見なければそれは無いのと同じ
※とりとめもない
ネットは広大だろう。
草薙素子が言わなくても。
だから誰かを追い出す必要はないし嫌いなら見なければいいと言う選択肢が可能になってる。
観測範囲を変えれば見えなくなる。
・東浩紀先生の華麗なるブロック神拳の妙技をご覧ください - Togetter
あずまんの即ブロ神拳は一部で有名。
ツイッターでツイートを見ないことは「無視」と同じ。
リムーブしても対象に損害を与えてはいない。
さらに
「オレはお前のツイートを見たくないし、お前に見せたくない」
だったらブロック。
「ツイートを見えなくする」その心理的閾値があずまんは、とても低い。
はてなブックマークページのデフォルトを非表示に変更した。さらばブックマーク!って感じかなー。良くも悪くもこの制度なしに今の「ちきりん」はありえなかったのはわかっているけど、そろそろ潮時ということで、腐れ縁をぶち切ってみる。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2012, 3月 27
ちきりんがブコメ欄を非表示にして騒ぎになったのも今は昔(去年の春か)。
「後ろ足で砂をかけられた」なんやの盛り上がってた。
先日、ちきりんについてゆけないひと~なんて記事を信者がドロップして、そのブコメ欄が非表示
「そんなところまで真似してんのか 笑」
と呆れたもんだが、ちきりんが言うところの「議論はしない」と言う姿勢は一面的には正しい。
議論の余地云々以前に誰かの意見はそいつにとって至上。
それを否定するつもりもないならその姿勢は正しい。
ちきりんは好きでもないし嫌いでもない。
正しいことも間違ったことも言う。
ヒットもホームランもあるが、三振でも認めないのがめんどうなだけ。
正しい=好き 間違ってる=嫌い
そんなバカな評価軸は持ってない。
人格まで否定しない。
正しくても嫌いなやつはいるし、バカで間違ってても好きなやつはいる。
・はてブボタンを取って、鎖国祭りを開催しました。 - 体調わる子の毒吐きブログ
このブログから「はてブボタン」を取り払ってみました。ブクマボタンを外すのは、自身がはてブ数を意識しない効果が一番だろう。ちょっとした実験です。
一部のはて坊に心を閉ざしたおいら。
しかし、その人たちを非表示にするのも言論弾圧っぽくてなんだかなーといった感じです。
やろうと思えばブクマなんて機能拡張でもアプリでも出来る。
ボタンを外すって言うパフォーマンスの意味性の方を強く感じる(知らんけど)*1。
「ブログで飯を食おうと思ったがアクセスが伸びなくて...」
と言うおっさんのブログがホッテントリしてアクセス急増したらしく
「なんでこんなに盛り上がってるのか全然判りません?!」
とテンパってたが、見えないなら無いのと同じ。
はてブと違うレイヤーに居るから見えない風景。
・twitterのid:mizchiがはちま禁止でBAN対象になった件に対し、作者kozoh氏に対して質問です - mizchi's blog
・倉部蟹子の実験室: はちま禁止アドオン、一時掲載中止について
はちまやJINなどのアフィまとめをブロックするブラウザの拡張「はちま禁止アドオン」で開発者が「はちま禁止アドオンに否定的なツイートをした」「私の発言を曲解するツイートを行い、私を陥れました」と言う過去の個人的因縁絡み(と思われる)でブロック対象リストを拡大した(と思われる)もんだからそこから延焼...詳細は上記アドレス先にまとまっている。
ブコメ欄に「どくさいスイッチだ」というのがあった。
どくさいスイッチは、「どくさいスイッチ」(てんとう虫コミックス15巻に収録)に登場する。嫌いなものをシステムとしてフィルタリングしてブロック。
任意の生物を消すことのできる、未来の独裁者が開発させた道具。消された人物は最初から存在しなかったことになる(ただし、スイッチを押した本人だけは消された人物のことを覚えている)。実は独裁者を懲らしめるための道具で、消す前の状態に戻すことが可能(元に戻す具体的な操作は原作では描かれていないが、アニメ第2作2期では黒い部分を少し回すことで元に戻せるようになっている)。なお、原作・アニメ第2作第2期ではドラえもんはスイッチを押した本人ではないが消された人物のことを覚えており、のび太が「みんな消えてしまえ」と言ってスイッチを押したときにもドラえもんだけは消えていなかった。
人間の嫌悪感をデジタルにフィードバックして再現する。
でも自分で調整も出来ない「備え付けられた誰かのフィルター」を独裁者以外の誰が喜ぶんだろう。
見なければ無いのと同じ。
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元情報部員が犯罪組織の内通者を作り上げるため、筋金入りの悪人...犯罪者を観察してその対象の印象を自分の中で変える。そして人間的に対応する事で内通者を仕立てあげる。
日本に生きてて、社会生活を送って日常生活レベルの「嫌なやつ」「悪人」なんてたかが知れてる。
誰かを殺されたわけでもない、金銭的ダメージを負わされたわけでもない。
せいぜいが「偉そうに書いてる」「上から目線だ」そんな程度の事で誰かを嫌っている。
同じ記事を見ても、誰しもが同じようには感じないし同じように読まない。
嫌いたい人間が嫌いたいものだけを見て嫌うのも勝手。
「○○が正しい」「○○が違う」ならまだしも
「こんな記事を書くヤツは嫌いだ」
記事に対しての疑念と、発言元の人格への否定はそもそもの話が違う。
「あそこはひどい」
「嫌いだ、読みたくない」
「この記事は全ておかしい。価値は無い」
「アイツの発言は聞くな」
「あんなブログ潰れろ」
人格の否定をやってみせる。
それを書いて何も解決もしない、どこにも落ちない。
それは「正しいやり方」なんだろうか。
増田に「死ぬべきだ」とか書かれたこともあるが、見ず知らずのどっかの誰かに
「ブログを書いてるから死をもって罪をあがなえ」
と言われなきゃいけないほどの何かをした記憶はない。
多分ウチのブログを読んで誰かが一家心中でもしたんだろう。
もしくはどっかの小国が転覆でもしたのか。
バタフライエフェクトまで考慮できない。
ラプラスの悪魔でも売ってくれ。
見なければそれは無いのと同じ。
箱の中の猫が観測しないまま腐ろうが、見なければそれは死んでもいないし生きてもいないし、人生にとって何の関係も無い。
ラブレター(メール)が迷惑メールに振り分けられたら読まれないままスパム判定。
わかった?