読書記録をとるのなら、ブログを始めなさい。まじで始めなさい。

セレンディピティの時代 偶然の幸運に出会う方法 (講談社文庫)
読書記録をとるのなら、京大式カードを使いなさい。まじで使いなさい。 - マトリョーシカ的日常
ふーむ。
昔から手帳に憧れつつも結局続かず、数ページ書いては終わり、を繰り返してきた。
読書にしろ、昔はルーズリーフに読んだ本のタイトルを並べてニマニマしてたくらいで、そのときにも中身が~知的に~なんてものはなくて単なる娯楽ですね、はい。
で今となっても日々読書をしてるわけですが、これを「紙に書きだしなさい」「知的に繋がる」と言われてもぐぬぬと感じる。

だってこれをやっても自分は、多分見返さない。
こういうやり方が合ってる人には、いいと思うのだけれど。
読書記録ならブログをやればいいと思うのですよ、それが一番。

読書記録としてのブログ

「ブックレビュー」だの「批評」だのお手軽に言いますが、通常の読書量であれば「感想文」がせいぜい。
ただそんな「感想文」ですら書けないひとが、山のようにいる。

ブログに書くと言うのは誰ぞに読まれるわけです。
誰かに読まれる、つまり誰かに教えるように書かなきゃならない。
これはなかなか面倒な作業。

ただ「誰かが読んでも解るように本の中身を説明し自分がどう感じたかを書く」と言う行為は、自分の読書体験を整理する意味もあり、さらには誰かを想定した記事を書くことで文章力も必然的に上がることになる。
しかもその記事が上手ければ広告でお小遣いももらえてそれでブックオフで何か買えたりするわけです。
紙に書いてても自分だけしか読まないし、面倒ならやめてしまう。
でも誰かに読まれる、そしてお小遣いになる、という目的があればやる気にもなると思うのですよ。

出来れば小説の感想文を是非とも

ビジネス書なんかの感想文は山ほどあって大概が引用部と「作者はこう言ってます」みたいなので一丁上がり。
これでは文章力も読解力も上がらない。

「実用書」というのはそのものずばり「実用」なわけです。
隠されていない、すべて表立っている、裏の意味や意図が無い。
だからそのまま引用として書き写し、書いてあることをそのまま語ってやればいい。


物語、というのは後ろにテーマがある。
ですからまずあらすじを自分なりに解釈し「○○という話は、まず主人公が~」と序盤の概略を書いて、「この物語に込められた~」とその物語で描こうとしているテーマを読み説く。
どのキャラクター(登場人物)がどういう意図で配置されているかどういう役割を果たしているかを考えると作者の意図する恣意的な方向性が見える。
で、そういった物語全体から読み取れるテーマを主題に記事を作っていきます。
これを行うことで暗喩(メタファー)や物語構造を俯瞰してみることが出来る。

記録としてのブログ

人間の脳はスペックがどーこー以前に忘れる生き物。
ざっくりは覚えていたり場面場面は覚えていても全体は薄らとしていたり「あれ読んだんだけどなー、なんだっけ?」ということはしょっちゅう。
ところがブログで自分なりにその物語をどう読んだか、が書いてあればそれを読み返すことも出来るし、さらには本を読み返したときに以前の記事を読んで「うわ、こんなアホな読み方してたのか?!恥ずかしっ」と過去からの成長を実感することもできます。

そしてスマフォでもなんでも検索すれば辿りつける、というのは魅力の一つ。
EVERNOTEのようなパーソナルな空間と違ってブログはオープンなのでたとえば
「あざなえるなわのごとし 思考の整理学」
と検索してやればブラウザであればすぐに記事が見れる。
この手軽さはブログのいいところ。

書きだすことの意味

ブログで誰かに向けて書く、というのはさまざまな知識の引き出しが役に立ちます。
たとえば
オシャレピープルの小粋なリテラシーhatena - あざなえるなわのごとし
この記事であれば「一本包丁満太郎」の牛丼vsハンバーガーのエピソードを持ち出しているんですが、こういう「他の知識の結びつき」を行うことで「思考の整理学」でいうところのセレンディピティが生じることになる。

自分に向けて書くだけならそんな結びつきは必要ない。
簡単に自分にだけ解るように書けばそれで足りる。
誰かに読ませるための記事、というのはそれだけではない。
あえて何かほかの作品で例えられないか、この事象から連想するものは何か、と辿った末に過去に観た聞いた読んだ何かが結び付く。
書く前には考えていなかった結びつきが、書いている間に起こる、なんて大小しょっちゅうある。
上の「一本包丁満太郎」も書く前には何も考えていなくて「女性層を取り込むために外見、プロデュースを変化させる→雑貨、無印やフランフラン→レストランなんかでもカウンタ―よりもテーブル→カウンターは目線が合うし食べているところを見られるみたいでイヤ→一本包丁満太郎?!」
という連想で繋がった。
たとえしょーもなくても、こういうそれまでになかった結びつきを起こしながら何かしら書いてる。

PVは期待できない

大概の読書感想記事は、PVなんて期待できません。
誰もあなたの読書感想文なんて期待してません。
もちろん誰かに多く読まれることもたま~~~にありますが、ほぼ自分のためだと言ってもいい。
読書感想文は手間がかかります。
どっかのニュースを読んであーだこーだ文句を書いてる方がよほど楽。

一度本を読み、解釈し、その解釈を披露するために記事を構築する。
比喩を入れ、比較の他作品を連想したり引用し、引用部を使い、まとめる。
きっちりした記事を作ろうと思えばそれなりの手間もかかります。
とはいえ「読んだ、次」という読み方をするよりは、一冊の作品が、読書体験がそれなりに昇華しているように感じる。

まとめ

今やフロー型のTwitterやクローズドコミュニティのFacebookがもてはやされるわけですが、だからこそ不特定多数に読まれ、ツイートと違いそこに残り続けるブログで読書記録を書くことでその記録に意味が出ると思う。
もちろんEVERNOTEに書いてもいいけれど、それだと書いて終わりになってEVERNOTEいっぱいに詰まったゴミのようなライフログと共にまぎれるだけ。

アナログで紙に書くのがいいのだ―!というひとにデジタルの方がいい、と主張しているわけではなくて、だったらブログを始めてみるのもいいと思うのです。
アナログが続かなくてもデジタルなら続くかもしれないのだし。

読書記録としてのブログならPVを気にしなくて済むのも良いところ。
書くことが目的なのだから、それ以外はすべて付随でしょう。

ですからね、ブログを始めてみるのはどうですかね。


【関連過去記事】
外山滋比古「思考の整理学」に見るライフハックの原型 - あざなえるなわのごとし
思考の整理学 (ちくま文庫)