ドロップインとしてのヤンキーのロック、ドロップインしない田舎のラッパー

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

長谷川 ロックで「ドロップアウト」を歌うってことにも矛盾があるんですよ。「ドロップアウト」を歌って人気者になると、打破しようとしている資本主義社会の成功者になっちゃう。所詮は商業音楽ですから。

大和田 その矛盾を真面目に考えすぎるとジム・モリソンやカート・コベインみたいに自己破壊に向かってしまうということですね。

(中略)

大和田 以前、菊池成孔さんが、ロックとフォークは自殺ばかり考えていて、ラテンは他殺のことばかり考えていると言っていて、この図式で言うとヒップホップも完全にラテンですよね。

『文科系のためのヒップホップ入門』を読んでいると上記の言及があって、これはなかなか示唆的に思える。
ロックという音楽が内省的で社会からのドロップアウトのベクトルを持つのに対して、ラップと言うものが社会(アメリカ)の外(貧困層)からドロップインするための音楽であって、だからドロップインのラップは成功すれば金のアクセサリーをジャラジャラつけ、プールサイドで女性をはべらせ高級車に乗る。
アメリカンドリームという成功を掴むためのドロップイン(経済的成功)としてのラップという音楽。
そこに音楽自体が本来持つベクトルと矛盾は無い、と。
反対に社会にいながら内省的に社会のレールを否定するロックは、成功することで矛盾を抱え、だからカート・コバーンは自殺し、レディオヘッドはシングルCREEPがヒットした後で『THE BENDS』(潜水病)という人気が出たことによる息苦しさを表現し、トム・ヨークはインタビューで「ロックなんてクズ音楽じゃないか」と発言する。

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日本のロックというのは、そういう音楽本来のイデオロギーだったりを取り去りポップソングとして昇華している面もあるのでドロップイン・アウトという側面は見えづらい。

日本の社会でドロップアウト、インをイメージさせる反社会的な不良……暴走族やヤンキー。
不良(ヤンキー)=ロック、という形式が当初使われ、キャロルから矢沢永吉が成功を収め「なりあがり」を言い、ギターウルフがその様式美を引き継ぎ再現している。

キャロル グッド・オールド・ロックンロール - YouTube
ロックンロールでの成功→ヤンキーから社会でのなりあがり。
ヤンキーが目指すべき成功形。


これは海外のラップと同じ構造だけれど、しかし日本のラッパーが必ずしもドロップアウトからのドロップイン、では無くてサブカルと強く結びついていたり(バラいろダンディの宇多丸や、スチャ、近田春夫タモリ倶楽部に出演……など)いわゆる「田舎のヤンキー」ではなくいわゆるDQNと呼ばれる近代の都会的な不良イメージをまとっているのも面白い(なので田舎の農家でラッパーを目指す『サイタマノラッパー』は元々ドロップインの方向に違和感があるのかも知れない)。

ビブラストーン 宇宙人 - YouTube
『文科系のためのヒップホップ入門』はまたいずれ。


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