ブログ記事の書き方について少し考えてみる雑文
Meerkat / Rennett Stowe
・自分語りが好まれるのか - 夜の庭から
よい記事なので自分も乗っかってみる。
まず書いた記事の「書くタイミングと出すタイミング」
これは人によって色々あるんだと思う。
直近なら
下書き | 記事タイトル |
有 | 今、生きてるなら「ザ・ワールド・イズ・マイン」を読め |
無 | 年末の大掃除に役立ちそうなグッズまとめ(使用感) |
無 | 増えるうつ病はてなブロガー 「増田とはてな村関係に疲れた」(ネタ) |
有 | “サードブロガー”再考 |
こんな感じで下書きの有無は渾然としてる。
年末の大掃除に役立ちそうなグッズまとめ(使用感)は、年末年始の話が仕事で出て「そう言えばそんな季節だなー、掃除とかしなきゃだなー...あー、グッズのまとめ書くかー」で書いて100ブクマ越えた。
“サードブロガー”再考はサードブロガーと言う言葉の流れを見ていたし、落ち着いてきたのでそろそろ総括を...と思ってググりまくってがっつり一日寝かせて書いたが全くウケない。
まぁ、こんなもんでしょう。
書きたいものと読まれるものは違うし、どちらかと言えば複雑なモノよりもシンプルなモノが好まれる。
上で言えば“サードブロガー”再考記事はアルファ~サードまでの歴史とその経緯をまとめてみたんだけども、そもそもそんな遷移に興味を誰も持ってない。
「言葉が生まれ、乱れ、消費される」
そういう流れに自分が興味あるから調べて書いたが、当然誰にでも通じるネタじゃない。
(あれでも)出来るだけシンプルにして余談を削って元記事の半分くらいにしたがそれでも長い。
書きすぎれば「長すぎてこんなの誰も読まない」と言われ、まさにその通り。
短いと「手抜きだ、雑だ。誰にでも書ける」と罵られ、
たとえ話をすると「たとえが不適切」と責められ、
具体的な例をあげると「一例にしかすぎない」となじられ、
抽象的な話に終始すると「それお前の脳内ソース」と嘲られ、
誰かを褒めると「ステマ、信者乙」と叩かれ、
誰かをけなすと「それが好きな人もいるのに、想像力が足りない」と呆れられ、
自分の話をすると「チラシの裏に書け」と薦められ、
他者の話をすると「偉そうに言っているお前自身はどうなんだ」と攻撃され、
悲しみや苦しみを訴えると「自業自得」と切り返され、
嬉しかったことを語ると「もげろ!」とからかわれる。
よく
「冒頭に画像を入れましょう」
「これから幾つの話題を出すか挙げておきましょう」
「区切って見出しを付けましょう」
「最後にまとめを付けましょう」
と言われるがつまりは、
「お前のオナニーみたいなクソ長い文章なんてまっぴらごめんだし、地の文じゃなくてまとめだけ読んでわかったような気になれるものを書けよ」
と言うのが真なんだろう。
読み手は書き手の苦労なんざ知らない。
ブロガーはブロガーが愚痴ってたりすれば「あぁ、わかるわかる」と思うが、やってない人間からすれば「また自意識過剰のオナニー記事かよ、けっ。勝手にキャッキャウフフやってろよ」と思われる。いやはや、やってられん。
完パケ*2とは異なり、ブログの文章は水物だと思う。どんなに面白いネタもタイミングを逃せばウケないし、伝えたい思いや動機が弱ければ読まれない。支持者の多いブログは筆致・ネタ・タイミングのバランスが良い。筆致は鍛錬が必要だが、ネタとタイミングに関しては時流を読み切り口を変えれば誰もが再現可能だと思う「文章を書ける/書けない」というか文章は誰でも書けるんだが、構成や語り口、適正な言葉の選択が出来ているか否か、と言う部分が人によってかなり違う。
漫才などで「間」というが、あの「間」が記事にも存在する。
“コトバ”の世界

photo by Yooakim
よく 行を 多めに空けて 書いてるのを 見かけるんですが、
あの 一行があることで
なにか 落ち着いて見えるとか、
少し 詩のような雰囲気とか、
何となく 柔らかい感じとか、
そういう 雰囲気を出すんじゃないかな?って
私は
そんなふうに
感じたりします。
みなさんはどうですか?
【関連】
・男の子と女の子のインターネット - あざなえるなわのごとし
ハイパーでグローバリゼーションでアバンギャルドな感覚が生み出すアウトサイドなネクストジェネレーションのインテリジェントなインターネットネイティブ世代はセンスオブワンダーなクリエイティビティを発揮し、日本や既存の価値観を否定しノマドなどの新しい価値観を武器にワールドワイドに広がる視点で自身をプロデュースしてゆくのだろう、なんて顔を赤らめもせず言ってしまえるスカスカなアホはとりま死んでくださいお願いします。行間や改行句読点が少なく、漢字への変換も多く平仮名よりも敢えて漢字を多用して見せるような記事があるが、あの手の記事はまずアクセスした読み手が読みずらいと言う部分でリーダビリティが高くなく、そしてジャーゴン...一部の人にしか伝わらないような、クリエイターによく見かけられるクリエイティビティとかイノベーションとか言う単語を好んで使うような人種によく見られる文章の特徴でもある。一つの句読点の中に一つのセンテンスではなくって複数レイヤーのセンテンスが詰め込まれ、そういう自身が知的と勘違いしている臭いをさせている為か、難しい言葉知ってるオレカッコいいなのかそれとも天然でみんなこの言葉知ってて当然だろ?と言う勘違いなのかは定かではないがノマドや意識高い系に多くみられる気がする偏見と冒頭に自ブログを引用する我田引水。色々間違ってる。
【関連】
・判りやすい事はいい事なのか? - あざなえるなわのごとし
ことばの末尾の選択
「です、ます」「である」「じゃない」
ボールドや大きさを変えて色をつけ 強調して見せる。
文語体 口語体や 言葉と 言葉の間に スペースを入れるか 入れないか。
それで 印象は
変わる。
AAや顔文字でも印象は変わる
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
ブログに求められるもの
あ「ネットで求められるのは文章力、と言うより文章をいかに見せるかなんじゃないのかなと思う」な「ん?どういう意味なのー?」
あ「例えば文章を構成する力がなくても二人が語ってるように見せればどうかな?」
な「あー、レ●ーのブログでやってるやつだねー」
あ「会話形式だと口語体で、文章の構成が必要ない。語りが地の文になるからね」
ブログ記事において求められるのは何だろう。
文章力の高さではないだろう。
多くは素人の書いた文章であり、記述能力は平均して高くはない。
しかしそこに歴然とリーダビリティの差は存在する。
だとすればそれは文章自体をいかに見せるか?読者に提供するか?にあるんじゃないだろうか。
書き方や見せ方で変わる印象。
そのセンスこそが問われる気がする。
あ「...と、こうやって書くよりも会話風に書く方が読みやすいでしょ?」
な「ふむふむ」
あ「それに少しのネタでも水増しできるしね。ただ一人の人間が交互に語ってるように見えるのは少し気持ち悪いかな」
な「書いてるのは独りだからなー」
あ「んー、じゃあ二人の差は語尾に特徴つけて差別化するのがいいかも」
な「そうでござるな」
あ「そうそう(笑)そんな感じで」
な「ブログとは奥深いのでござるな」
あ「あとはプロフィールを作っちゃえばいいよ」
【登場人物】
あ | 不良ブロガー。ニッチなジャンルのネタを得意とする。趣味は料理 |
な | 侍。ブログで稼ごうとする初心者。バツ3で二人の子持ちのニート |
あ「こんな感じで(溶き卵を菜箸で混ぜている)」
な「キャラ付けでござるな」
あ「うん。何かあるだけで印象が違うね(熱したフライパンに卵を流し入れる)」
な「なるほど、拙者少しわかった気がするでござる」
あ「そうなの?じゃあ頑張ってブログ更新してね(チキンライスを卵の上に)」
な「かたじけない、では拙者そろそろオムツを替えねば。ドロンいたすのでござる」