無責任な責任論とまとめサイトについて風邪をひいてるけど考えた

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まとめサイトに反応する人の多くは、まとめ方に従ってまとめ通りに文句を言う - Life like a clown
風邪ひきでぼーっとした頭でつれづれなるままに眺めてて確かにそう思った。
最近、某若者のブログで
「まとめサイトをダメとかっていうけど個人ブログなんだから別に何書いても偏向しててもいいだろ?」
という論調があって随分驚いた(記事は消えてたけど)。
若者のブログではその手の論調がメジャーなのかも知れないが(その通りだ!みたいなコメントもついてたし)、各方面で絶賛嫌われ中の上から目線で知ったかぶり当ブログ(ニッチな層向けにお送りしております)からさせて頂くとそういうスカスカの無責任論は気にくわない。

あ、風邪をひいてるって言うのは詰めの甘さと引責から逃げるための意図的な種まきですからね...*1。こーいうダブスタ好きでしょ。


浅くて、想像力に欠ける。
実に視野が狭く即物的。
ろくな自己責任を取らない(取れない)が自己責任論大好き臭がする。
「責任」の反対側に「無制限の自由」があると勘違いしてる。
天秤の皿にはそれぞれ吊りあえるだけのものしか乗ってないのに。


ネットは文字で構成される世界。
前段の某ブログでは
「報道が自由に編集するように、まとめブログだって勝手に自由に編集を行っていい」
などとあった。

しかし報道の編集は本来的には中立で、偏向性があってはならない*2
例え個人であれ、本来の意味性を大きく逸脱し偏向させるような編集はあってはならないだろう。
それはデマと呼ばれる。
だからこそやらせだの偏向だのあれば、解雇や減給などの社会的制裁を受けるし、信用も下がる。

確かにどんな言葉であれ自分が自分で言葉を記すのならそれは構わない。
なぜかと言えばその責任は自分が負うからでしかない。
別に何でもやっていいわけじゃない。
匿名で書いていた中傷の書き込みが、誰のものか特定されればその責は問われることもあった。
「ネットは何を書いてもよい。ただし言葉の責任は書いた人間に帰結する」

では、まとめサイトはどうだろうか。
まとめサイトは自分で書いていない。
いや自分で偏向したスレッドを立てたりする。
自分で燃焼剤を投下して、燃やした上で自分のサイトアップする地産地消。
偏向するであろうタイトルで、偏向したコメントをかき集め、偏向した記事を作り、燃やす事でアクセスを稼ぎ、衆目を集める。
「個人だろうがまとめだろうが偏向してて構わない」
確かにそうだろうが、個人が「○○なのだ」ということと、第三者が何名も「○○なのだ」「○○なのだ」「○○なのだ」と書くのでは意味合いが違う。
単なる一個人の思い込みと主張だけなのか、それとも何人にも共通する「正しさ」がある(ようにみえる・演出される)かの差がそこにはある。

ネット上のリテラシーは予想以上に低い。
「ツイートするときに氏名:の後に名前を書けばモザイクがかかる」をネタと思わずに本当にツイートしたfusianasanトラップに引っかかるような低リテラシーもゴロゴロいるし、かなりの割合を占める。
Twitterでは自分の本名を「氏名:」という文字列のあとに書き込むとモザイクがかかるようになってるんですよ - Togetter
「そりゃ虚構新聞は虚構新聞とタイトルに入れんかい論(byあ●っくす)も登場するわな」
と思ったりするがそこに深く踏み込むとまた増田に書かれるので虚構~に関しては自重...。


文字の世界だが何をしてもいいわけではない。
何かの文を引用するのであれば、引用記事より自記事は多くあるべきだし、引用記事を勝手に書き換えてはいけない。
それは改竄になる。
無断で引用先を記さずに行ってもいけない。
どこぞのメガネをかけた自称ノマドなら
「引用のルールを守らなきゃいけないルールを僕に納得させられるならボクは従ってもいいですけどね」
ミランダ警告聞いてないからボクは罪にとわれない論法を繰り広げてるのを目撃した事があるが、あんな輩は知った事じゃあないし、炎上上等だからあれは許されてるし、関わったら理解力が低いのに相手しなきゃいけないからめんどくさいだけ。
あれにしろまとめブログと同じで信用度なんかもはや欠片も無い。


まとめサイトは、他人の書き込みを都合の良いように写し意味を書き換える。
1.是
2.否
3.是
4.中庸
5.是
6.否
7.否
8.是

のスレッドから「否」のタイトルを付けて
2.否
4.中庸
6.否
7.否

のみを転載する事で印象操作を行う。
編集と印象操作は全く違う。

料理番組の編集は煮込めばどうなるかわかっているから編集しているのであって、冒頭にオムライスを作ると言っているのに片栗粉を準備し始めて、サバを切り分けたところで編集して最後にオムライスが出て来れば、それはおかしいに決まってる。
それは編集とは言わない。

まとめサイトはお手軽であるが故に好まれるし重宝される。
誰か一人の意見しか書かれていないブログと違い、まとめサイトには複数の人間の意見が書かれて(書きうつされて)いる。


ソロモン・アッシュが行った同調実験と言うものがある。
古本屋の殴り書き: アッシュの同調実験/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
詳細はリンク先を見て頂きたいが、重要な部分だけ抜き出すと

実験をやってみると、驚くほど多くの人が、サクラの影響を受け、正しくない線分を答えることがわかった。この実験では、なんと35パーセントの誤答率を記録している。単独回答ならば、誤答率は5パーセントの課題である。
(中略)
共感を抑え込んだり、心の中でブロックしたり、それに基づいて行動しなかったりすることは可能でも、精神病質者と呼ばれるごく一部の人を除いては、私たちはみな、他者の境遇に感情的な影響を受けずにはいられない。根本的であるにもかかわらず、めったに投げかけられることのない疑問がある。それは、自然淘汰はなぜ、私たちが仲間たちと調和し、仲間が苦しみや悲しみを感じれば自分も苦しみや悲しみを感じ、彼らが喜びを感じれば自分も喜びを感じるように人間の脳をデザインしたのかという疑問だ。他者を利用できさえすればいいのなら、進化は共感などというものには、ぜったいに手を染めなかっただろう
リンク先の引用構造がマトリョーショカの様なので前段と後段が違ってるが(これも偏向と言えば偏向)意識しているにしろしていないにしろ、改竄された内容に読み手は多かれ少なかれ意見が揺らぐ。
つまり特定の何かしらにおいて歪んだ答えであれ、大勢がそれを是とするなら自分が是と感じることは大いにあり得る。
まとめサイトで幾ら歪んだ意見がやまほど書かれていても少なくともその答えを書いた人間が存在すると認識させられるし、それが是であることも認識をさせられる。それを認識・意識しないのとは違う。

誰かが何をどう思っているかを知りたいんじゃない。
みんながどう思っているかを知りたい。

数千にも及ぶ反響を見てしまうと、大事に見えてしまい「一刻も早く釈明しなければ」と言う気持ちになると言うのは理解できます。しかし、前述したように目に見えている反響と言うものは実際に見た人達の 1% にも満たないもので、その多くは(まとめられた内容の方に)偏ります

まとめサイトに反応する人の多くは、まとめ方に従ってまとめ通りに文句を言う - Life like a clown


こうやって同調意見を引用するのだって補強になってる。
本来的な意味とズレがあったとしても引用先で相違がなければ読者は納得をする。
他人の言葉、と言うのはとても強い。
よくある「過去の偉人の名言」にしろ大した言葉でなくても偉人と言うストーリーが付く事で補強される。
他のブロガー、過去に出典がある、それだけでも補強になりえる。
人間の認識はそういう積み重ねに成り立つ。


だからこそデマや偏向記事は危険で、しかもまとめサイトはその影響力にも拘らず責任を取らない。
まとめサイトがやっているのは
「オレはこう思っている」
じゃない。
「みんなこう思っている」
と言う虚構を演出して見せる。


どれだけ騒動になり燃え上がってもアドセンスアフィリエイトが繁盛すればそれが是。
どれだけ悪名が高くてもアクセスはある。
リテラシーは飽きもせず娯楽感覚で歪んだ記事や歪んだまとめを拡散し共有する。
そしてそれが元で中傷の事件や炎上が起こる。
しかし責任は問われないまま。
嫌儲のような盛り上がりは無いし、集団の力は無くなった。


「何をやったって個人の自由!」
と片方の天秤に「責任」と言う重しが乗っていることが見えない「自由」が叫ばれるのを多く見る。
自己責任だから。
でもその責任をどうやってとるのか。
「誰もどうやっても責任が取れないことなんだから別にやっても構わない」
そういう論調は、例えば殺人の罪に対してどういう処罰を行えばいいか決まっていない世界でなら人を殺しても構わないと言ってるのと変わらない。
罰の無い罪ならそれは容認されるべきである、と。
自分が取らない責任の無責任な責任論。

まとめサイト容認論者は、まとめサイトがデマを行いそれに自分が被害者になり、物理的、社会的な損害をもし被ったとしてもそれでもなおまとめサイトを容認し続けるんだろうか。もしそれならそれで構わないだろう。
少なくとも自分はそうは思わないし、容認論者とは全く視点が違うんだろう。


リテラシーには道徳も必要。
改竄や意図的な偏向とウソがどれだけ違うんだって話。
言葉に対する信用度の軽視(またそれに対する劣化行為)は、言葉で構成された世界でどれだけの破壊的な行為かという考えがない。


ま、いろいろ書いたけどいろいろ嫌われてるんで別にいいや*3
そーいう浅薄論を吐くブログ記事のメタブコメを見てニヤニヤするというメタ悪趣味を代謝行為として溜飲を下げることにします。
きっと住む世界が違うんだろうな(アチラには今後踏み込まない)。
それにしても早く風邪治らんかな。
さっきから頭がぼーっと...(fade out...)。
僕らの新しい道徳

*1:風邪が絶賛猛威を振るってるのは本当だし右耳が中耳炎で聞こえが悪い

*2:あくまで原理原則でしかないのが悲しいが

*3:文中、嫌われているという言葉を繰り返す事でそういう印象を読み手に与える逆ピグマリオン効果。事実かどうかは...さてさて