個人情報を渡すことの是非は、なかなか難しい。
ちなみに「位置情報履歴をGoogleに知られたくない!」と言う場合はロケーション履歴をオフにしておかないといけない。
▲https://www.google.com/settings/accounthistory/location?hl=ja
ここでオフにしておかないと自然と位置情報を発信してる。
位置情報をアカウントに紐付けし、GoogleNowは稼働するんですね。
個人情報
そもそも”個人情報”とは何か。
たとえば「山田太郎」と言う名前があるとする。
これが個人情報になるか?
ネット上に単に「山田太郎」という名前だけがあればどこの「山田太郎」なのか。
「山田太郎」という個人を絞り込むには情報が足りない。
もし「○○県に住む」+「山田太郎」であればある程度の絞り込みになるかもしれない。
あるいは「山田太郎」+「080-XXXX-XXXX」
こうやって電番と名前があれば、個人を特定(識別)できる。
あるいは顔写真と名前。
住所と名前。
電番だけで個人情報、と呼べるかどうかとすればそれを使い個人を特定できるなら個人情報ですが、特定できないなら個人情報ではない。
病院や会社などの電番はだから「個人情報」にはならない。
だが「○○病棟の○○さん」「○○社の○○さん」なら個人情報になりえる。
個人情報とは、生存する個人の情報であって、特定の個人を識別できる情報(氏名、生年月日等)を指す。これには、他の情報と容易に照合することができることによって特定の個人を識別することができる情報(学生名簿等と照合することで個人を特定できるような学籍番号等)も含まれる(第2条1項)。
「他の情報と容易に照合することができることによって特定の個人を識別することができる情報」
↑ここが大事。
突き合わせすれば特定個人を照会できる情報を個人情報と呼ぶ。
「なんでもかんでも個人に関する情報は個人情報」ではない。
電番祭り
銀行口座、電話番号なんてさっさと晒してしまって、入金や電話があればラッキーじゃんね笑。というよりは、入金する/される、電話する/される事で知らない人と繋がる所に面白さがある。お金や電話番号なんてただのコミュニケーションツールでしか無い。だったら遊ぶように実験した方が面白い。
— 家入一真 (@hbkr) 2013, 8月 9
過去にTwitterで家入一真のフォロワーが一斉に電番を晒し&口座番号を晒すお祭りをやってた。
現在でも名前の後ろに電番を入れてるひともいる。
電番や口座番号を晒すことで誰かが入金したり、誰かから電話がかかってきたりする。
住所、氏名、電番、口座番号。
公衆便所の扉の裏側に書くように個人情報を晒す行為の是非は知らないけれど、とりあえず詐欺商売のリストにでも載らない限りは実害を感じないだろう。
個人情報を利用されることと、個人情報を悪用されることはイコールではない。
ネットの個人情報のほとんどは書きこむからこそバレる。
Facebookに実名を出し、顔写真を上げ、日々を綴り、それを見ず知らずの誰かが見る。
フィッシングサイトに不用意にパスワードを入れ、カード番号を入力。
ほとんどの情報は自分で入力してるし、入れなければバレない。
飛騨山中に住んでネットのトラフィックもないところに住んでいれば、役所の情報がネットに上がりでもしない限りは調べたって出てこない。
Googleで幾ら検索したってネットにない情報は出ない。
マイナンバー
利便性と個人情報は、トレードオフ。
2015年10月からはマイナンバー制度が導入される。
▲社会保障・税番号制度
一人一人に個人番号カードが配布され、その番号によって行政サービスが一括される。
社会的な個人情報の集合がその番号に一括される。
もちろん利便性は向上する。
しかしこれにしても当然ながら「カードを無くしたらどうするんだ?」「番号を不正利用されたら?」などの話って出てくるんだと思う。
多分、来年あたりから本格的にこの話が話題に上がるようになるんだと思う。
とまれネットに個人情報ダダ漏れの今だからこそ、この制度は受け入れられやすい土壌が出来上がっているとも言える。
世代間による個人情報に対する感覚の違いは存在する。
Googleはメールを「読んで」いる
GoogleにしろMSにしろメールの中身をスキャン(読む)してる。
だからこそ個人所持の児童ポルノも発覚する。
スキャンを元にフィルタリングなど行っているからこそ大量の迷惑メールに悩まされずに済むと言う面もある。
検索結果を「読む」ことで個人の嗜好を理解しそれに応じて広告などを表示させる。
本来、その個人の嗜好にあった広告を表示させると言う行為は(インタレストマッチ)悪ではないはずなのに(無関係な広告が表示される方がいいか、自分の趣味にあったモノが表示されるのがいいか)自分の趣味嗜好を反映された広告表示は「気持ちが悪い」と感じてしまう。
趣味嗜好を知らせるつもりがないのに知られてしまう、そこに気持ち悪さを感じる。
漠然と「インターネット」と言う時、そのイメージはGoogleを指す。
検索し探り当てる、そこから始まる。
さまざまなサービスを展開し検索エンジンどころかネットそのものになろうとしている巨人
もし明日からGoogleがなければどれほどの労力が必要になるか。
もし明日からクラウドサービスを一切使わないとすればどうだろう。
まとめ
ネットの個人情報はコントロールすべきだ、と言うか必要のないものは削除。
自分がどれだけの個人情報を流出させているか把握しなければならない。
とまれ一度書かれた情報は消えないわけですが。
いったいこれまで幾つのアカウントを作り放置してるか。
どれだけの住所と氏名と電番を書きこんだか。
もう引き返せないんですよ。
個人情報は、漏れるものである。
それを前提にしておく。
どれかの情報を個人で制限したって、把握していない過去情報や履歴が紐づいて個人が特定されてしまうことがありえるわけですから。
今情報をコントロールし始めても情報統制なんて難しいんですよ。
だから情報が漏れ、悪用されたときに何をどうするのか、どう対処するのか、何が出来るか。
それを考えておくことこそ必要なのではないのかな、と思うんですがね。
どちらにしろ一度便利さを味わってしまえば、それを手放すのはとても難しいことなんですから。
本気で「Googleが悪だ!」と思うなら使わなければいい。
別に強制されてるわけじゃないんですから。
それだけのことです。