バカがわくと定期的に浮上する話題
たまにバカが喧嘩を売ってくることがある。
感じとしては、部屋でマンガを読んでるとどこか遠くで
「おらー!でてこいやー!」
という声が聞こえてくる。
気になって窓から外を見ると、川の向こうで何か叫んでるやつがいる。
ところがそいつを見たことも聞いたこともない。
「?」
何の得もないうえに、よくわからないやつを相手にしなきゃいけない言われもないから、窓を閉めマンガを読みに戻る。
いつもそうしてる。
川の向こうのそいつがどうなったかなんて知らない。
わざわざ呼ぶのは、殺しあいでもしたいのだろうか。
ブログを書いてればバカなコメントが付くことがある。
バカな意見をベースに拡散される。
ブログなどネットに何かを書き、そして多く読まれるというのは、そういうバカに読まれる機会も増えると言うこと。
当然ながら書いたことへの賛も否も生まれる。
バカにコメントを付けられたくないなら黙ってりゃあいい。
ネットに書く必要なんてない。
こんなことを書いてるオレが一番バカなんだが。
書き手にもバカはいるし、読み手にもバカはいる。
そしてバカがバカにする権利も有してるし、好きな意見を言える自由をネットでは保障されてる*1。
と言うか誰も言論統制なんてしてない。
少なくとも日本では、まだ。
だから書いた時点でどんな意見でも好きに付けりゃあいい。
それが正しけりゃ評価もされるし、間違ってりゃけなされる。
読む権利も褒める権利もバカにする権利も、誰にでもある。
書き手には、読み手は選べない。
勝手に読みに来て、勝手に文句を付けられるんだから。
自分の書いていることが正しいか否かではない。
繰り返すが、何かを書いて公開するというのは賛否を受けると言うことで、それは避けられない。
褒められるのは誰だって嬉しいしけなされるのは誰だっていやだ。
だからと言ってけなすのはおかしいというのもおかしい。
何かがおかしいからこそけなされる。
そこに燃えるものがなければ燃えることはない。
だから好きに言えばいい。
そのつもりだからこそブーメランが突き刺さってても書ける。
エスパー魔魅のお父さんもそう言ってる。
残念ながら多く読まれればマッチョにならざるを得ない面は確実にある。
そんなことも解らず正義漢気取りで叫ぶバカの相手をするほど暇でもない。
そういう奴は大概、自分だけは特権的な何かのつもりらしい。
何かを書いて公開してそれが批判されたりしてそれが嫌?
だったら鍵でもかけとけばいい。
善意に囲まれたお花畑にでも住んでるのか。
記事に批判のコメントを付けるのは許されるが、批判する記事を書くのは許せない。
その強度や反響の程度を勝手に決めてるけど、その閾値があるのかね?
誰かの批判をバカが批判すれば、それはバカ自身に突き刺さってる。
批判を批判するなら、ネットの上の批判してるやつ大小全てを潰しなさい。
その前に誰かを批判してる自分自身を批判しとけ。
自分が批判してる行為は他と違って尊いんですかね。
よくわからないけれど。
ところで川の向こうで叫んでるけれど、出て行ってなにがあるのかね?
何をどうしたいのかもわからない。
相手にする価値があるともいつも思えない。
何も得がない。
「死ね」とも書かれたこともあるが、当面死ぬつもりもない。
いつかは死ぬからとりま待っとけ。
さて、マンガでも読んでほっこりするかな。
本日も通常営業です。