「詰んでいたのだ……始めから」

HUNTER×HUNTER 27 (ジャンプコミックス)
今さら撮り貯めてた「HUNTERxHUNTER」を週末一気観した。
既にマンガで読んでいるとはいえ、アニメとしてネテロvsメルエムの一戦を観返していると、「HUNTERxHUNTER」の中で、あのネテロvsメルエムの一戦が特殊なのがよくわかる。


※今さら感
「HUNTERxHUNTER」は、ゲームをテーマにしている。
一定のルールがあり、その上で競い合う。
あるいは相手のルールを見つける。
相手の能力がゲーム、そのルールと攻略法を見つける。

ゲームだから、相手と語りあいわかりあえもする。
同じルールの上でお互いに同じ制限された手札、手段で戦う。
だからメルエムとコムギは種族を越えて解りあえる。
同じ制限の中で死力を尽くし戦うからこそお互いの気持ちが通じ、だから理解しあえる。


ところがメルエムとネテロは違う。
ネテロにとっての命がけの攻撃はメルエムにとってのゲームでしかなく、ネテロが人生をかけたその百式観音もネテロの表皮を傷つける程度のダメージしか与えられない。
産まれて数日の才能が、命を削る努力を圧倒的に上回る。
そして、そんな努力を積み上げた凡才ネテロが、生まれつきの天才メルエムに勝つためにはちゃぶ台返し、ゲームそのものの無効化、反則行為ともいえるミニチュアローズを使うしかなかった。
それは攻略法もなにもない。
ネテロが死ねば発動するちゃぶ台返しは、人間がアリという「害虫」に対して行う(これまでに行われた)順当な行いで、そもそもアリと人が解りあい通じ合うと言う価値観は持ちえないし、人に害をなす存在を滅ぼすためならどんな残酷な手段でもおこない駆逐する。

人は生きる上で他者を殺害し、その存在を永らえている。
野菜や果物を栽培し、それにたかる虫を「駆除」しているが、それら虫は命があり生きるために食べているわけで、しかし駆除しないなら虫がたかった食べ物を口にしなければならない。
人間が生きる上で他者の殺害は逃れ得ないしだから仏教では「業」と言うシステムを作った。

ネテロは人間、メルアムはアリ。
人間が害虫を薬品で駆除し、踏みつぶすのに躊躇や同情はない。
同情していれば家は穴空きにされ、食糧は食いつくされる。


人と人の戦争。
かつては騎士道にのっとり従者をしたがえ、騎士は槍を構え馬を走らせた。
また「やあやあ我こそは」と名乗りを上げ、カタナを振り上げ一対一で刃を交える。
捕虜として捕まえた敵をすべて滅ぼしたりはしないし、そういう行いを行った王や国は周囲から糾弾される。
大量虐殺の代名詞である戦争にすらルールはあるし、だから虐殺を行ったヒトラーは後の世まで否定され続ける。


しかしキメラアント討伐は、人とアリの戦争で、主人公らの行動は根本的に害虫駆除。
メルエムがいかに解りあえる相手であっても、人間として大人としてネテロは同じ盤上でゲームを行い負けるわけにはいかない。
老人と子供、努力と天才、人とアリ。
アリと人が解りあい話し合う未来、それはない。
メルエムが幾らゲームのつもりでも、ネテロは初めから同じ盤の上でゲームをする気など無かった。

「詰んでいたのだ……始めから」

人としての記憶を残した状態で転生するからキメラアントの残党は生かされる。
しかし人類の敵となる「害虫」のままならいずれ駆除されるしかない。

盤上の夜盤上の夜
宮内 悠介

東京創元社
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ゲームは、現実の鏡。
ルールのある平等な戦争、モラトリアムのセカイ。

盤上に世界の縮図を再現し、プレイヤーは互いに同等の範囲でそれを行う。
白石と黒石を持っても、先行後攻の有利差が出ないようにコミが設定される。
ゲームは平等。

しかし現実世界はそうではない。
現実世界の争いは平等幻想のお花畑遠く、局地的に敗北であろうが残酷で悪意に満ち、反則でも最終的、大局的に利益を得るのなら勝ちになる。
メルエムが幾らゲームでの勝ちにこだわろうがネテロには関係がない。
ネテロの後ろには人類社会があり、大人であって、平等に戦い争う気などさらさらないし、そのために貧者の薔薇を使うこともいとわない。
メルエムにとっては「相手に参ったを言わせるのが詰み」かもしれないが、ネテロにとっては「何があろうと害虫は駆除する」という思いしかないし、同じルールでないならゲームは成立しない。
「わかりあう?なにそれ美味しいの?」と中指を突き立てる。
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