人生にとって一番いい「読書」

乱読のセレンディピティ

読書についてまとめてみました。礼賛やら効能やら。 - きまやのきまま屋
※リンクを張りますが批判ではありません(ただし齋藤孝に対してはその限りではない)


読書が知的な行為であるか否か、なんて言い出せば「知的な読書」なんてほとんどしたことがない。

学生時代は月に数十冊読んでたわけだけどほとんどは駄本であって、だからよく部屋で小説なんかを読んでると「本ばっかり読まずに勉強しなさい勉強を!」と怒られたし、だから「読書」は自分の中では教科書以外は昔から知的な行為とイコールじゃない。

「読書」という特権的な行為

ホメロスが書いた「イリアス」というトロイア戦争を描いた本がある。
叙事詩というのは歴史を伝えるべく過去の事象を物語として残した物語。
現代それを読むのは「過去を学ぶ」ことにもなる。

当時読書は誰でもおこなえる行為ではなく一部の選ばれた人間のみが行えるハイソや学者の特権的な行為。
同じ本でもハイソが読めば「娯楽」で学者が読めば「知的な行為」。

この「イリアス」を読むと言うことは
「知的な読書」
なのか、それとも単なる
「娯楽としての読書まがい」
なのか。

情動と知性

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読書の「娯楽」と「知的」の差は何か(齋藤孝の言うところの)。

娯楽とは、読者の情動を動かすために仕組まれたコトバによるプログラム。
コトバによりキャラクターを配置し、虚構の上でそれを動かすことで読者に追体験させ読者の情動に働き掛ける。
世界を構築することで読者の脳内に物語を再現させ暗喩的に教訓や意味性を持たせる。


知的とは、書き手がその知識や経験則、データなどを記載したデータベース。
自分の知らない知識が書かれ、それを読むことで新たな知識や気づきを得る。

「情動」を動かす読書は「娯楽」
「知識のツール」としての読書は「知的」


しかしコトバを積み上げ出来上がった娯楽である「物語」というプログラムを動かすには「想像力」「空想力」というOSが必要。
作家が自分の脳内に築きあげた物語世界をコトバにエンコードし「小説」として記載する。
読者はそのコトバを読み脳内でデコードし、「想像力」「空想力」というOSの上で走らせる*1


「知識のツール」を蓄え幾ら「知的」になろうと得られないモノが、単なる「娯楽」でしかない読書に存在してる。
データベースを参照するのに「想像力」「空想力」は必要ないし鍛えられることはない*2。ビジネス書を読んで暗喩を考えたり、メタな視点を持って読みふけったりしない。
だからツールばかりあふれ、一面的な視点しか持たず使いこなせない「想像力」「空想力」に欠けた社会人が、補おうとキャリアポルノに走るが得られず、やがてその「知的な読書」が娯楽になる。

人生の一冊

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京極夏彦の「書楼弔堂 破曉」に弔堂と言う書店が登場する。
書店主曰く
「人が生涯に巡りあうべき一冊。相応しい読者に書物を引き合わせる」
それが弔堂なのだという。
そして迷える客がそこを訪れその「一冊」に出会う。


普通は、その一冊が解らない。
だから雑食に読む。


別に「読書」が娯楽だろうが、知的な社会人の自己形成だろうがそんなもんはどうでもいい。
読んでみて自分の知的な好奇心を満たしてくれたり、感動したり、興奮したり。情動だろうが知性だろうが自身にとって一片の意味でもあればそれは有益と言えるかもしれない。

まとめ 人生の無駄と読書

「娯楽としての読書」は無駄なので「知的な読書」をしよう、とのたまう方もいる。
読書はすべて知的ではないのだ、と。
有益な読書、無駄のない読書体験をしようと。


でも無駄になるかどうかなんてわからない。
「○○を読んでいない人生」「○○を読んだ人生」
その両方を確認できない。

「無駄」って何にとって無駄なのか。
小説は「仕事」とか収入には無駄だろうけど「知識」「快楽」「人生」「人間性」「空想・想像力」「人としての成熟」に対しても無駄とは言えない。
「知的」なんて耳心地はよいが、人間が脳で考え行う行為は大半が「知性」をベースに行ってる。

学べない読書には、意味が無い。

いや、そうじゃない。

読書から学べないから、お前にとっては意味が無い。
読書から学べないという、お前の読書には意味が無い。
「読書」自体は同じ。

ところで「意味」って必要なのか?


休日に出かける。
太陽の下、空にはところどころ薄い雲がかかっていて日差しもそんなに強くない。
コンビニに寄って軽食を買い、公園へ向かう。
ベンチに座り、甘ったるいコーヒーを開けて少しだけ飲み、持ってきた読みかけの小説を開く。
連続殺人。童謡の歌詞に見立てた新たな犠牲者の死体。
犯人は執事ではないかと疑いながらページを繰る。

実に無駄な休日の過ごし方。
多分、これから思い出すこともない、死ぬ間際にも覚えていない一日。
でも、それが積み重なっていつか人生は終わる。
効率的に知的に、そんな意味もいつかはなくなる。

だったら今、連続殺人の犯人を考えるほうを選ぶ。
もちろん効率的でも有益でも知的でもない。

それでも人生はそれなりに満喫出来てる。
その読書が有益かどうかなんて自分が決めればいい。
人生で学ぶべきなのは「知的」なことがらだけじゃない。


とても無駄で、無意味で、知性の欠片もないロックを張っておきますね。

スラッシュ禅問答 筋肉少女帯 - YouTube


きまやのきまま屋さんに「ペナンブラ氏の24時間書店」の詳細なレビューが載るのを待とう(遠まわしにリクエスト)。

その前に「HHhH」も読みたいが…。
どちらにしろ今の積読を解消しないと何ともな。
ペナンブラ氏の24時間書店

*1:もちろん人間はデジタルではないのでデコードしても同じ情報ではない

*2:あくまで比喩表現なので「データベースだってDBMSがあるだろ!」みたいなしょーもないツッコミ不可。そこじゃない