本当に怖いのは、自分は被害者だから自分はすべて正しいと信じて疑わない人間
自分は被害者だと信じて疑わない精神こそが無敵だという話をします。
ちなみに一般論ですから内輪ネタではありません、きっと。
既視感があったとしても気のせいです、きっと。
きっと。
諸注意
まず最初にお断りしておきますが誰が何をどうしてようが知ったこっちゃございません。
誰が誰を好きで、誰が誰を嫌いでも結局はネットの上の他人ごと。
好きなだけ殴り合い、精神を減らし合いすればよろしい。
ただ目に入ると気持ちのいいものではない。
特にやり口が汚いと。
やるならキチンとやれよ、と思うわけです。
とはいえ手段はどうあれ無益ですが。
争いは目に入ります。
ネットと言うのは書きこんだ言葉が残りますから「アイツがあんなことを言った」ではなく
- こんな風に言ってる →http://~
- つ 魚拓
と痕跡を示すことが出来ます。
ある意味、自分に有利な証拠を残したモノ勝ちと言う側面は否めません。
ですから、すぐ揚げ足取りになってしまいがちです。
残念ながら。
闘いの作法
photo by David Rosen Photography
たとえば、気に入らない発言に対し暴力をふるうのは筋が違います。
気に入らないことを言った→殴るのは意味がありません。
決して大島渚のことではありませんが。
ネットで発言があり、発言自体に対して何かしらの反論を立てる、という議論が求められます。
現実での暴力に相当するのは、ネットであれば「個人攻撃」「人格批判」。
「○○と言うことを言っていたが、そうではなく××こそが~」
という議論ではなく
「○○と言っていた、アイツはキ○ガイだ」
「アイツはバカだから聞くまでもなく全部的外れだ」
など言う。
その発言者を貶めることを行えば、それは筋が違う、と言うことです。
それに根拠があろうが無根拠であろうが同じこと。
暴力正当化への伏線
世の中には、なにがなんでも自分が被害者で相手が加害者、だから自分は正しい、と考えたいひとがいる。
自分が被害者ですから相手は、常に悪で常に間違っている。
被害者は弱者ですし加害者は強者ですから、弱者は何をやっても許される。
(本来は許されるとは限りませんが、それを言うひとの中での正当化の理由になります)
なのでまず自分のことを下げます。
たとえば
「弱いひとが「弱い」と言う理由で叩かれる空気が怖い」
と言ったことを口にします。
よく解りませんが、自己の正当化・弱者化です。
自分も弱者であり弱者の気持ちは解る、と言う設定を行います。
自分は無辜の人間なんだ。
弱くて被害者なんだ。
悪いことなんて何にもしてないのに。
→だから攻撃してもあてこすっても、何を言っても許されるし正しい。
→なにせ相手は強いし悪いし間違っている。
この伏線があれば「弱い自分の敵=強い悪」という無条件な構造が形成されます。
無敵モード
「お前の言っていることはおかしい」
「それは人格否定だし個人攻撃だ。誹謗中傷じゃないか」
本来そんな風に言われてしまうことが、そのひとの中で正当化されます。
「嫌われる勇気を持つ人は強い」とか「人を批判する人間は最低だ」と言いながら、誰かを平然と批判し、自分が嫌われることは許せない。
自分が言ってることが矛盾していようが、ダブスタであろうが、個人攻撃だろうが、人格否定だろうが、破たんしていようが関係ありません。
つまり無敵モードです。
無敵モードのときは平然と相手を攻撃します。
なにせ相手は弱い自分をいじめる「悪」です。
ネットの上で意見が食い違うとき「正/誤」になることはあっても「正義/悪」になることは、なかなかありません。
どちらにも事情や思想がありそれなりの倫理・論理もあります。
ところが無敵モードの人にとっては、相手が悪ですから
「キ○ガイには関われば負けなんですよ皆さん!」
「てめぇなんて相手にしてねーんだよクソが!」
「は?そうやって否定ばかりして。証拠もないバカのクセに」
↓
つ証拠
↓
「こういうひとのせいで今の日本はダメになってるんです!」
などという方もいる。
実に怖ろしい。
正義と悪ですからそもそも話を聞かない。
通じない。
論理的なコミュニケーションが取れない。
いきなり相手をけなす、なじるところから始まります。
あるいは、自己の正当化と被害者であり弱者である主張に終始して、事情を知らない周囲から自分の正しさを認めてもらう、あるいは慰めてもらう。
そうすることで自身の正しさを確立する。
言っていることがコロコロ変わる。
キレイな言葉ではぐらかす。
痛いところをつっこまれると無視する、流す。
ブーメランなんて気にもしません。
なにせ無敵ですから。
論理ではありません。
小学生の「泣いた方が勝ち」レベルの話です。
少なくともそれなりに成熟した人間がやることではないでしょう。
まとめ
ボクはとても弱い人間です。
いつも震えながらキーボードを叩いていますし、idコールが来れば少し漏らします(てへぺろ
冷や汗を流しながら強がってブログを書いています。
ボクのような弱い人間にとって、怖い人たちの書く言葉は心に突き刺さってきてガタガタ震えてしまいます。
遠慮のないキツイ言葉も怖いですがさらに怖いものがあります。
薄っぺらい美辞麗句、甘言、巧言、ひとを騙す言葉を操る。
心なんてこもっていない。
その言葉は、単なるツールでしかありません。
キレイごとを喜ぶ弱いひとの心につけいるための手段でしかない。
中身のない言葉を使うひとこそ、本当に怖い真の「悪」なのです。
楽園の蛇も、甘い言葉でたぶらかし知恵の実を食べさせたと言います。
ネットとは、一見綺麗な言葉ほど警戒すべき場所なのです。
自分を肯定したいがために、あえて周囲に自分を否定してみせる人は
「攻撃力0、防御力100、賢さ0、狡猾さ10,000、呪い属性」
みたいな異常にアンバランスなステータスになってしまうので注意が必要かもしれない。
平然と自身が弱者のフリをして周囲を同情を買い自身を正当化する。
そういう心の深淵までどっぷりと暗い「悪」の人間は、本当に怖ろしい。
ボクなんかにはどうしようもない。
対処はひとつしかありません。
それは近づかないこと。
そういう邪悪に対して関わらないことこそが正しいのでまっしゅ(ry
意見を戦わせるのではなく、中傷や殺し合いなら見えないところでやっていただきたいものですね。
とても見苦しい。
まぁ、一般論ですが。
こちらからは以上です。
ps:ただし悪は相対的であるために、悪と言われるひとが悪でないとは必ずしも言い切れないし、決めるなら当人で最終戦争でもやればいい。
もしはてななら、そのときは「はてな村奇譚 特別篇」でも描いてもらえればいいでしょうね。
くわばらくわばら。