男と女とブログと看板とリテラシー

表現者の性差を考える - ロックンロールと野球とラーメン

性差で判断されることを嫌ったり、目立ってしまうことによるデメリットが大きすぎることを嫌ったり。
両方とも言っている事はごもっともなので、その気持ちはよく分かる。
そして、その逆もまたしかりで女であることを武器にしたがったり、目立つことによるメリットを求めるということも理解できる。
「はてな女子」を全面的に肯定したエントリは見当たらなかったのだけど、そういう風にしたたかに考えている人もいるだろう。
男尊女卑とかそーいう考えは無いが、田嶋陽子には引く。
そんなスタンス。
ここからは印象論。


ネットの記事を つらつら見ていると

やはり女性と男性の差と言うか

そういうものが見える。


そりゃそうだ。

脳の造りが物理的に違うんだから。


あくまで印象だが、

女性の書く文章は、 柔らかくて 繊細さがあるように感じる

嵐のピクニック
ほんたにちゃんの作品には、 こじらせた女性が いろいろ登場する


舞城作品にも こじらせた人物が登場するが、
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)
思考の根っこに 男性的なベクトルが あると言うか

阿修羅ガール
たとえ女性を描いても 女性が描く女性 とはやはり違う。

こじらせ方が違う。


ただ 現実世界で

世の中で言われる「女性」的な 思考をする男性もいれば

世の中で言われる「男性」的な 思考をする女性もいる

しかも その人の考え方全てにおいてじゃない。

だからややこしい。


女性なら 誰しもが「逢いたくて震える」系の歌詞に共感するわけでも無く

男性なら 誰しもが「二人の孤独を分け合う事が出来たのかい」なんて歌詞に共感するわけでも無い

だが 自分では絶対書けないような記事を書いている女性を見つけて

男女の思考の差をしみじみと実感したりする。


「はてな女子」ってなんだろう - 生活とバウムクーヘン

わたしは女ではあるけど、それを全面に押し出して生きていくことに抵抗があるので、キラキラと女子女子した人気ブログを見ると「すごいなぁ」と感嘆する。

女の子ってこういう生き物なんだなぁ、と。

感嘆すると同時に、正直、嫉妬もする。

(中略)

男であることは有利に作用しないのに、女であることは有利に作用するというのは、わたしのように女であることにコンプレックスを抱いているような人間には、何だか妙な気持ちになる。

性別とか抜きにして、パーソナリティで判断してほしい。どんな局面でも、そう願いながら生きてる。

文字を記すと言うのは

紙の上であろうとキーボードを叩こうと

脳の中に浮かぶ意識を文字に変換して打ち出す作業で

だから脳の構造が違うなら出てくる文字は当然違う。



人には年齢の差があり、

若いひとが書くモノはやはり若いし甘いし、

老いたひとが書くモノはやはり古いし固い。


男と女の差があるように

年齢や性別、生まれたところや社会的に違うからさまざまなモノが書かれる。

そういう多様性が面白いのだし

そういう多様性がパーソナリティなのだから、

女性が 女性であるのだから

女性的な文字を記すことを忌避しても それは仕方ないかなーとも思う。


もしならば ネットの上の虚構の自分を男女不明にして、

文字を書けば単に「パーソナリティ」で判断される。


女性であることを明示して

「女性だからと言う目で見ないでほしい」

と言うのは

例えば大学教授が

「大学教授と書いてあるが大学教授だと思わないでほしい」

と言っているのと同じで

だったら隠さなきゃ仕方がないのだし、

看板を下げておいて「それを無視して判断してください」は少し違う。


そうではなく男女、年齢、社会的地位。

それらを記していなくても、

それらが文字に溢れてしまえば、

それは「ネットのパーソナリティ」なのであって

それで判断されるのは、それは仕方のないこと。


文字には育った環境やその人物の個性が現れる。

そして性差や「中学生」「ノマド」「社長」「フリーター」

現実世界の何かしらを看板として掲げれば読み手にバイアスは当然かかる。

「中学生なのにこんなこと考えるのかー、えらいなー」

「ノマドだからって社畜とか呼んでバカにしやがって」

「フリーターのクセに社会論語られても説得力ゼロですけどwww」

なのに書き手

「自分の社会的地位を考えず記事の中身だけで判断してくれ」

と言うのは何か違う。

そういうことじゃないだろうか。


かつて北村薫覆面作家をやっていて
空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
最初の頃は女性だと思われていた。

文章がとても端正で繊細。

だから読者は、作家“北村薫”は女性だと思っていた。

しかし実際“北村薫”は男性。

国語教師だったのでとても日本語が美しかった。

でもそれがわかったからと言って

作品が堕ちるわけではない。

端正な作品はやはり端正な作品だし素晴らしい。



ネットの上は文字が全て。

自分は

ブログに年齢も社会的地位も書かない。

まぁ若くないのは判るだろうが、

だからと言ってものすごくオッサンでもないのは判るだろうし。

言わないものが伝わるのは仕方がない。


「私は女性です」

書かなくても文字が女性を感じさせれば読み手は勝手に女性と判断してしまう。

女性と思わないで中身で判断してと言うならコントロールすればいい。

コントロールするのもまたリテラシー


どちらにしろ女性であれ男性であれ

面白くなければ ブクマするつもりも共有するつもりも無いので

あまりそういう事は気にせず

有利に働く要素があれば 利用すればいいんじゃないだろうか。

ブログなんて男女関係なく

面白くなければ いずれ飽きられるのだし。

中身で判断されるものを書けばいい。

中身が伴わなければ右肩下がりに下がって行くだけ。


ちなみに私は男性だが、人間ではなく猿である。

ある研究機関で、

高度に訓練されブログを書くように仕込まれた

ネットの上は書かれたことが全てなのだから

これを信じて

「お猿さんが書いてるブログなんだ」

今後はそう思って判断して欲しい。

猿の割には面白いものが書けているつもりだ。
乙夜の覧、戊夜のうp : 爆笑スパム〜チンパンジーからのメール
盤上の敵 (講談社文庫)