まることは無かった。
同時多発的に身内ブクマや他SNSからのブクマスパム同等の結びつき問題などが発生し、そんな中で言葉は歪み続けた。
はてなでのただのお祭りの一つにしかならなかった。
だったらいっそ「サードブロガーアワード」でもやればよかった。
馴れ合いでキャッキャウフフでも構わない。
元々アルファだってキャッキャウフフなんだから。
でも誰も旗を振らなかった。
真意を知る人間は真意とは違うので旗を持たず、真意を知らない人間は誰も言葉に責任を持ちたくないし振るつもりもない。
もし旗を振ればそれはサードではなくなる。
しかし誰かにとってのサードはそういう形をしている。
「アルファブロガー」なるものは、そうではない全てのベータブロガーたちがいるからこそ成立する概念だ。これまでの「ブロガーの中から選ばれたアルファ」というパラダイムから切り離された概念としてのサード。もっといえば、アルファブロガーは、アルファブロガーに憧れる人々によって作り出されていく。
アルファブロガーに憧れるということは、自らが彼らの原料として消費されていくということなのだ。
だから突然、なんかバカバカしいなと気づき、「さらば」と思うことだって、アリなんだと思う。
その代わりに、ためしに第三のブロガー、サードブロガーになってみるのはどうだろう。
これから先この言葉が再び意味を持つのか、それとも忘れ去られるのか。
ブログと言うもの自体が無くなって行くのか。
よく判らないが、とりま総括したので終わる。
生きている間は輝いていてください
思い悩んだりは決してしないでください
人生はほんの束の間ですから
そして時間は奪っていくものですから

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)