「妖怪ウォッチ」でよみがえる妖怪システム
妖怪ウォッチのアニメの中で「スティーブ・ジョーズ」っていうプレゼンが上手いサメの妖怪が新型妖怪ウォッチの発表する回あるんだけどiWatchの伏線だったのか。 pic.twitter.com/dJkDeh8bPW
— ぴーぽ (@_xxpo) 2014, 9月 9
ポケモンの時点で既にピカチューとミューツーくらいしか解らないのに妖怪ウォッチはもはや諦めてる。
独身男には、縁も覚える必要もない。
Appleのイベント見てたから眠くて眠くて。
このアニメを家族で見ることが多くなってから、子ども達がコップの水をこぼしたり、息子たちが宿題をしたくないとごねたり、私が疲れや仕事のストレスでイライラっとしていたり、夫と口論になったりしたりと家族の中で何か嫌な空気が流れた時、誰彼とも無く「妖怪のせいじゃない?」と口にすることがたまに出て来て。なんだかそれを言われるとプッとおかしくなって「そうかもね、妖怪のしわざかもね」とその場が和む、ということがおこるようになりました。
妖怪のせい、これ、よく考えたらすごいことだなと思うのです。
こちらが書いてらっしゃることは、かつての妖怪と言うシステムまんまなのですが、民俗学とか多少なりとかじっていれば「妖怪のせいにするのがすごい?んー、もともと妖怪ってそういう機能だし」と本来の使い方をしている先祖がえりの逸話なんだけど、考えてみれば世間的に妖怪とは何かというのが今一つわかって無くて
「水木しげるの描いたキャラクター」
とか思われていたりするとそれはそれでおかしい。
キティちゃんとキキララと鬼太郎を並べて「全部キャラクター」って理解はちょっとしんどい。
水木しげる翁の尽力で妖怪が今の時代まで知名度を保ち生き延びているのはすごいことなんだけど。
妖怪とは何か
今更ながら妖怪ウオッチを初視聴、ジバニャン可愛いですね、見るまでずっとこんな感じのキャラだと思ってました。 pic.twitter.com/jmIGkjUg5R
— 蜷川ヤエコ モノノ怪海坊主編発売中 (@ninayae5) 2014, 9月 7
まずWikiから引っ張ると
日本の集落や家屋にみられる、自然との境界の曖昧さによる畏怖や、里山や鎮守の森のように自然と共にある生活が畏敬や感謝になり、当時では解明できない自然現象・物や人に対しての畏怖など妖怪は、これらの怖れや禍福をもたらす存在として具現化されたものである。「神さび」という言葉に代表されるように、古いものや老いたものは、それだけで神聖であり神々しいとされてきた価値観も、妖怪(九十九神)が古い物や長く生きた物の憑き物という解釈と重なる。そして、現在では妖怪の存在の実証はされておらず、科学が未発達だった時代の呪術的思考の産物や迷信とされるが、日本人の心や思考のあり方を表す一つの事柄でもある。
とある。
科学がまだ神を殺していなかった時代。
自然に囲まれ、闇深く、ひとは自然に対して畏敬の念を抱き八百万の神や妖怪をそこに見ていた。
謎や、不可思議な状況、現象。
そういった「わけのわからないもの」
「わけのわからないもの」を「わけのわからないもの」として置いておくのは具合が悪い。
人間はいつの時代も「○○だからだ」という答えを求める。
殺人事件が、起きれば犯人に動機を聞くように。
それが正しいか否かではない。
「○○だからだ」という答えがあればひとは受け入れることが出来る。
それが「妖怪」と言うシステム。
「わけのわからないもの」=妖怪のしわざ
人が納得するためのシステム。
何かあっても「あぁ、これは妖怪の仕業なんだ」と納得できる。
【ジバニャンとヒキコウモリ】突然ヒキコウモリちゃんがちっこくなったヨ! pic.twitter.com/nyByNJfxLu
— 結 (@usy_aun) 2014, 9月 2
言い訳して逃げる子になるんじゃないの?という点についてなのだけど、とりあえずアニメの中では起こってしまった問題から逃げることは出来ないように見えます。というのは妖怪の存在そのものは主人公のケイタくんにしか見えてないから。
他の登場人物には妖怪は見えてない。(特別なケースはあるみたいだけど)だから、起こっていることも妖怪のせいには出来ないんですね。結局、なんだかわからないうちに解決してたってこともあるし、ケイタくんがやっちゃったこととして謝ることになることもある。
起こってしまったことについて免責はされない、でもそれによる人格の否定はされない。
これ、当たり前のようで意外と難しいことなんですね。
「○○のせい」と原因を他所に求めることでコミュニティや関係性の安定を図るバランサーとしての妖怪と言うシステムは長い間使われてきた。
妖怪のせいだから責任を問えない。
妖怪のせいだから仕方ない。
妖怪がやったことだから納得しよう。
原因をあいまいにすることで関係性を維持するクッションの役割。
それが本来の「妖怪」
ときには「神」
ときには「仏」だった。
理不尽でも「神の御意志」という名分で納得し、「仏さまが見ていらっしゃる」と行動を律する。
科学万能
水木しげる先生の絵柄でジバニャンを描いてみました!! pic.twitter.com/KatdY3Pjao
— EO(東方紅楼夢 く-10a ) (@EODAYO) 2014, 8月 27
闇に光を当て照らしだし、科学は妖怪も殺した。
すべては論理的に解明できる、妖怪なんて存在しない。
代わりにコミュニティは緩衝材としての逃げ場を失った。
抽象的な原因になりうる人柱、人身御供、受け入れ先のブラックボックス。
ハッキリ論理的に理解でき、原因が見えることは、必ずしも幸せとイコールではない。
明確になることでさまざまなコミュニケーション不全も生まれた。
知恵の実を食べることで楽園を追い出された逸話が旧約聖書にあるが、あれにしろ知性は人を不幸にしている。
お互いに言葉が通じ合うからこそ建てることのできたバベルの塔は、神の逆鱗に触れ崩れ去り、人間はお互いに言葉が通じないようヨハネに乱され、コミュニケーション不全から戦争を起こし人と人で争うようになった。
福田:今の日本についてはどういうふうに思われますか?
水木:今の日本は、やっぱり“結構すぎる時代”じゃないですか? 結構すぎるから、これから結構を制限して、ずっと結構が続くようにしなくちゃいかん、ということじゃないでしょうかね。
福田:妖怪の存在というのはやはり大事なものなんでしょうか?
水木:妖怪というのは、すべて目に見えないですよ。
福田:そういうものっていうのは、やっぱり大事なものなんですかね?
水木:やっぱり妖怪が誘うから見えるのかな、よく分からんけど。だから今、妖怪に遭遇したりなんかあんまりしないっていうことは、妖怪を見るような迫力のある生活じゃないからじゃないでしょうかね。もう満ち足りた生活だから、妖怪を見ないんじゃないかと思います。だから足らなくて不足して欲しくてたまらんていうような時に、やっぱり妖怪を見るわけですから、満ち足りた時は別に、妖怪はそれほど必要じゃないんじゃないですかね。
福田:今はみんな極楽だとおっしゃる。同時に現在、妖怪っていうのはどういう意味を持つんでしょうか?
水木:だから一昔前の妖怪は今とは別な意味を持ってたもんですよ。あの恐ろしい、いろんな妖怪っていうのは、本当にやっぱりいたような残酷な時代っていうのはずっとあったんじゃないかと。ごく最近じゃないですか?残酷さがなくなったの⋯ 。生きるっていうことは残酷だったんじゃないですか、昔は。今は何でもないようだけど、昔は残酷だったと思います。
妖怪ってのはひとの悪意や理不尽を受け入れる器でもある。
水木翁の言う「もう満ち足りた生活だから、妖怪を見ないんじゃないかと思います」と言うのは確かにそうなんだけれど、しかし上記記事にあった子供らのように「妖怪のせいにすればうまくいく」と言うのは裏を返せばやはりそういうシステムは現代でも機能するのだし、それがない今の時代はだからこそ上手くいかない部分もある、と言うことでもあるのかも知れない。
口碑、口伝
災害と妖怪――柳田国男と歩く日本の天変地異 | |
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畑中「民俗学では民間伝承のことを〝口碑〟と呼ぶんです。口伝えの碑、ですね。石碑を建てるのもひとつの方法だけど、こっちは口頭で伝承していく方法ですね。子供に対して「津波が起こったら、あの高台に逃げなさい」というような教訓を、過去の災害を物語にして語り継ぐやり方は、日本では一般的に行われてきてるんですよ。その際、民話的な物語にすれば、単に教訓や格言にするより、もっとイメージしやすい形で伝えていけるし、物語が長い年月をかけて少しずつ少しずつ、それ自体が文化になって残っていくのではないかというのが、民俗学の考え方なんです」
(中略)
──例えば、津波に関係する妖怪っていうのも存在するんですか?
畑中「そうですね。津波に関わるものでいったら〝白髭水〟と呼ばれる妖怪がいますね。〝地震の後に海の向こうから白い髭をたくわえた、もしくは白い髪の翁が波に乗ってやって来る〟っていうような語り伝えで、〝地震の後に遠くから高い波が押し寄せてくるのを注意して見ておかなければいけない〟という意味の教訓として庶民には共有されてきましたね」
わらべ歌やいい伝え、と言うのは口頭で次世代へと知恵を伝えるための試みだった。
文字や書いたものが失われればそれは無くなるが、人から人へ広がり伝わり続ければ残り続ける。
神や仏は権威を無くし冠婚葬祭や受験のお守りくらいしか出番がなく、妖怪は時計とスタンプラリーと子供のおもちゃになっているとしても、そのシステムが機能すればそれは上手くいく。
本来のシステム自体は忘れられ失われても妖怪と言う存在は、これからも巷間で生きていくんだろう。
こちらからは以上です。
これは僕の仮説ですけど、そういった何ともいえない想い、言葉にできない悲しみとか悔しさとか後ろめたさ、モヤモヤしたある種のまがまがしい感情っていうものを、神とか仏とかではない存在に置き換えたのが妖怪なんじゃないかっていうふうに考えてるんです。
つまり、妖怪っていうのは〝人間の心の現われ〟なんじゃないかと
ジバニャンさん pic.twitter.com/G1fcUhbTma
— 月影おやま (@oyama_yuri) 2014, 9月 1
ジバニャンさんだってイラっとするときもある pic.twitter.com/xjCTnLjpnp
— 月影おやま (@oyama_yuri) 2014, 9月 2
あぁああぁぁ......ジバニャン可愛ィイよぉぉぉぉぉジバニャンんんんん...... pic.twitter.com/kvMmwlJL7X
— くろくんですよ (@KKKuro96) 2014, 9月 2
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