キーボードを大きな音で叩く人にイライラする
主題の提示 この記事の要旨
怒り新党を観てたら「キーボードをやたら大きな音で叩く人にイライラする」
ってのがあった。
確かにそういう「周囲に対しての気配りが出来ない」輩と言うのは多い。
例示 具体例を著し、趣旨を具体化する
例えば電車のシートに座っている。一枚で繋がっているシートだったとして(最近は別れていて固いものもあるが)乗ってきて隣に思いっきり重い尻を「どすんっ!」と腰を下ろすバカがいる。
自分だけの椅子なら好きな座り方すればいい。知ったこっちゃない。
しかし他にも人が座っているなら、腰を下ろす時はそっと腰を下ろすのが礼儀。
お前の貧乏揺すりの振動が伝わってくるんだよ。
お前がシートを叩くたびにこっちも揺れるんだよ。
鞄から何か出して、しまって、また出して、しまって、また出して...。
その度に腕がガシガシ当たる。
毎度毎度鞄を開け閉めしてジップだかフラップだかバタバタジージ―。
使うものは出しとけ。
しまったら出すな。
出し入れは腕が当たらないとこでやれ。
数センチの違いで大違いだわ。
あとホコリを立てまくって脱いだ服をバッサバッサ。
鼻炎持ちなんだよ...いや、アンタはマスクしてるからいいだろうけど。
以前、黒いトレンチコートを着て混んだ電車に乗り込んだことがある。
そこに白いセーターの女が乗ってきた。
見た時から嫌な予感しまくりだったんだが、よりにもよってオレの横に来てしかも思いっきりぶつかって。
他にも空いてるだろ...わざわざ来るか?
数駅の間だけで黒いトレンチの表面に白いセーターの毛がびっしり...。
100円ショップでコロコロ買いましたよ、えぇ。
それ以来、常備することにした。
電車の中で着信音を出すおっさんとおばはん。
慌ててケータイを出してメールだか電話だか相手して「今電車だから...」とか言って、切ってそのまま鞄とかポケットに戻す。
いやいや、今のタイミングでマナーモードにしろや。
で、数分後再度鳴り出す。
なんなんだいったい。
新聞ってのはそもそも電車に向いてない。
めくる時に音がするし、広げて読まなきゃいけない。
中には小さく畳んで読んでるやつもいるが色々あって結局広げる。
畳んだまま全部は見れない。
ばさっばさっばさっ。
ヘタしたらケータイの着信よりよほど耳障り。
知的にも何にも見えない。
「社会を知るのに新聞を読みなさい!」
その前にお前が周囲の事を考えろ。
オッサンの加齢臭は仕方ない。
そういう生き物だから。
でも対策はしろ。
勝手に諦めるな。
あのツンとした酸っぱい匂いのせいで何度吐きそうになったことか。
そういう諦めたオッサンが詰め込まれたラッシュ電車は不快なガス室。
屁もするな。するなら我慢して死ね。
マスクもしないでゲホゲホゲホゲホ。
で、ハンカチも無いんだろうね。
たまたま乗り合わせた電車で誰が風邪ひこうが知ったこちゃないわなー、そら。
DQNは声のボリュームスイッチが壊れてるから、どこでも大声で話す。
JKは声のボリュームスイッチが壊れてるから、どこでも大声で話す。
オバハンは声のボリュームスイッチが壊れてるから、どこでも大声で話す。
迷惑なんて知ったこっちゃない。
電車は安価な庶民の足。
他の人間が嫌ならタクシーでも車でも乗ればいい。
でも車に乗ったら乗ったで、他の運転が気になるし、車線変更ヘタなやつとか、思いっきり飛び出してくる自転車とか。
道を歩いててどこかからタバコの臭いがする。
前を見ると歩きタバコ。
未だにやってるのか。
喫煙所で吸え。
と思って喫煙所を見ると
「喫煙所の近所で吸っても喫煙所と同じだろ?」
と喫煙所でもなんでもないとこで吸ってる。
喫煙所の近くだったらセーフなんてあるんだっけ?
「落としても三秒以内だったらセーフ」的な?
職場で引き出しや扉を思いっきり締める。
ばたんっ、どすっ、どかっ。
キーボードはガタガタ机が揺れるくらい打ちつける。
強度試験ですか?
今度は、大きなため息をつく。
「はぁぁぁぁぁぁ...」
舌打ち、貧乏ゆすり、独りごと。
主題 つまりこの記事では何を書くのか
礼儀とは優しさ。1 人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。特に、敬意を表す作法。「―にかなう」「―正しい人」「親しき中にも―あり」「―作法」社会ってのは独りじゃなくて他人がいるから形成されてる。
“社会生活の秩序を維持するため”にある。
お互いに不快にならないようにルールがある。
ルールは何もかも網羅してるわけじゃない。
しかしそのルールに無い部分は優しさからできてる。
バファリンじゃないが社会の半分は思いやり。
優しさと思いやりが、社会から一切無くなればマッドマックスやバイオレンスジャックの世界。
人間の合理的な生き方は「個人の幸福の最大化」
そこに思いやりは無い。
合理的でドライな判断からすれば自身の幸福を考えて生きてりゃいい。
他人が何を言おうと知らない。
自分が幸せならそれでいい。
想像力が欠落した未成熟な大人。
自分以外の価値観を計りえない、距離感が判らない。
数センチ数ミリ、力の入れ方のほんの小さな差、考え方。
それだけで変わることを、考えること、想像が出来ない。
大人になるとか成熟するとかいう中にはそういう距離感の計り方とか想像力が含まれてるんじゃないだろうか。
まとめ 総括。オチ
今の社会に必要な教育は何か?と聞かれれば間違いなく道徳と倫理だろう。
それは教育だけじゃなくて生活の中で学ぶもの。
ところが社会に出た大人ですらひどいもので、大人どころか子どもレベルの倫理観と道徳観しか持っていない。
だから「人間にとって成熟とは何か」なんて本が売れる。
それがわかってるならあんな本は売れない。
そういう大人が子供を育てて子どもの見本になる。
なんの説得力も無い。
「お父さんを反面教師にして生きるんだぞ!」
憧れる父親なんてどこにいるんだよ。
想像力の欠落は楽な生き方。
なにせ他人の迷惑が気にならない。
がさつで無頓着。
好き放題やって、気にしなくて、それでもいいんだから。
それでいて人に嫌われると「なんで嫌われるんだろう?」と自分のガサツさが頭にすらない。
いやはや。
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がないそういったのはフィリップ・マーロウだが。
資格がないまま生きてるやつがゴロゴロしとる。