アナタのはてなと、わたしのはてな
「大きな主語」の話 〜 「みんな」「世間」って何のこと? - ぐるりみち。
最近TWITTERを見ていて「はてながー」「はてなってー」「はてなはー」と呟いているアカウントをちらほら見かけたりして、もうお馴染みの方々はアレとして、そうじゃなくてここ数カ月くらいで見るようになった方々(仮に”新規”とする)が「はてながー」「はてなってー」「はてなはー」と呟いているのをみると、多分あのひとたちの言う「はてな」とお馴染みの方々(仮に”重鎮”とする)の「はてな」は全く違うものだろう。
Misunderstanding
”新規”の方々がブログエントリーを書き、コメント欄を覗いてみると、いつも同じようなメンツが顔を揃え、お互いのブログであーだこーだやっていて、記事の中身はギーク的なものではなくどちらかと言えば俗に日常雑感系とか呼ばれ「もうそれ何周目ですか?」「え?11次元じゃなく今さらニュートンの林檎??」とツッコミが入ってしまうようなモノが多く見受けられる。
つまり「生きるとは何か?→日々頑張ろう」みたいな構造。
あるいは「はてな民は広告クリックしない」「当ブログのPVと収益公開します」みたいな勢力は、ギークな面がなくマネタイズとPVが主であって、主に「暮らし」で日常雑感や簡易なまとめでキーワードを蓄え検索流入を増やし「テクノロジー」でブログ論などを語りテクニックを披露。
記事の強度を問わずなぜだか毎度のようにホットエントリー入りを果たし、コメント欄は納得の「参考にします!」「勉強になるなー」「さすがです!」などこれまた”新規”の方々のコメントが並び、追従する無言ブクマが並んでる。
別にそれが悪いというのではない。
「ブログの外に出よう!」「セミナーに参加しました」という方々の目的、ゴールは「マネタイズ」「名声」「出版」などで、ブログは単にツールや過程に過ぎないのかも知れない。
知らんが。
ライフハッカー勢もいる。
自己啓発書、ビジネス書、「○○に読ませたい10冊」だの。
どこか他のブログサービスでやってて、記事の最後に「メルマガを購読しませんか?」記事を書いてた方がはてなで開始した。
筋金入りの自己啓発系商売人なので、コンテンツのストックは多いし、方法論も出来上がってる。
それならあえてはてなでやらんでもいいかなーとは思うが、そういうひとらにもホテントリの初速は魅力的なのかもしれない。
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”重鎮”らからすれば「何周目やねん」「またライフハックかよ」ですから。
とはいえ「どれが本物のはてなか?」と言うことではなく、リンク先にあるように主語と言うものは、観測範囲により異なるわけで決して総体を指しえない。
概念や観念でしかなくどれも本物であり、どれもニセモノと言うクオリア。
AFamilyAffair
よく「内輪ネタがホテントリしてるとウザい」みたいな話もあるんだけれども、この内輪も要は話題の対象が誰なのか?に依るわけで、”重鎮”が揉めてると言うネタと”新規”が揉めてると言うネタで、前者は「恐ろしい恐ろしい」「はてなはメンヘラの巣窟。この記事をプリントアウトして」などテンプレのコメントがドロップされ盛り上がっても、後者は「誰?」のツッコミがまず入り「内輪ネタホテントリさせんなよ」とコメントが書かれ増田で言及される。
「内輪」と呼ぶときの「内輪」の範囲が異なるわけで、その「内輪」が(意識として)自分を含むかそれとも含まないかで印象は変わる。
そりゃあコテハンの保持歴が長いほど「内輪」のサークルは広い。
NetWatcher
「ヲチ」と言うときの観測範囲だって当然異なってる。
「コウ○リってさぁ」
「○んじんの」
と言うひとのヲチと
「また宇野常寛かよw」
「バイラルは学習しなさすぎ」
というひとのヲチは当然異なる。
泥船には一緒に沈まないよう触れない距離感を保つ、
行為と対象を切り離して認識する、
自身を投影し過ぎない。
観念的に切り分けを行う、メタな視点を保持する。
そう言う感覚がなくてもヲチと自称できるししてる人もいる。
それがヲチかどうかは定かではないけれども、
知らない。
その辺は、頭じゃなく感覚だろう。
HatenaCaste
はてな村の上位層だとか下意層だとか、「オレははてなの上位層だから、下位層のヤツと絡むとその程度だと思われるからやめろ」だとか、あるいは影響力だとか、そう言うワードを聞くと確かに誰かの脳内にはそう言う順列みたいなスモールワールドが根を張っていて、依存度が深いことを示してる。
それにしても「はてなの影響力」ってなんだろう?
多分そういうモノを持ってる(と思っている)ひとは
「行け!我がしもべのブックマーカーどもよ!Disコメの雨を降らせヤツを村から排除するのだ!!粘着増田攻撃も行え!」
とか出来るのかもしれない。
まったくもって見たことないけれど。
高知のトマト大使がかつて言っていた「影響力の魔法」とか言うやつかもしれない。
知らんが。
IAmTheRessurection
「はてなはてなってバカじゃね?もう病気だろwwwそんなもんに固執してる連中キモいw」
と後ろ足で砂をかけてBYEBYE hatenaと言い残しどこかへ去って行った方が、なぜかある日突然ブクマ欄に登場したり、素知らぬ顔でブログを再開したり、はてなを語りだしたり、あーいうのはよくわからないが、それこそ病気だと感じるのは何だろう。
はてなはてなってバカで病気でキモいとバカにするならキッパリ辞めりゃあいいものを。
帰ってくれなんて頼んでない。
それこそキモい。
はてなにツバをかけ、すぐにはてなに戻り、他人には「自分を批判するな」といい、舌の根も乾かぬうちに平然と誰かを批判できる、あのエゴで溢れるダブスタ・クラスタ脳(そしてそれを読んで評価できる感性)は、人間の意志をネットに送る研究よりも前に専門機関が研究してみるべきだと思う。
Maelstrom
ネット社会における承認欲求を「気持ち悪い」と感じるところは、以下の点に要約される。
- 現実社会の文化的権力装置としての「承認欲求」の可視化
- ネット社会における親密圏と公共圏の境界線の曖昧化
- その公共圏への大衆参加と承認・罵倒の構図
- 多数意思を公開の場で表明して実現することが正義であるという風潮
ネット社会の全体主義的な風潮の可視化が「気持ち悪い」と感じることの源泉であり、その極北にあるはてな村の不気味さであると考える。
ディストピアの可視化を忌避しているのだ。
当記事の話はネトクラ氏記事の「親密圏と公共圏の境界線の曖昧化」などに近しい。
一時期の「うちらの世界」や「内輪ネタヘイト」などは、この境界の曖昧さと認識の齟齬によって生じる。
先日、某一部エゴクラスタ圏の”新規”Aの内輪ネタがホテントリし、それに対して違和感を表明した日常雑感系”新規”Bの記事が書かれ、さらにそれにAがキレてツイートする、などと言う泥仕合が行われもしたが、アレにしろこの「親密圏と公共圏の境界線の曖昧化」であって、AとBは双方ともに”重鎮”からすれば同じ”新規”(もしくは興味すらない観測範囲外)なのだが、しかしAとBからすればそれぞれに観測範囲は違う圏域に属し、お互いに「はてな」「内輪」と思っている概念は異なる。
ネット上は簡易な親密度発生装置であって、たとえば誰かが自分のツイートをRTしたり、記事をブクマして好意に準じたコメントを寄せられればそれなりに親密さを感じるし、反対にフォローしてもフォローを返されず、メンションを飛ばしても無視されればそれだけで親密さを感じない。
たかがツイート一つ、コメント一つのことでも親密さは増減する。
ツイッターでフォローされたのでメンションを送ったが無視される
→→ただの観察対象としてフォローされた?
などなど、こじらせがちなので結構めんどくさい面もある。